サイレントお祈りをやめて、あるべき「お祈り」の形を考えよう

「サイレントお祈り」を許すな

「サイレントお祈り」は悪だ。間違いなく、悪だ。あれは学生の気持ちを踏みにじるような行為だ。あたかも、「忙しいから仕方ないでしょ」感を出してくるが、そんなのはただの企業の怠慢にすぎない。

就職活動において、そもそも企業がえらいわけじゃない。確かに、大手の企業ともなれば、全国から何千ものESを受け取り、何百人を面接する。膨大な量だ。その一つ一つに丁寧に対応する時間はない。それでも、企業がえらいわけじゃない。学生が誰も応募しなくなったら、企業の人事は立ちゆかなくなる。仕事ができなくなる。応募する学生あっての企業のはずだ。

学生が会社に気に入られようとするのは、あくまでほかの学生との競争に勝つためにやっていることだ。それを「偉くなった」と勘違いする会社に、未来はない。「学生を選んでいる」つもりでいると、「学生に選ばれなくなる」。

しかし、残念ながら企業は、一部の学生を軽んずる。例えば、現地を見学した学生にだけ次の選考の案内をしたり、少し手続きを間違えただけなのに脱落させたりと、企業は忙しさを言い訳にして怠慢を正当化している。その過程で、自分たちのやり方についてこられなかった学生を軽んじるのだ。

そうした行いの最たるものが、「サイレントお祈り」だ。通常、企業は合格者には合格通知を、不合格の学生には不合格通知を送る。しかし、不合格の学生には何も通知しないことを以て、不合格の通知と見なす企業がある。これが「サイレントお祈り」だ。

学生からすれば最悪の行いではないか?推薦を考えていると不合格の通知がない限りは別の企業の推薦を出せないし、待っている間の緊張も並々ならぬものだ。本当にただの怠慢ではないか。社会でそんなことが通用するのか?

しかし、意外と社会には「ない」ことを通知と見る事例が多いのだ。例えば、大学入試の合格発表は、自分の番号が「ない」ことを以て不合格と見なす。そして、不合格の人には不合格の資料は届かない。合格した人にだけ、資料が届く。

しかし、大学入試の合格発表は、就活のサイレントお祈りほどイライラしない。それは何故だろうか。どちらも同じように「ない」ことを以て通知としているはずなのに、この2つにはどんな違いがあるのだろうか。

明確にある。発表の時期がはっきりとしているのだ。合格発表はあらかじめ、日時を明確に指定している。そのため、それ以前にあれこれ考えても意味がないと割り切ることができるため、気が楽なのだ。しかし、サイレントお祈りはいつ通知が来るのかがわからないのに、そもそも届かないから腹が立つ。

要は、無駄にやきもきするのが嫌なのだ。最初からいつ発表するのかがわかっていれば、それ以外のときにあれこれ考えても仕方がない。だから、そこまで疲れないのである。今思えば、「サイレントお祈り」をされたときの感覚は、友人との待ち合わせですっぽかされたときのものに似ている。

問題は通知しないことではなく、いつそれが来るのかがわからないことなのだ。つまり、発表時期を明確にすれば、この苦痛は軽減される。

提言:発表時期を明確に示す

企業の皆様に、お願いがあります。合格者の発表時期を明確に示してください。

発表の時期には幅を持たせず、何時何分まで明確に指定してください。

どうか、この声がだれかに届くことを祈ります。



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