呪術廻戦・夏油傑とブラック企業の話①


初めましての方は初めまして。

週刊少年ジャンプで連載されている作品『呪術廻戦』にて、劇中で4人しか登場していない最上位の『特級』呪術師だった『夏油傑』という人物がいます。


現在放送されているアニメ『呪術廻戦』二期には、現在は同じく特級呪術師である『五条悟』との熱い青春時代が描かれてます

作画や演出の良さもあり、視聴している方もどこかに忘れてきた青春時代を思い出してしまう、そんな作品となっています。

特にOPテーマの『青のすみか』EDテーマの『燈』はそれぞれ五条と夏油を彷彿とさせる歌詞が散りばめられており、『懐玉・玉折編』を見た後だとt違った聞こえ方になると思います。


そんな『最強』な2人の青春時代の終わりに何があったら『呪術を扱えない無辜の人々を救う呪術師』から『呪術廻戦0』のような『呪術を扱えない猿共と侮蔑する呪詛師』となるのでしょうか。

アニメの『過去編』は残り2話ほどですが見守っていきたいところですね。

以下の記事の本筋にはアニメの続きの内容も含まれるため、ネタバレが嫌な方はここで引き返してください。

夏油の闇落ちとブラック企業の関係性

改めましてnoteタイトルの回収をさせていただきたいと思います。

長年ブラック企業にいた私は、おおよそ『ブラック企業あるある』を体験してきました。

人と多く関わる身であったことからも、その中で実際に合った出来事や傾向などは人一倍把握している自覚があります。

その中で、この『夏油傑』に当てはまる要素がこれでもかと散りばめられていましたので、今回はそれを紹介していきます。

高専生という身で命のやり取りをする呪術界

本作品『呪術廻戦』での登場キャラクターの多くはこの『呪術高専生』であり、いわばまだ学生の身で登場します。

過去編では夏油も高専に在学しており、その類まれなる才である『呪霊操術』を使い、同じく高専性だった五条と『私たちは最強』と評するほどには実力者だったようです。

しかし、世界感として当たり前に受け入れられている節がありますが、彼らはまだ『学生』です。

いくら才能があるとはいえ、殺し殺されが日常的な世界を渡り歩くには歳若く、感受性も強く、自分の方針が定まりきれない時期だと思います。

御三家のように産まれた時から『そうあれ』と指針を定められる訳でもなく、夏油は家系が重要視される本作品では珍しく『一般家庭』の出身です。

一般家庭の一般的な常識、世界感が夏油本人のベースとしてあり、『呪術界』への感性は後付けによるものだと思われます。

アニメ二期2話でも五条が天内を狙う相手に話していたように、呪術界は常に人手不足であり、高専生という修行の身でありながら死地に赴くことは当たり前です。

人を守る呪術師であれば命を懸けても『そうあれ』という固定観念があり、それに違和感を抱くことは咎められるような世界です。

二期1話の夏油と五条のバスケ時のやりとりからもその片鱗がうかがえます。

人手不足でありながら若い芽を育てる時間も労力も足らず、未成熟のまま『そうであれ』と命を懸けて働かせ続け、果ては見えない。

まさに生き地獄であり、現実より規模が大きくなった『ブラック企業』という他ありません。

呪霊操術の欠点

夏油が扱う『呪霊操術』は降伏した呪霊を黒い泥団子のように変化させ、口から飲み込むことによって取り込んだ呪霊を使役することが可能となります。

『呪霊操術』は呪霊を召喚する上でも媒介を必用としない術式としては格の高いものと作中で名言されましたが(アニメ二期2話参照)ひとつだけ欠点があります。

それは降伏した呪霊を取り込む際に『吐瀉物を処理した雑巾のような味』がするらしく、少なからず高専時代の夏油はこれにストレスを抱えていたようです。

しかもこれは『呪霊操術』を扱う上では一生向き合い続けなければならない特性であり、『皆は知らない呪霊の味』という独白の通り、このことは親友の五条を含む誰にも打ち明けられなかったようです。

思えば、家系と術式の有無が絶対視され、呪力を持たないから、女だからと迫害することを平然とやってのける連中がごまんといる呪術界。

特別な出自でもなく、後に特級まで上り詰め『呪術師は才能が八割』の典型的な例となった身からすると、そういった『持たざる者』たちに対しての引け目があったのかもしれません。

例えるなら、業界未経験から才能を輝かせ、自分が一生かけても絶対に届かない給料を貰っている人が、『でも僕は仕事の時にいつも不味いもの食べなきゃいけないんだ』と周りに話すことは聞き手によっては『愚痴』より『嫌味』や『当てつけ』と受け取られると思います。

個人的に栄養価はないにせよ『不味い食べ物を強要される』というのは致命的だと思っています。ましてやそれをネタにもできないとなると尚更です。

衣食住という言葉が示すように、食べ物は人が生きる上では欠かせないものとして挙げられます。

本記事を読まれている方の中にも『嬉しい事があったから美味しいものを食べに行った』『辛いことがあったから憂さ晴らしに飲みに行った』などの経験があられる方が多いと思います。

つまり食べ物は生きる上での『栄養の補給』のみならず『精神性のメンテナンス』にも繋がってくるのです。

毎日の仕事終わりにゲロ雑巾を食べる人とファミレスで好きな料理を食べる人では、特に責任ある仕事を任される立場であればあるほどに業務のパフォーマンスに多大な影響が出ると思います。

これは私の経験則ですが、『毎日ご飯も食べる余裕がないほどに忙しく、味のない流動食を胃に流し込んでは寝る生活』を繰り返していた時期がありましたが、日々やつれていくのを感じていました。

『食べる意味』を失う前にそのデスマーチを抜けられたので何とかなりましたが、あのまま続けていたらかなりやばいことになっていただろうなと今でも思います。

それでは今回はここまでとさせていただきます。
ここまで読んで下さりありがとうございました。

次回

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