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勉強ができる≠頭がいい

 学生だった頃、自分は勉強が得意な方でした。
テストでは100点を取ったことも何回かありますし、
順位も常に上位でした。

 そのためか、自分は「頭がいいね」と褒められてきました。
そこに悪気は認められず、素直に嬉しい気持ちもありました。

 ただ、自分は「頭がいい」と強く思ったことありません。
あくまでも「勉強ができる」のであり、頭がいいかと問われると
それはまた違う種類の議論になるのではないかと考えています。


 人間の全ての行動は脳が司っている。
手や足を動かすことを含め、そのほか全ての運動は脳が指示を出しているのであり、反対に脳が停止すると人は何もできなくなる。

 一般に運動神経が良い人のことを「頭がいい人」とは言わない。
また、芸術家や音楽家、お笑い芸人を「頭がいいですね」と評することは
ほとんどないように思われます。

 ただ、人には真似できない身体能力を見せるアスリート運動や人には真似できない作品、音楽、発想を生み出しているのは紛れもなくその人の脳です。

 そう考えると、他の人には真似できないことをできる人は
すべからく「頭がいい」のではないでしょうか。


 確かに自分は、他の人には取れないような高い点数をテストでとっていたのかもしれません。その意味で、自分は「頭がいい」のかもしれません。

 しかし、運動神経が良かった訳でもなければ、芸術的な才能があった訳でもありません。不器用な方であり、身体的な部分では平均以下の能力であると感じています。

 そういったことも加味して総合的に考えると、
やはり自分は「頭がいい」というよりかは「勉強ができる」人間であると
評される方が妥当であると思えるのです。


 ここまでは自分の話が主になってしまいましたが、
全ての行動は脳が司っているという認識のもとに世界を見渡してみると、
「頭がいい人」というのは多くいるのではないでしょうか。

 単に勉強ができるという理由以外で「頭がいい」人は
多くいると考えます。
(ただ、自分同様、「頭がいいですね」といった時に「いえ、単にスポーツができるだけです」と答える人が一定数いるかもしれませんが)

 勉強ができるだけですぐに頭がいいと評すること、
そしてそうでない人には頭がいいとほとんど言わないこと。
それは少し違うのではないかと考えています。


 一人一人を見て、その人が一体何に秀でているのか。
それを冷静に見つめていくことが大切なのではないかと考えます。

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