芥川龍之介『河童』と、生きるのが辛かった過去の私へのエール

5日連続投稿をなんとかやり遂げた!
やっぱ自由なアウトプットはとても楽しい。
なんとなくやり方は掴めたので、これからは更新頻度は少し減ります。

さて、表題の件について、いつでも読み返せるよう、備忘録として残そうと思う。



中学生の時に、確か課題図書で芥川龍之介の『河童』を読んだ。

物語の内容はあまり細かく覚えていないが(私は、小説や映画の内容をわりとすぐに忘れてしまう)、ある一節が深く心に刻み込まれていて、今でも折に触れて思い出す。

昨日の記事でも書いたように、私は先天的にペシミストなんだが、もちろん後天的要因によってもその性質を色濃くした。
『河童』を読んだ時は、ものすごく多感な時期だったので、なおさらこの一節が心に響いたのである。以下、抜粋。

河童もお産をする時には我々人間と同じことです。やはり医者や産婆などの助けを借りてお産をするのです。けれどもお産をするとなると、父親は電話でもかけるやうに母親の生殖器に口をつけ、「お前はこの世界へ生れて来るかどうか、よく考へた上で返事をしろ。」と大きな声で尋ねるのです。

バツグもやはり膝をつきながら、何度も繰り返してかう言ひました。それからテエブルの上にあつた消毒用の水薬で嗽うがひをしました。すると細君の腹の中の子は多少気兼でもしてゐると見え、かう小声に返事をしました。

「僕は生れたくはありません。第一僕のお父さんの遺伝は精神病だけでも大へんです。その上僕は河童的存在を悪いと信じてゐますから。」

 バツグはこの返事を聞いた時、てれたやうに頭を掻いてゐました。が、そこにゐ合せた産婆は忽ち細君の生殖器へ太い硝子の管を突きこみ、何か液体を注射しました。すると細君はほつとしたやうに太い息を洩らしました。同時に又今まで大きかつた腹は水素瓦斯を抜いた風船のやうにへたへたと縮んでしまひました。
芥川龍之介『河童』より


当時の私は、これは画期的なシステムだと、えらく感銘を受けた。私も河童の胎児のように、生まれることを拒否したかったな。そう思った。

同じ頃に、母の愛読書だった高口里純さんの『花のあすか組』の中で、こんな一節を見かけた。

うろ覚えなので間違えてるかもしれないけど、主人公のあすかが、入院先で出会った妊婦さんに、「なんで赤ちゃんを産むの?」みたいなことを聞く。

すると「だってほら、入っちゃったもんは産まなきゃだし」というような事を言うんだよね。

私はこれを読んだときに「えー、そんな無責任な!」と思った。


この2つのエピソードは、ずっと私の頭から離れない。

ただ、歳を重ね、経験を重ね、良い意味での諦めや、悪い意味での妥協も覚えつつ、「そうは言っても、生きてかなきゃなんねぇから」と日々を坦々と過ごし、アラフォーに差し掛かった今。
今の私は、少し考え方が変わった。

今のままの気持ちと記憶を保持したまま、胎児の頃に戻ったとする。そして、河童の胎児のように「お前は生まれたいか?」と問われたら、今の私は何と答えるだろうか?

未だ「生まれたくないです」と答える気がする。

ただ一方で、「自分が生まれないということは、今いる娘と息子の存在を抹消することになるだろうか?」とも考える。
それとも、彼らは彼らで、私ではない違う親の元に、彼らの魂を持ったまま、違う見目形で転生するんだろうか。
しかしそれはもはや、私の娘と息子と言えるのだろうか?全くの別人なのかな。

私は、子供たちの存在と出会ってしまった以上、それを抹消することはきっとできない。
であれば、子宮の中で問われたとしても、この世に生を受けることを選択するかもしれない。


そして、あすか組の一節。
「入ったもんは産まなきゃ」。
これに関しては、娘を妊娠したとき全く同じことを何度も思ったものだった。


色々と覚悟した上で妊娠した。
けど、十月十日の間、まだ起きてもいない先のことを考えて度々不安に襲われた。
自分の未熟さを痛感し、全て投げ出したい時もあった。
それでも、お腹の中で日々大きくなる胎児。
今さら何を言っても遅い。
私が腹を括るしかないのだ。
「入ったもんは産まなきゃ」、その言葉が支えになった。不安に押しつぶされそうな時に、何度も思い出した。
理解できずにいた無責任な言葉が、心の拠り所になっていた。

母になった今、こうも考える。
「もしも私が子供たちを産む前に、河童のシステムが導入されていたら、娘と息子は生まれることを拒否しただろうか?」

もしも分娩台の上、十月十日一緒に過ごした娘(息子)が、「私は生まれたくありません」と言ったら。

と、同時に助産師さんから処置をされ、お腹がペシャンコになっちゃったら。
私は泣いちゃう。きっと立ち直れない。絶望する。狂うかも。生きていけないかもしれない。


あぁ、なんてエゴなんだろう。
自分勝手だな、人間って。
生きているうちに考えを変え、主義を変え、言うこともコロコロ変わる。
これが大人になるということなのだ。


「なぜ大人は皆、かつては子供だったのに、子供の頃の気持ちを忘れてしまうのだろう」。
これは、『河童』に感銘を受けた当時の私が、よく考えていたことだ。
中高一貫の私立に通っていたのだけど、もともと行きたい学校だったわけではなく、環境にも馴染めなかった。高校からは体調を崩して不登校になり、2年次で中退した。

中退を決めたとき、当時の部活の顧問の先生から、こんな言葉をもらった。


「こうでなきゃいけない、と信念を持つのは悪いことではない。ただ、"こうでなきゃいけない"に縛られて、不必要に苦しむ必要はない。この先、生きていく中で考えが変わっていくことはもちろんある。だけどそれを恥じる必要はない。変化することは、悪いことではないんだよ。」


当時は、大人の言い訳だと思った。
だけど、歳を重ねるにつれて、先生の言ったことがよく分かるようになった。

生きていく上で考え方が変わるというのは、悪いことではない。
むしろ、歳とともに経験が増え、世界が広がり、見識も広がるうちに、考え方というのは変わって然るべきであると気付く。
(そうじゃなきゃ、生きていけないというのもあるんだろうが)
10代の多感な時期に誓った信念を、死ぬまで1ミリも曲げずに持ち続けるなんて、そんな苦行はない。

私は今、10代の頃の自分が恥じていた大人になろうとしている。もはや、なっている。
けれど、今の私は別にその事を恥じてはいない。
「当時の自分は怒るだろうな」と思うけど、それでも頑張って生きてきた事を褒めて欲しいし、褒めてあげたい。試行錯誤しながら、それでもただただ生きていくことって、それだけで充分に尊いことなんだから。

10代の私は怒りながら言うだろう。
「それは自己弁護だ!」
そうだね、自己弁護だ。だけど、自己弁護で自分の機嫌を取れるのであれば、それに越したことはないのだよ。
正義感強く怒っている過去の私が可愛くて、ついつい微笑んでしまうが、10代の私はきっと「馬鹿にされた」と感じるだろう。ごめんね、おばちゃん、そんなつもりはないのだよ。

そしてきっと10年後20年後の私がまた、今の私を笑いながら見ているに違いない。

そんなことを考えている。

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