駄菓子はダメ? いいえ庶民は食べましょう
世の中から駄菓子屋が消えたと言われて久しい。
イオンなどに入っている駄菓子屋以外は絶滅してしまったのだろうか。
駄菓子を目にする機会はとんと少なくなった。
先日、息子が祖母から駄菓子の詰め合わせをもらった。
それを見た僕ら夫婦は息子の目を盗み、中身を精査した。独断と偏見でこれは食べさせるのはやめておこうと間引いていった。
僕ら夫婦が子どもの頃は当たり前のように食べていた駄菓子。
でも健康リテラシーが高まった令和の今、駄菓子を与えたくないと思う親は多いのではないだろうか。
その理由は何か。
ズバリ名前だろう。
駄菓子。
その漢字のせいで駄目なお菓子というイメージが付きまとう。安さも相まって子どもに食べさせるのは気が引ける。
と感じてしまう。
中にはもしかすると粗悪なモノもあるかもしれない。
原材料を見ると確かに添加物が多いようにも見える。
しかし、駄菓子を食べる意味は他にあると思う。
僕は勝手に精査した駄菓子を食べてみた。
懐かしい味で、子ども時代を思い出した。
駄菓子屋の雰囲気 友達とのやり取り 駄菓子のオリジナル(こだわり)の食べ方 お小遣い内でいかに満足感を得るのかの計算など思い出は多岐にわたる。
この将来感じるであろうノスタルジーを子どもから奪ってもいいのか。
ふとそんなことが頭をよぎる。
僕は駄菓子を頬張って育ち現在健康に生きている。
駄菓子は健康に直接影響はないと自分で証明しておいて、子どもには与えないとはどういう了見か。
まぁもう少し大きくなれば友達と買いに行き食べることにはなるだろう。
親が管理コントロールできるところではない。
しかし、駄菓子とは決しておいしいものではない。
もっとおいしいお菓子が世の中には溢れている。
駄菓子のアドバンテージは安さだけ。
上等なお菓子に慣れる前に駄菓子に親しんでおかないと、おそらく食べられたものではないだろう。
だから今のうちに食べておくという選択は有りだ。
近い将来駄菓子は消滅するのかもしれない。
僕が知らないだけで、数多くの駄菓子はすでに消滅しているだろう。
悲しいことだ。
今ある準駄菓子が駄菓子と言われるのだろうか。
チョコボールとかアポロとか。
それを食い止めるには子どもが駄菓子を食べる以外にはない。思い出づくりとしても我が子には駄菓子の文化に触れて欲しいと思う。
ちなみに、駄菓子は上菓子と区別する為のネーミングであり ダメなお菓子という意味ではない。
身分の高い人が食べる上菓子と庶民が食べる駄菓子。
我が家はどうだ。
ゴリゴリの庶民。
庶民中の庶民である我が子は駄菓子を食べる権利がある。
食べ過ぎは少し気になるので、嗜む程度にして欲しいが。
「駄菓子は健康に悪いから上菓子にしてくれない?」
なーんて言う子どもにはなってほしくない。
無心に駄菓子を頬張り笑顔になるような庶民でいて欲しい。
ところで、現代の上菓子とはなんだろう。
カステラが真っ先に思い浮かんだ僕は立派な庶民だろう。
やはり百貨店のケーキとか焼き菓子かな?
駄菓子が50個は買えそうな値段だ。
僕が子どもなら駄菓子50個を選ぶ。
なぜなら僕は庶民だから。
えっへん。
その証拠に今日食べた駄菓子に癒された。
仕事に追われ日々疲れている庶民の大人は久しぶりに駄菓子パーティーをしてみてはどうだろう。
当日 読んでいた本なんて読みながら。
きっとノスタルジー全開で仕事が余計に嫌になるだろう。
え?
ダメ?
いいじゃない仕事は半身で、もう半身は空想の中にいても。空想は人間にしか出来ない贅沢な行い。
そのお供にはぜひ駄菓子を。
ではまた。
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