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私アセクなんだよね多分

高校性の頃くらいから本格的に疑い始めたこの疑惑に一度区切りをつけておくのもいいかもしれないと思って、自分のアイデンティティの位置づけをするという意味で最近時間があればアセクに関する本や著作物を読んでいるんだけど、読んで共感できる部分や、自分の経験におおよそ当てはまっている部分が多くてやっぱりアセクなのかもなーと思ったりして過ごしている

一つ考えたことは、火のない所に煙は立たないみたいなことで
生きてきて何かしらの違和感や周囲の人間とは違うかもしれないと感じた経験が積み重なった結果としてアセクシャルかもしれないという結論にたどり着いたこと自体が、アセクシャルであることの最強の裏付けなんじゃないかということ

【余談】~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
これは学術的な著作物じゃないけど「正欲」(朝井リョウ・新潮文庫)を読んでみて思ったのは中学生くらいの時の回想シーンで登場人物が自分がマイノリティであることを思い知らされるシーンがあるんだけど、思い返すと私も中学生の時に当時はあまり気にしてなかったけどこれってそうだよなっていう経験があって
この作品は群像劇なんだけど、共通点をもつ一組の夫婦のそれぞれが考えてることが自分が普段考えていることと似通り過ぎていて驚いた
「卑屈でいるのにも飽きた」「周りが受け入れたって受け入れなくたって私という人間が存在していることは紛れもない事実だ」とか良かったなー
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話を戻して、アセクの定義の難しさって所謂LGBTQとは少しベクトルが違う感じがしていて
ヘテロセクシュアル(異性愛)でもホモセクシュアル(同性愛)でもほかの性的指向でも特殊性癖でも明確に存在する感情の方向が違うだけで何かに対して性的感情が向く(1)の状態であるのに対してアセクシャルは性的感情の有無にかかわらずそれが向く先がない(0)の状態だから自認するのも人に伝えるのもすごく難しい

伝えるうえで難しいことがもう一つあって
私は今のところ性的感情が他者に向かないアセクシャルと自認しているけど、恋愛感情は稀に他者に向くことがあるからこれを伝えるのが難しい
一般的にセクシュアリティを考えるときの要素として性自認・恋愛指向・性的指向・性表現の4つがあって恋愛指向と性的指向は分けて考えるんだよね
だからアセクシャルの中でも
アロマンティック・アセクシャルの人もいるしバイロマンティック・アセクシャルの人も、ヘテロロマンティック・アセクシャルの人もほかにもいろんなアセクシャルがいる
(ややこしかったら覗いてみてください)https://jobrainbow.jp/magazine/whatissexualminority

私は一応、バイロマンティック・アセクシャルかなあと思っているんだけど難しいのはマジョリティとされている人たち(シスジェンダー・ヘテロロマンティック・ヘテロセクシュアル)は恋愛指向と性的指向を分けて考えない(少なくとも私にはそう見える)ことが多くて、だから伝えるのに苦労する
どういうことかというと、私は他者に対して恋愛感情を抱くことは稀にあるけど今のところその感情と性的感情は結びつかない
恋愛感情と性的感情が別のものとして処理されていて一方は他者に向く可能性があるけどもう一方は他者に向かう機能がないという感じ
一緒にいたいし、尊敬できるし、好奇心をそそられるし、大事に思うことができる相手がいたとしても身体接触をできるかと言われれば多分できない、みたいな

だけどマジョリティにとって恋愛感情と性的感情はほぼ同等のものとして処理されるんじゃないかな
だから身体接触ができないってことはそこまで相手のことを好きではないんじゃないかと思われてしまう
それだけが全てじゃないのに、人類が絶滅の道を望まない限り子孫を残す素養がある人間が偉いみたいになっちゃうのしんどいねー

もう一つアセクが苦労するトピックとして「愛がない人間のレッテルを張られる」というのがあるんだけど
決してそんなことはなくてみんな誰かのことを大切に思うし、それぞれの形で表現したいと思うし、愛しく思うことだってあると思うよ
それで一時期、「恋愛的なリレーションシップの初期の段階での緊張感とか互いに様子見しあってる感じが負担で疲れちゃうからいきなり友人よりももう少し深い家族みたいな関係になれればいいのにな」とか思ってた
少しうまくいったとしてもどうせ私はあなたの期待に応えることはできないんだから時間無駄にさせるだけだなと思って身を引いてしまうこともあるしどういうスタンスでいればいいのかわかんなくなる
しかも家族も基本的にはマジョリティ同士の「普通の恋愛の終着点」を前提にした集団であるので私の考えてたことはある意味矛盾をはらんでいたのかもしれない

だからと言って私も一人で死ぬのは怖いしこれから周りの人間たちが結婚したり子どもをもうけたりして正しい命の循環に収れんしていったらとうとう死なずに生き続けることに大きな不安を覚えるようになるかもしれない、、

アセクであるかを確認するためだけにマジョリティの誰かと恋愛関係になることこそ相手に申し訳ないし、いろいろ超えなきゃならない障壁が多すぎて気後れしちゃうし(お互いに妥協してミドルポイント探ったり独自の解決策を練ったりしなきゃならないから本当に信頼できる人間じゃないと難しいかも)100人に一人いるかいないかのアセク同士が自然に出会うのって奇跡みたいなことだからもう少し時間がかかるね

みんながどんな人間であっても生活が楽しくなくても、自分が生きてる理由なんか考えずにただ生きようね上手くいかないことの方が多いんだからー
みんなが何も考えずにできることさえもできない人間がいるんだから大丈夫かと思ってくれてもいいよ
卑屈になるのに飽きてないじゃないか

ここに書いたことが学術的に何の根拠もないことと、セクシュアリティは流動的なものでもあるから数年後全然違うこと言ってるかもしれないってことだけ書いておきますー


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