すべての姑は政治家である。
第1章 姑という憎き愛くるしきキャラクター
姑は言う。
家から帰ってくると、
「あら、誰も家にいなかったから勝手に入って掃除しておきましたわ。」
姑は、私の家を掃除してくる。
頼んでもないのに。
「最近、マグカップ増えたのね、こんな量のコップが必要なのかしら、
あー、忙しい、忙しいわあ。」
なんでマグカップ集めてることまで指摘してくるのだ。
ほんとに嫌味たらしい。
「ところで、ゆう君のご飯にはニンジン入れたらあきまへんんで。
ゆうくん、ちっさいころからニンジン食われへんからな。
おかあちゃん知ってんねん。」
ゆうくん(=私の夫)って呼び方きしょすぎ!!!
なんだこの人!
しかし、
はっきりと断ることができない。
掃除をしてもらうことは、客観的にみれば、ありがたいことだし。
いや、ちがう。
姑は「掃除をする」という正しき行為をすることで
私はしっかりしていますよ、をアピールし、
そのうえで、間接的に、
「あなたも、もうすこし、しっかりしてくれなきゃねえ」
っていっているんだ!
第2章 姑はなぜ姑となるのか
あんなポッと出の娘にうちの息子のことをしっかりとわかるわけがない。
わたしがいったいどれほど息子のことを気にかけてきたかわからないだろう。
以下etc
のような考えだとおもう。
やっぱり、人というのは、自分のことだけを考えて、全て自分のことだけのために行動するというほど強くはない。
(ここは三島由紀夫さんの言葉をかりました。)
もし、「おれはすべて自分のためにエネルギーを注ぐ」というのならば、
その人は必然的に孤独となるだろう。
自分の理想像とするイメージと永遠に戦わなくてはならない。
それは、自分にしかわからない。
何が勝ちで何が負けなのかも。
自分にしかわからないだろう。
姑は「もう息子のことを考えてはだめなのだろうか」
「いままでの関係のままでいるということは許されないのだろうか」
という漠然とした不安に悩まされている。
一人で孤独に生きよということを間接的に提示されているのか。
しかし、それは何も姑に限ったはなしではなく、
私にも同様なことはあるはずだ。
全ての人が感じれることだと思う。
そんなわけで、何事も
「あいつは、こういうやつだ!」とかって即断してはならない。
余裕たっぷりって感じなのだ。
3章 即断の例
マックにいってんのに、ポテトを頼まないひとをみると
イライラする。
マックはポテト🍟だろ!
一体、こいつはマックに何をしにきたんだ。
だけど、ちがう!
彼はチキンナゲットを頼んでいたのだ!
うー、してやったりってかー!チキショー!
4章 チキショーの例
偏差値のひくいー高校にい入ったあら、
先生があチンパンジーでした~
あーチキショーーー!!
まとめ 姑と政治家のアナロジー
姑は何らかの理由をつけて家にはいってくる。
それと同様に政治家も何らかの理由をつけて
税金で旅行をしたがる。
だから、姑と政治家はとても近しい仲なのかもしれない。
姑はじつはとても、法律や社会学に精通していて、
政治家は、エプロンをつけて台所に立っているのかもしれない。
総理!
おいしいハンバーグが焼けましたよ〜って
おいおーい!(ツッコミ🖐️)
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