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食糧安全保障 〜農業エトセトラ〜

何のために仕事をしているのか。
教会を作っている大工に質問した話、というのが有名かも知れません。
一人目の大工は、お金のため
二人目の大工は、自分の仕事だから
三人目は、他者のため(神のため)
話の筋だては違ったかも知れませんが、こんな感じの話であったかと思います。
自分の仕事の先に何があるのか、というのを考える時、農業に携わる私の仕事の先には、「食糧安全保障のため」というのがあると自覚しています。

お国のため!というより、自分のできることを一生懸命にしている人、老若男女問わずその人のできることを精一杯その人なりにしている人、が困ってしまわないように、という気持ちが、「食糧安全保障に貢献している」と思える理由です。

そもそも農業に携わろうと考え出したのは、東日本大震災があったから。
その時、電気の来ない部屋で無性に読みたくなった本は辺見庸著『物食う人びと』(角川書店、1994)でした。
福島第一原発の爆発によって、私の住んでいる場所の放射能汚染が懸念される中、
『物食う人びと』のチェルノブイリ原発爆発事故近くの村でのエピソードが思い出され、
「この土地で私も農作物を作り続けて食べていこう」
と放射能汚染の恐怖を感じつつも「これからどう生きるか」みたいなことを考えた結果、農業に携わろうと思ったのでした。
そして、「農作物を作ることは生きること、その農作物をモリモリと食べて生きる糧にしてくださる人のために農作物を作りたいな」と考えていて、
その先に【食糧安全保障】がある、というイメージで働いています。
何のために農業をしているのか、と聞かれれば、私は頑張って誰かのために働く人のために農作物を作っています、と答えると思います。

毎年、暑かろうが寒かろうが、自然の状態に合わせて育つ作物や、田畑にやってくる動物を身近にしていると、時にその姿に圧倒されてしまうのですが、私も生き物として逞しくありたいな、とも思わされます。

そんな中、現在、農林水産省では日本の食糧安全保障のために、有事の際には生産者に供給作物を指定して生産させ、意向に沿わない生産者には罰則を与えられる法案の作成をしています。
有事の際に一定量の作物が供給される必要性があるのは分かります。
穀物は米以外は輸入依存が高いですから、小麦や大豆などの生産量を増やしたい、じゃがいもなどの貯蔵性に優れて栄養価もある作物を大量に必要とする、というのはあるだろうと思います。
何だかしっくり来ないのは、意向に沿わなければ罰を与える、というものです。
まだ法案の段階ですので実際に罰則規定がどうなるのか分かりませんが、
生産者側が「罰則がなくても有事の際には協力する」という気持ちになれていないことについて、もうちょっと国が自省しては?と思ってしまうのです。
東日本大震災の時、誰に言われなくても電気を節約したり、食べ物を分けあったりできた地域は多かったのではないかと思うのですが、それって強制されていない自由がありましたよね。
強制されなくても有事の時に、「私のできる範囲で協力したい」という気持ちになれた理由、っていうのがあったのではないでしょうか。
国家の大事と、一地域の大事では規模が違うという意見もあろうかと思いますが、貢献するなら気持ちよく貢献したし、自主的に貢献したいと思います。

そんな事を新聞記事を読みながら考えたのでした。
もうすぐインドへ出発します。
滞在先は南インド。
農業が盛んだそうなので、他国の農業者の様子を見られたらいいな、とワクワクしています。

最後までお読みいただきありがとうございました!

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