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はじめに、1.解析の基盤

「四韓の王統と連枝した倭国皇統の系譜体系の「DNA種族」による論理解析ノート」は、次の六部から構成しようとするものです。
 
はじめに
・第一部 『DNA種族解析法』等の解析基盤(約75頁)
・第二部 小林古代史「三韓の王の顔をもつ倭国大王」を拡張した倭王『大王』の系譜体系(約237頁)
・第三部 四韓の王妃と連枝した倭国『大后』の系譜体系(約140頁)
・第四部 倭国政事統括者の「DNA弥生人混血縄文人」である倭国部族連合盟主『大連』の系譜体系(約132頁)
・第五部 『DNA種族解析法』による記紀の倭国皇統の論理的事実(約249頁)
・第六部 記紀の倭王『大王』の論理的概史(約109頁)
・あとがき
・参考文献

 
本論は量が多いので、Noteに適した概要版(約68頁)を作成しました。
    概要版は、第一章:解析基盤をまとめた第一部の概要、第二章:主要な論理的事実を抽出した第五部の概要、第三章:論理的事実を再検証するために記紀の全系の歴史流れを通して見た第六部の概要、から構成し、主要な論理的事実と考察結論を導出するのに十分な量に絞りました。
    倭王『大王』に関する第二部、倭国『大后』に関する第三部、倭国部族連合盟主『大連』に関する第四部の主要部は、第五部と第六部の概要に反映しています。


はじめに

    個人にも民族にも過去を引きずった特有な潜在意識や行動様式があります。普段は闇の中にありますが、劇的な出来事や時代の激動期に時を超えて発現する歴史力、いわゆる先祖帰りです。古代のことであっても建国事情は国家や民族のアイデンティティに大きな影響力を及ぼします。日本の歴史的アイデンティティ、日本的特質、日本人の基本的な感情・思考・行動の原型パターンを究明する時、日本の古代史、とりわけ古代皇統譜は避けて通れません。日本は、一つの国名、国の体裁を千年以上保った、あるいは千ないし四万年レベルかもしれない稀有な国です。重要な一つが、古事記と日本書記の倭国皇統譜の系譜構造の中にある筈です。

我が国の建国についての最も古い文献である古事記(712年編纂、最古写本1371年)と日本書記(720年撰上、最古写本9世紀)(以下、「記紀」と略す)の論理一貫性のない解釈の現状に対して、史料をもとに論理的なアプローチを体系的にした稀有な政治歴史家の小林恵子(ヤスコ、1936年生まれ~ )がいます。小林恵子は、<記紀学派>に疑問を持ち、国内だけでなく外国の史料を基にした日本古代の政治歴史学をどの既存学派にも属さず在野で志しました。小林恵子は、記紀が識緯(シンイ)的な表現と道教の用語を暗示に使っていることに注目し、百済滅亡(660年)、高句麗滅亡(筆者の事実上説:642年、通説:668年)当時の第40代天武天皇までの約2/3の倭国『大王(オオキミ、後の天皇)』が朝鮮半島の三韓の王と同一人であることをつき止めました。また、倭国『大王』のルーツを中央アジアの西突厥、サーサーン朝ペルシア帝国まで遡って示唆しました。

本論は、物理学で涵養した論法がどこまで記紀の論理体系を考究できるかを試みたのが始まりです。      そして、史料歴史学と両輪をなす理論としての論理歴史学を試みました。

本論は、二つの基本条件を基にして記紀を解析し、全体を通して整合する論理体系を考察しました。
一つ目の基本条件は、「人類遺伝学・分子生物学の分野のDNA科学の世界趨勢の倭国為政者は、現在まで続いている日本人の最多数である約50%の「DNA縄文人」・Y-DNA「D1a2a系」である。」

二つ目は、「小林恵子が史料証明した倭国『大王』の26/42=約62%が高句麗王と百済王の顔をもつことを起点とする。」

先ず、日本人男性に見出された核遺伝子のハプログループ(遺伝子分類群)・Y-DNAを少なくとも1%以上のレベルとなるグループを抽出し、そして、皇統の同一な継承系統を示すレベルのグループに試行錯誤して再分類し、これを歴史的に特徴ある種族を便宜的に称する「DNA種族」に対応させた「DNA種族解析法」を新しく開発しました。
    なお、男性はY-DNAで表記される核染色体遺伝子のハプログループ(遺伝子分類群)、女性はミトコンドリア遺伝子のミトコンドリアハプログループ(遺伝子分類群)ですが、女性遺伝子は遺伝子数が少ないため種族分類に対応させられないので、女性は便宜的に同じ種族の男性の「DNA種族」・Y-DNAを援用して、「母系DNA種族」・「Y-DNA相当」の表記を用いました。

これにより、皇統および王統の系統の推移を明らかにしました。この解析において、倭国皇統と朝鮮半島の四韓の王統の個人別の「DNA種族」を家族関係の史料や漢字の字義ではなく音韻のみを利用した古代の形成漢字などを援用して試行錯誤を繰り返しながら比定しました。

倭国では、呼び名に近い音韻の字義を離れた形成漢字の使用と、部族毎に実体の異なる呼び名に対応する形成漢字の違いが、多くの部族の共存・共生の中で流通し、倭国では稀有な漢字の重層性が生じました。

また、解析において、世界的に稀有な男王の父系制と女王の母系制の並存を考慮した両面からの解析が必須であることがわかりました。これにより、同一人の多くの別名が把握できました。

先ず、小林古代史の「朝鮮半島の王の顔をもつ倭王」の空白部をDNA・種族・古代半島語等を援用してモザイクを埋めるように試行錯誤を繰り返しました。そして、小林古代史の史料歴史学に基づく系譜体系と本論の自然科学に基づく「DNA種族」による系譜体系とを比較照合し、双方の体系の論理整合性に矛盾がないことを確認し、小林古代史の「記紀の倭王は朝鮮半島の王の顔をもつ」は真なることを確認しました。ただし、その後の詳細な考察で、「記紀の倭王は朝鮮半島の王の顔をもつ」は論理的事実と異なり、「倭国『大后』は朝鮮半島の王妃の顔をもつ」を記紀の倭王『大王』が模倣したものでした。

先ず、本「DNA種族解析法」により、記紀の倭王『大王』は、同一の継承系統を示す七つの「DNA氏族」に分類され、万世一系でないことが明らかになりました。しかし、倭国非政事為政者である『大后』と「DNA縄文人」である倭国政事統括者は、一系でありました。

次に、記紀の倭国『大王』の皇統譜は、高句麗第11代以降の歴代高句麗王(227年~642年)と百済第11代以降の歴代百済王(304年~660年)を約2倍となる年数を無視して一本化合成したものであることが明らかになりました。つまり、記紀の倭国『大王』の皇統譜は高句麗王統と百済王統を人工的に単純合成したもので実系譜ではない虚構でありました。

更に詳細を解析すると、次から次と隠された論理的事実が見出されていきました。本解析結果も、倭国統治者は「DNA科学の世界趨勢の倭国為政者は現在までも継続している数千年以上も日本列島を統治している『DNA縄文人』である」ことを裏付け、記紀の倭国『大王』ではありませんでした。四韓の男王達は、三国史記からみても倭国の為政者に誰もなっていないとする方が妥当でした。当初、通説と全く異なっているこれらの論理的事実を理解できる体系論理が全く思い浮かびませんでした。

本考察による倭国統治体制は、伽耶から渡来した倭国と四韓(高句麗、百済、新羅、加羅)の天上の第一位非政事統括者(祭祀、継嗣出産・生育、非政事統括者の継承者の指定権、政事統括継承者の指定権・承諾権・婚姻者指定権、後宮管理、母系の財産相続権、等)の「母系DNA縄文人混血春秋時代呉越系倭人」である母系制・群婚の倭国『大后』と、日本列島に約4万年前から先住していた地上の倭国政事統括者の「DNA春秋時代呉越系倭人混血縄文人」である父系制の倭国部族同盟盟主『大連』の同位共同体制です。そして、倭国政事統括者は、伴侶でもある四韓の王妃と王の親衛軍を管掌し、四韓の事実上の覇権者でありました。つまり、四韓は、二重の政事統治体制でありました。

伽耶から渡来した第一位倭国『大后』の本考察結果は、系譜は一系であり、第一位倭国『大后』は『DNA縄文人』である倭国部族同盟盟主『大連』と四韓(高句麗、百済、伽耶、新羅)の男王と群婚し、大きな権限を有する天上の非政事統括者でありました。四韓の男王の継嗣は、母系制により倭国で生育され、成人になると四韓に回帰しました。

記紀の倭王『大王』とは、扶余族を国体とする高句麗王と百済王の倭国との対婚族同盟の証しである称号が元でありました。記紀の倭王『大王』の高句麗王と百済王の<二つの顔>とは、倭国と四韓を非政事統括した倭国『大后』の<二つの顔>を模倣したものでした。

倭国と四韓を非政事統括した『大后、女王』は母系系譜を、それぞれの国を政事統括した倭国『大連』と四韓の『大王』は父系系譜を、それぞれ独立に維持し、同位で共同為政した世界でも稀有な例です。

日本列島に渡来した弥生人は、朝鮮半島のそれぞれの部族の祖や宗主を日本列島で象徴的に祭祀し、部族の出来事は祖や宗主の名で語り継ぎました。このことは、記紀が朝鮮半島の出来事を日本列島に転写することを容易にしました。

以上のように、本アプローチは、日本の建国と日本の根源のカルチャに係わる記紀は虚構の皇統譜と数々の論理的事実を隠蔽・改ざんしたものであり、全面的な解釈の見直しが必要であることを明らかにしました。それは、およそ1500年間完全に虚構が封印されただけでなく、日本の根源アイデンティティの虚構を維持してきました。人工的に作成された皇統譜の記紀は、当然の帰結として、多くの隠蔽と改ざんがなされており、なんでもありの解釈が罷り通る由縁です。

本論の論理的事実から考察された日本の基軸となる根源アイデンティティは、先進国で唯一の孤立した多元性原理であり、渡来弥生人の単元性原理と共存して複雑な展開をしてきました。この日本の多元性原理の実在は、日本人の思考や行動の様式に明らかに認められます。
    西洋美術を学んだ真の知識人の岡本太郎は、火焔土器のような縄文土器は、縄文土器と弥生土器との融合から生まれたものではなく、弥生文化に触れたカルチャショックで縄文文化内の深底からの情念が突沸して生まれたものと明察しています。

中国・朝鮮半島・欧米の先進文明・文化は単元性原理を基軸としたもので、多元性原理を基軸とする日本へのそのままの導入は馴染まず、最初は新奇性で受け入れられても、やがて乖離していく歴史の繰り返しです。日本の文化を歴史的にみると、時代の強弱性はありますが、外来の先進的文明や文化・思想の導入に積極ですが、導入が成熟すると日本の根源カルチャとの乖離にストレスを感じて、いわゆる懐古趣味の域をでない復古調の時代になります。多元性原理に基づいた復古調と単元性原理に基づいた外来の異文化導入が繰り返された日本の歴史をみることができます。
    記紀の虚構の隠蔽は真実へのアプローチを忌避させました。本居宣長、西田幾多郎(西田幾多郎「日本文化の問題」 岩波書店 1940年/1982年)、小林恵子でさえ、記紀の封印した呪縛から逃れられませんでした。

およそ1500年間にわたって隠蔽と捏造を封印した人工皇統譜の記紀の存在は、日本人の論理的思考、本質表現に対する絶対的信頼感を喪失させたと思えるようになりました。日本人および日本の基軸である多元性原理のアイデンティティの論理的構築と本質表現は禁忌とされて、「言霊(コトダマ)」とか「もののあわれ」とか「島国性」とか「言挙(コトア)げせじ」とか「神話」とか「外国文化の導入による文明開化」とか「外部に漏らすのはご法度」とかで誤魔化し続けられています。
   
根源の隠蔽は、保守的組織に限らず革新を標榜する組織も閉鎖的にせざるを得ないのです。上層社会と下層社会は、類似する組織構造をもつことになります。先ず、閉ざされた個々の組織を本来の開かれた柔軟性のあるものに変える必要があります。

ただし、記紀を虚構な政治的書物として廃棄を主張するものではなく、その逆です。それは、事実を隠蔽・改竄していても事実を起点としているからです。神社も同様に貴重です。重要なことは、隠蔽・改竄された事実を掘り出す論理的思考の妥協しない行為です。

日本固有な多元性原理の論理構築は、簡単に短期間でできるものではないでしょう。外国の先端文化の紹介や導入ではなく、単元性原理を考慮した世界的視野にたった多元性原理のカルチャの深堀と再構築、そして、世界への論理的主張こそが、日本の知識人に求められていることです。「言霊(コトダマ)」や「もののあわれ」を超えた公理的な基本条件の解明と論理的システムの構築が真の知識人に求められています。

事実の種類はいろいろあり、人は目的や生き方によって事実の種類を適宜選択しています。論理的事実を基にするか、政治的事実を基にするかは、究極的に言えば個人の生き方に帰するところです。どちらを選択するかは、各個人の生き方の選択です。生き方は、個人それぞれ固有なものです。

1.「第一部 『DNA種族解析法』等の解析基盤」の概要 

1-1.新しく開発した「DNA種族解析法」

    本論は、人類遺伝学と分子生物学の分野のDNA科学を解析基盤としました。
    父親の核遺伝子情報(Y-DNAハプログループ)は息子にのみ伝達され、母親のミトコンドリアの遺伝子情報(ミトコンドリアハプログループ)はすべての子に伝達され、女性のみが更にその情報を伝えることができます。
    DNA構造には、同族の系譜、他部族との通婚の痕跡、アフリカからの移動経路、免疫経歴などの情報が埋め込まれていることが明らかにされ続けています。

日本人は,世界に類を見ない多くの主要なDNAクラスターを有する民族で、世界的に珍しい多民族国家であり、かつ部族間で非常に進んでいる混血集団です。

父系制と母系制が並存する倭国の皇統系譜を解析する上で重要なことは、「父系DNA種族」と「母系DNA種族」の二つの側面から解析することであることがわかりました。

新しく開発した「DNA種族解析法」とは、日本人男性にみられた核遺伝子のハプログループ(遺伝子分類群)・Y-DNAを少なくとも1%以上のレベルとなるグループを抽出し、そして、皇統の同一な継承系統を示すレベルのグループに試行錯誤して再分類し、これを歴史的に特徴ある種族を便宜的に称する「DNA種族」に対応させた皇統の系統解析法です。これにより、皇統および王統の系統の推移が明らかになります。

倭国皇統のY-DNAに対応している同一な承継系統を示す「DNA種族」は、五つの大系統と七つの小系統に分類できました。そして、倭国皇統と朝鮮半島の四韓の王統の個人別の「DNA種族」を家族関係の史料と漢字の字義ではなく音韻のみを利用した古代の形成漢字などを援用して試行錯誤を繰り返しながら比定しました。
    この過程において、同一人の氏族名は、父系と母系からの氏族名等をもっており、両側面からの解析が肝要であることがわかりました。

1-2.記紀の倭国皇統譜の解析における二つの基本条件

①DNA科学から得られた世界趨勢の結論によれば、日本の為政者の「DNA種族」は日本人に占める約40%から50%の最大多数であり、現在まで続いている「DNA縄文人」・Y-DNA「D1a2a1系」です。
 
人類遺伝学、分子生物学の世界の常識は、「世界中いつの時代も『権力者が子孫を多く残すのに圧倒的優位を保つ』」ということです。
    世界を驚かせているのは、この縄文社会の世界最長の持続性です。縄文人は、本格的な農耕を行わず、狩猟採集を生活の基盤としながら、1.6万年もの長期にわたって持続可能な社会を作りあげていました。こうした事実は、農耕を主軸に据えた通説の文明論を根底から揺さぶっています。
    この世界趨勢の古代日本の為政者の持続結論は、本「DNA種族解析法」による考察結果も裏付けました。
 
②小林恵子によって証明された「記紀の倭王」は高句麗王と百済王の約26/42=約62%が同一人であるという史料的事実を起点とします。
 
史料歴史学による小林古代史の「二つの顔をもつ倭王」と本論の自然科学に基盤をもつ「DNA種族」という別な体系による皇統系譜を比較照合した結果は、双方の体系の論理整合性が認められました。

1-3.多くの種族・部族の寄り集まりがもたらす日本特有の漢字の重層性

多くの種族・部族が共存・共生した倭国では、同じ実体でも異なる呼称音である場合にある部族では別な形成漢字が使われることがあり、また、同じ呼称音でも同じ字音の別な形成漢字が使われることがありました。
    中国でも秦の始皇帝が漢字と字音を統一するまでは、倭国と同様な状況でありました。
    つまり、一つの実体に対して、現中国のような一音一漢字ではなく、倭国・日本では複数の字音と複数の形成漢字が混在して流通するという漢字の重層性が生じる状況になりました。
    これが、いわゆる「言霊(コトダマ)」の本質です。

例えば、原初の「扶余(アマル)」は、古代高句麗語族では「天(アモ、amo)」、古代新羅漢語族では「鴨(カモ、kamo)」として流通しました。 
 「蛇」を実体とする「クマ」という音韻の形成漢字は、同じ音韻である「熊、雲、米、芋」などの形成漢字が部族毎に使われました。
 更に、垂仁朝時代に鮮卑族(多分、前族)が渡来系部族の盟主になった時、土地名などに対して新しい漢字と呼称音を被支配者に与えました。これに対して、旧勢力(主は匈奴系)は新たに与えられた漢字名に古くからの呼称音を仲間内では使用しました。そのため、現在でも漢字とは全く無縁な呼称音がまだ残っています。
     例えば、松江市の「東出雲(新:ひがしいずも、旧:アダカエ)」、大阪市難波の「坐摩(新:ざま、旧:イカスリ)」神社、奈良県桜井市の「新:粟殿(あわどの)、旧:大殿(オオドノ)」、兵庫県の「新:芦屋(あしや)、旧:青谷:アオヤ」などが現在でも重層して流通しています。

また、地名の改名は、和銅六(713)年に出された「畿内七道諸国の郡郷名に好字を著(つ)けよ」とした勅令に始まり、延喜式の「諸国部内ノ郡里等ノ名、並(みな)二字ヲ用ヒ、必ズ嘉名ヲ取レ」という勅令で全国に広まります。その前は、武蔵は「牟邪志」というように万葉仮名による一字一音が適用されていました。

現在でも漢字とは全く無縁な呼称音の多くは、旧呼称音の匈奴系、新漢字の鮮卑族系と推測されます。

このような背景のもとに、多くの種族・部族が集合した倭国においては、漢字は実体から離れ、漢字の字からみても発音からみても一つに体系化することは原理的に不可能になりました。これが漢字の重層性であり、この漢字の重層性は、倭国が多くの種族・部族の寄り集まりで「共生と融合」したことを示す象徴であり、我が国の多元性原理の原初の一例です。

中国では、『専権と覇権』の単元性原理を目指した秦の始皇帝が、各地の多様な漢字の字形と発音を統一しました。秦の始皇帝は短期で終わりましたが、中国の為政者は単元性原理を引き継いでいきます。
 
従って、日本の古代史の研究においては、漢字ではなく古代呼称音による解釈が重要で、ご都合主義による字面解釈は排されなければいけません。「言霊(コトダマ)」などという安易な理解は、断固排除すべきものです。
 
現在の日本は、漢字、ひらがな、ローマ字という日本特有な複数の字が流通している世界的に稀有な国です。また、最も基本となる名前や地名という固有名詞の音韻が一義的に決まっていないだけでなく、漢字の音韻は漢字を離れて自由な音韻を選べる風潮もみられるようになりました。

1-4.倭国皇統の氏族名や個人名のいろいろな付け方の例

①合体した両方の氏族を表わす名
・「大(父系氏族名)」「歳(母方父系氏族名)」:大歳。
・「春日(母系氏族名)」「和珥(父系氏族名)」:春日和珥童女君、春日和珥深目。
 
②合体した二つの部族の名を併記
・媛蹈鞴五十鈴媛命:媛蹈鞴(匈奴系部族名:漢語文法)五十鈴媛命(倭人系部族名:春秋時代呉越文法)」。
・大歳:大/太/多族と濊族の合体
 
③母系氏族名
・天氏:春秋時代呉系倭人の氏族名。原初語は、「扶余(あまる)」。古代新羅漢語は、「鴨(かも)」。
・春日氏:春日和珥童女君。
・石上氏:石上氏宮古郎女=春日娘子、(二代目)堅塩(キタシ)媛、(四代目)宝皇女。
・弓削氏:物部弓削倭古、物部弓削守屋。
・朴氏:和珥日爪(ワニノヒツメ)=朴英失[=第21代雄略]
  第21代雄略は、母方朴氏と古称の牟(ム)氏を併用使用。
  和珥日爪(ワニノヒツメ)は、父系では「DNA源流鮮卑族」和邇氏ですが、新羅宮廷内では「母系DNA縄文人混血呉系倭人」の母方氏族名の朴氏を使用して朴英失(ヨンシル)を名乗り、その後、百済第22代牟氏文周王(在位∶475~477年)は古称の牟氏を称します。
 
④父系と母系の氏族名の併記
・「物部氏(父系氏族名)」「弓削氏(母系氏族名)」;物部弓削倭古(=第29代欽明)、物部弓削守屋。
・「春日氏(母系氏族名)」「和邇氏(父系氏族名)」:春日和珥童女君、春日和珥深目。
・「物部氏(父系氏族名)」「石上氏(母系氏族名)」:物部石上贄古(ニエコ)。
 
⑤生育した母方の倭国領国名を用いた別名
・葛城襲津彦[=新羅・角干(官位1等官)金末仇(バツキュウ)]。
・尾張弟彦[=新羅・金氏宝海(第26代継体の祖父)]。
・尾張岐閉(キヘ)[=彦主人(ヒコウシ)王=新羅・葛文王金氏習宝(第26代継体の父)]。
・尾張連草香[=新羅第23代金氏法興王(在位∶514~540年)(第26代継体の異母兄弟)]。
 
⑥伴侶の氏族名を用いた別名
・物部弓削倭古[=蘇我稲目=第29代欽明天皇]。
・物部大市御狩[=蘇我稲目=第29代欽明天皇]。
・黒姫命(=春日建国勝戸賣)の別名:節名草(フシナクサ)姫/草名草(クサナクサ)姫/草名節(クサナフシ)姫。
・宇迦御魂命=沙本之大闇見戸賣の別名:尾張大海媛/尾張大倭媛、高志沼河姫 、意富阿麻比売、葛木高名姫命。
・新羅・角干(官位1等官)金末仇(バツキュウ)の別名:葛城襲津彦。
・高句麗王妃=新羅・只召(チソ)太后=新羅・息道夫人=金官伽倻・金桂花の別名:尾張目子媛。
・額田部皇女の別名:物部太媛。
・宝皇女の別名:(二代目)物部鎌足姫大刀自。
 
⑧倭国領国の通称
・吉備国女王の通称の吉備姫王:宝皇女、額田部皇女、額田王。
 
⑨倭国『大后等』に見出された新羅名(別表:2-7.表4,5)
 
「DNA春秋時代呉系倭人混血縄文人」の物部氏、尾張氏の氏族名や新羅名の別名が見出された男王の例
・第16代仁徳の庶子、第26代継体の祖父の新羅金氏9世代新羅・宝海=尾張弟彦=卜好。
・第16代仁徳の庶孫、第26代継体の父の新羅金氏10世代新羅葛文王習宝=尾張岐閉(キヘ)=彦主人(ヒコウシ)王。
・新羅金氏12世代、第29代欽明(キンメイ)=『大連』物部大市御狩=物部弓削倭古=蘇我稲目(506年生~576年歿)。
 
漢語系文法と倭文法の名の表示例
・(漢語系文法)彦国葺(ヒコクニフク)命⇔(倭文法)国葺彦命/葺彦命/葺彦国命。
・(漢語系文法)葛文王習宝(新羅文法)⇔(倭文法)習宝葛文王。
・(漢語系文法)天皇仁徳⇔(倭文法)仁徳天皇。
・(漢語系文法)皇帝武(漢文法)⇔(倭文法)武帝。
 
女系氏族名と男系氏族名の併記の配置順序
・春秋時代呉と春秋時代越は、女系氏族名が先、次に男系氏族名の配置順:春日(女性氏族名)和珥(男性氏族名)童女君。
・匈奴、鮮卑族は、男系氏族名が先、次に女系氏族名の配置順:物部(男性氏族名)弓削(女系氏族名)倭古。
 
氏族名と称号の借用
<母方父系の氏族名を借用>
・新羅第9代(借用)昔氏(&金氏)伐休(バッキュウ)・尼師今
新羅の「DNA匈奴金氏」である新羅第9代(借用)昔氏(&金氏)伐休(バッキュウ)・尼師今(在位:184~196年)[=金官加羅初代金首露王(初代伽耶諸国盟主)=初代大国主・スサノオ]が母方父系の昔氏を借用。

<借用した氏族名>
・「トベ」系統が「戸売(トメ)」系統の「春日氏」を借用。
春日氏は、本来大加羅女王国の「DNA縄文人混血越系倭人」・Y-DNA「O1b2系」の母系氏族名ですが、垂仁天皇時代以降の「母系DNA縄文人混血呉系倭人」・Y-DNA相当「O1b2系」)」が借用して春日氏を称しました。

<王称号を借用>
・「DNA原始鮮卑族」和邇氏が箕(キ)氏辰国の「辰王」称号を借用。
 
韓国の民間伝承
韓国の歴史ドラマの中で、韓国の民間伝承による倭国『大后』の新羅名、百済名があります。
・ソンファ(韓国字:선화공주、漢字名:善花)=百済・善花王妃=新羅・善花公主[=額田部皇女(554年生~628年歿)]:薯童(ソドン)説話、韓国ドラマ「ソドンヨ(薯童謡)」、韓国ドラマ「階伯(ケベク:계백)」。
  
・百済王妃・沙宅(サテク)ヨン[=百済・宝王妃=新羅・宝公主/宝姫(ボヒ)=宝皇女]:韓国ドラマ「階伯(ケベク:계백)」。養父は沙宅積德(サテクジョクドク)、実父は達頭=聖徳太子、実母は額田部皇女。

・百済王女・スベクヒャン(漢字名:守百香/手白香):韓国ドラマ「帝王の娘スベクヒャン」。父は百済第25代武寧王。

・百済王妃・恩古(ウンゴ:은고)[=間人(ハシヒト)皇女(生年不詳~665年歿)]:韓国ドラマ「帝王の娘スベクヒャン」。父は百済第30代武王(在位:600~641年)=高句麗第26代嬰陽王(在位:590~618年)=第34代舒明、母は新羅・宝公主/宝姫(ボヒ)=百済王妃・宝公主=新羅・涓花夫人=宝皇女(593年生~661年歿)。百済第31代末王義慈王(在位:641~660年)[=第36代孝徳]の王妃。
<第一章以上>