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非嘔吐過食と歩む25年・私のダイエット遍歴③

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◆【中学1年生】お菓子を食べないと学校に行けない

さて、私立の中高一貫女子校に入学した私である。もちろんこれは本意ではない。

7時半頃に家を出て、電車を2回乗り換える。
ターミナル駅を経由して、通勤・通学ラッシュに揉まれながら、1時間半ほどかけて登校するのだ。まずこれが甚大なストレス。

女性なら一度は経験があると思うが(一度でも経験があるってのがそもそも由々しき事態なんだが)痴漢もおりますでしょ。
わたしは大人しそうな見た目だから狙われることも多かったんだろうけど。最悪な気分だよね。

元々行きたくない学校なわけだから、長距離の登下校はただの苦行でしかない。

しかも「個性的な学校」と事前に聞いていた通り、私の通う中学は個性も自己主張も強い子たちばかりだった。よくもまぁこんなに集まるもんだなと思うほど。さらに言うと、小学校からのエスカレーター式のため、既にグループができあがっている中に放り込まれる。
わたしは人見知りなので、新しい友達を作るのが辛かった(とは言え、なんとなく友達はできたが)

入学した頃は小学校と変わらず「158cm/46kg」だった。4月の間は、特に食事を制限したわけではないが生活消費カロリーが増えたせいか、1日に0.2kgずつ体重が落ちていった。多分44kg程度まで落ちたと思う。
わたしはちょっと痩せられたことが嬉しかった。このままスリムになれたら良いなと思っていた(今思えば、充分スリムだったんだが)

しかし、である。
ゴールデンウィークを過ぎたあたりから、いわゆる5月病が始まった。

学校に行きたくない。

行きたくないけど、行かないわけにはいかない。わたしは子供だし、親に言ったところで休ませてくれるとは思えない。

実際に一度、ストライキとして学校に行かずに山手線に乗り続ける暴挙に出たことがある。
もちろん、学校から家に連絡が行くのですぐバレた。その時は、普段何も言わない父に激怒された。父が怒ったことが意外すぎて、「あぁ、わたしは悪い子だな」とえらく落ち込んだ。

そんなこともあって、学校には行かざるを得ない。そのストレスから、わたしは登下校の道中、キオスクでお菓子を買って食べるようになった。買うのは大体不二家のピーナッツチョコ。安かったから。

安くカロリーが摂れる。
ある意味コスパが良い。

もちろんこれだけじゃ足りないので、他にも色んなチョコを買い漁って、駅や電車でボリボリ食べながら学校へ向かう。お小遣いがあるとは言え、毎日のようにチョコを買っていればお金は無くなる。

わたしは良くないと思いながらも、親の500円玉貯金を度々盗んでは財布に補填し、そのお金でチョコを買った。もちろん罪悪感しかないが、そうでもしないと学校に行けない。

チョコを食べないと、学校に行けないんだよ。
辛すぎて。

チョコを食べてる間は、食べてることに集中できるから、嫌なことを考えなくて済むのだ。
そうしているうちに気付けば学校の最寄駅に到着。あとは学校に向かうだけだ。

「感覚を鈍らせろ」
そう自分に言い聞かせながら日々を乗り越えていた。

こうして、中学1年の後半からはブクブクと太り始め、気付くと60kgオーバー。思春期も相まって、みるみるうちにパンパンな身体が完成したのである。


◆【中学2年生】「太ってるから認めてもらえない」

「162cm/63kg」

中2に上がったときにはこれくらいだった。
集合写真に映る自分を見て、想像以上に太っていることにショックを受けたのを、昨日のことのように覚えている。

中2〜3ともなると、恋愛にも興味が出始める頃だが、わたしは自分に自信が無かったし、そもそも女子校なので出会いがない。

それでも、小学校の同級生のツテなどで人並みに恋をすることもあったけど、ことごとく相手にはされなかった。男子はみんな、アイドルみたいに細くて可愛い女の子に狙いを定めていく。

この頃「わたしは太ってて醜いから、誰からも愛されないんだ」という信念が生まれた。

実際は太ってても愛される人はたくさんいる。でも思春期の男子なんて、基本は見た目至上主義でしょう。それにわたしの性格が卑屈すぎた。

さて、2年生からは部活(演劇部)にも入った。これは、学校でつまらなさそうにしている私を見て、先生が「打ち込めるものがあった方が良い」と勧めてくれたためである。

わたしは小学校のときも演劇部で、女優さんになりたいという夢もあったため演劇部をチョイスしたのだが、部活はめちゃめちゃ厳しくて、恐ろしい先輩たちにいつも怯えていた。ミーティングと称した絞りもしょっちゅう行われるし。

でも、一つ上の先輩はみんな美人で細くて頭が良くて、同じ空間に一緒にいられるだけで幸せな気分でもあった。特にA先輩は、モデル体型でモードな美女。大地真央さんに似ていて、スパイラルパーマがよく似合っていて、アナスイのグッズをいつも持ち歩いていて、おしゃれだしカッコ良くて憧れの的だった。

部活帰りは、同学年のみんなでマックに行ったり、コンビニの菓子パンを食べながら電車でおしゃべりしたりするのが日課。わたしは中途入部だったので、みんなから嫌われたくなくて、早く距離を縮めたくて、必死に周りに合わせていた。

お陰様で、中学時代は体重も体型も順調に維持された。自分の見た目がコンプレックスだったが、登下校のチョコや菓子パンは辞められなかった。中学演劇部では一度も役をもらえなかったが、それは自分が太ってるから仕方ないことだと理解していた。

「痩せてさえいればうまくいくのに」
「太ってる自分に価値はない」
それは当然の価値観として、自分の中に植え込まれていく。


◆【高校1〜2年生】燃え尽き症候群、からの動けなくなる

さて、もともと行きたくなかった学校に通っていた私なので、当然のように「中学卒業したら高校は行かない」と決めていた。
義務教育が終われば、もう進学の必要はない。
早くこの苦行を終わりにしたい。

…と、思っていたのだが、部活の友人にそのことを話すと「高校は出た方が良い」と説得されてしまった。そういうもんなのか?

あまり納得はいかなかったが、わたしはまだ子供なので、「では」とうっかり進学を決めてしまった。とは言え、その頃は部活に熱中するのが楽しくて、割と通学へのストレスが和らいでいたのも事実。

高校演劇部に進んで、またA先輩と一緒に部活をやりたいなぁという想いもあった。(なぜか演劇部には、高校になったら先輩と仲良くしても良いという暗黙の了解があった)

予定通り、高校演劇部に入部。
演劇部では公演ごとに、演出と助演出、舞台監督と助舞台監督がそれぞれ選出されて、キャスティングなどを行い総指揮をとる。高校演劇部は、1年かけてひとつの舞台を仕上げていくのだが、その演出に憧れのA先輩が立候補した。

お近づきになりたい私は、すかさず助演出に立候補した。最終的に助演出の座は逃したものの、助舞台監督の座には滑り込むことができたので、結果的にA先輩とお話しする機会がグンと増えた!
A先輩も「今まであまり話したことなかったけど、梶さんはしっかりしてるね!本当に良い子だね〜!」と私を認めてくれた。憧れの先輩から直々に褒められて、幸せの絶頂だった。

今思うと、普通に恋。私はヘテロセクシャルだけど、思春期の恋なんて性別関係ない。

高校1年生の時分は、そういうわけで部活にひたすら打ち込む日々。憧れのA先輩みたいになりたくて、勉強も頑張った。

さて、そうこうしてるうちに色々あって、夏くらいの出来事。その年の舞台で主役を張っていた子が急に退部することになり、A先輩からの推薦で私が主役に抜擢されたのである!!

「梶さんは真面目だし、(退部した子と)背格好が似てるし、セリフは全部覚えてるし、即戦力。ベストだと思う」ということだった。

私は舞い上がった。初めての役!
それも主役!しかもA先輩からの推薦!!
絶対に期待に応えます!!!

努力の甲斐もあってか、その年の舞台は全国大会まで進出した。もちろんこれは、私だけの力で勝ち取ったものではないが。

この時期は本当に、毎日部活に行くのが楽しくて、先輩に会えるのが嬉しくて、学校に行きたくなかったことなどすっかり忘れていた。
(とは言え、毎日のハードな練習にも関わらず体型はしっかり維持していた。背は少し伸びて163cm、体重は60〜63kgをキープ)

ところが、ここで私は打ち込みすぎたのである。高校2年生の先輩は、大学受験のために部活を引退する。

A先輩のためだけに生きていたと言っても過言ではない私は、A先輩の引退後、一気にあらゆるモチベーションを失った。

学校に行きたくない。
学校に行く意味がない。

急に食欲がなくなり、母の作ったお弁当も野菜だけ食べて、あとは全て残すようになった。

高2に上がってしばらくは気力で頑張っていたのだが、4月のある日、学校の廊下でなんとなく座り込んだが最後、立ち上がれなくなってしまった。冗談じゃなく、立てない。

そこからどうやって帰宅したのかは覚えてないのだが、その日からわたしの登校拒否が始まったのである。


〈つづく〉

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