見出し画像

会社に"自身の存在価値"を託してはいけない。

私はオンとオフをはっきりさせる人間である。
オンの時はローヒールパンプスにタックパンツを履き、
地声だと騒がしい環境の中発言しても聞き取ってもらえないため明るめの声で話すなど声までコントロールしている。
朝礼の時は遠くの席に座っている方にも聴こえるくらいの大きめの声。
お礼を言うときは蜂蜜が混じったような優しい声を心がけたり。
物音は静かに。道は譲る。当たり前だと思うことを自然に行う。


ただ、その分反動が来てしまい、
家でオフになると
背中に苔が生えているナマケモノのように
その場から動けずに足を広げてダラーンとしている。リモコンやお菓子を取るにも一苦労である。

最近、そこ別に頑張らなくても良いと思えるようになってきた。
裏表を作らずに職場の人と接しようが、地声で話そうが問題と思う、
しかし、自分のオンオフを作って社員の方と接しないと
"自分の存在価値"が職場で無くなってしまいそうな気がしたのだ。
"配慮を受けて働いている立場の低い私"。
居場所を確保する為に多少のストレスがあろうが
脳内の隅に移動させて気づかないふりをした。



ところが、今月に入ってから
異動してこられた社員の方が1名来られ、
少し部署の雰囲気が変わってしまったのだ。
私は学生の頃クラス替えした際に慣れるまで8ヵ月ほど時間を要するくらい環境の変化への順応が下手な私は
移動してこられた社員の方に勝手に気を遣い、
環境の変化に疲れ、
とうとう1週間以上不調となってしまった。
苛つきが酷く些細な他人の言動に怒ってしまい、
沸点が低くなった自分に振り回され感情のコントロールの1つも出来ない自身が大嫌いになった。


酷い精神状態で退勤したある日、
ふとお腹が空いていることに気がついた。
カフェでココアとホットドック…という気分でもないし、
好きなお寿司がある回転寿司屋さん…はコロナ対策用の仕切りが取れてしまいプライバシーが無い。
そこで会社の近くにある定食屋さんがあることを思い出し、
何か食べようと思いお店に入った。

鬼おろしがかかった唐揚げにポン酢をかけて頂く定食を注文。
ポン酢をつけて唐揚げを噛むと
じゅわぁ…と口いっぱいに肉汁が広がり幸せな気分になった。

ふと、定食屋さんは会社のすぐ近くなのに
ちょうど死角に立地されており
会社のビル自体が見えていないことに気がついた。
会社のビルが見えていないだけでこんなに心が落ち着くのかと驚いたことと同時に、
「見えない時もあるビルの一室で私は悪戦苦闘していたのだな…」と考えた。

私は会社に自分の存在価値を全て預けていたのかもしれない。

仕事が出来れば存在価値がある。
ミスをすれば存在価値はない。
そう白黒決めるのではなく、
"私は私"の為、
ビルのとある一室での仕事内容や他人からの評価で
"自分は生きていい存在"だとか
"生きてはいけない存在"だとか決めなくていい。
私は私であり、何者にもなれない。
自分の評価は自分で決めたいし、
他人に例え言われなくても今踏ん張っているか・頑張っているかどうかは自分が一番知っているのだから。他人に自身の存在価値を託してはならない。

そう考えると心が軽くなり、
定食についていた優しく温かい味噌汁を
美味しく頂くことができた。


帰りにすぐ会社のビルが見え、
すっと上まで見上げたが、何故か馬鹿馬鹿しくなり
不気味だが笑いながら帰った。


不調が続いている原因として
ホルモンバランスもあるだろうし(元々酷いのだ)、
寒暖差が激しく日によって気温が変わるため
季節の変わり目の鬱も影響していると思う。
これからも「私が悩んでいたことはたかが一室での出来事」と割り切り過ごすことができたらと思う。
自分を大切にしたい。人生の主役は自身なのだから。

また何か迷ってしまった時は
あの定食屋さんに行って自身の原点に戻れたらと思う。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?