「野良ショートケーキ」

野良ショートケーキが庭に住み着いた。
野良ショートケーキという概念が生まれたのは5年前くらいの話だ。
きっかけはケーキの等分について書かれた某本の流行だった。
「ケーキを正しく三等分することできる?」
「できるに決まってるよ笑」
「本当に正しく三等分するなら、分度器で120度ずつ測ればいいんじゃないかな?」
「でもさ、いちごとかを考慮すると一旦ミキサーにかけてグラムで等分するのが一番いいんじゃないかな?」
《あれ、それってケーキの気持ち考えてる?》
「ケーキの気持ちを考えたら、等分する覚悟を持って買わないといけないよ!」
「無責任にケーキを買うべきではないよね…。」
誰もがするようになったその議論は、メディアに注目され、やがて日本中に広まった。
ニュース「そもそもケーキを買うということは、正しく等分する責任をもつということ。それを持てないのなら、買うべきではない。」
cm「ケーキの一生、負えますか?」
配信者「ケーキ買ってきた。」
コメント「あ あ あ あ 無責任 あ あ あタヒね  あ あ おまえ最低だな あ あ あ ああ タヒね あ ああああ ケーキw あ」
ほとんどの人は反ケーキ購入派になった。今まで誕生日などにケーキを買った人たちだ。よくその口でものを言えたものだ。
同時に、自分の中に自責の念が溢れた。同じ事をしてきたんだ。今まで無責任に等分してきたケーキたち。
犠牲にしたケーキの事を考え続けよう。そしてこれからは覚悟と責任を持ってケーキを買おう。それが今までいたずらに等分されたケーキたちへの贖罪だ。
そう思って、私は生きてきた。野良ショートケーキの出現までは。

野良ショートケーキ。それは、ケーキを買ったものが等分する覚悟をできず、すてられたもの。
野良ショートケーキのニュースを耳にすることはあったがまさか自分の庭に住み着くなんて。
ケーキなんてここ5年間買おうとしたこともなかった。久しぶりに生で見るショートケーキは美味しそうでたまらなかった。
「ねぇ、あのケーキ美味しそう。」
「そうだね、とっても…。」
でも、だめだよ…等分なんて、そんなことできない

野良ショートケーキはただそこに在った。何を考えているのかはわからない。そっと庭からたどりよせる。

ここに三等分されたケーキがあった。気を失っていたみたいだ。
「ごめんね…。」泣きながら、自分はすっとナイフを入れた。とても手慣れた手つきが、今まで切られたケーキたちのことを思い出させる。
そのままショックで倒れていたそうだ。
「切っちゃったからには食べよう。」
「……うん。」
「ごめんね…。ごめんね…。」泣きながら食べたそのケーキの味は、とてもおいしかった。

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