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「仕事」という言葉を使いたくない

最近、「仕事」という言葉を使うことに抵抗を感じている。

「仕事だから」と、本当は嫌なんだけれど本人の意思とは関係ない強制力のあるもの、優先度の高いものに仕方なくに従わざるを得ないんだという何か免罪符のような呪文のような言葉として使われたり、「仕事」とは本当はやりたくない苦痛を感じるものだけれども生活のために我慢してやるものだ、その対価として賃金を得るんだという意味合いを持っている感じも、ボクが「仕事」という言葉を避けたい理由だ。

断りにくい予定を断る理由にしたり、遅刻した口実にしたり、そんな場面に遭遇することも少なくない。そして、「仕事なら仕方ない」と世間は受け入れる。

それでいいのだろうか。
ボクはそれが嫌だった。

仕事は生活の一部分であり、人生の時間の多くを費やすことにもなるものだ。

最近、ボクの周りでは、仕事と遊びの境目がなくなっている人が増えてきた。遊ぶように楽しむことが何かを生み出し、それが周囲に必要とされる人々である。

「置かれた場所で咲く」ことももちろん素晴らしいことだ。しかし、人間なんだから「自分が咲ける場所に移動」したっていいと思うし、その方がより美しく力強い花を咲かすことができると思う。
楽しめないことを楽しもうとする努力より、楽しいことをより楽しむ努力のほうが、健やかだろう。

そう思うと、(ボクだけかもしれないが、冒頭のようなネガティブな印象を持ってしまう)「仕事」という言葉を使いたくないのだ。

では、仕事と遊びの境目がなくなった時、それはなんて言葉で表現したらいいんだろう。
「依頼?」「企て?」

なんだろうな。

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