仮想対談 茂木健一郎vsひろゆき

この動画をベースに茂木さんとひろゆきさんを対談させました

ひろゆき: 茂木さんに挑む

正解とは何か

ひろゆき: 茂木さん、正解なるものは存在しないって言うけど、それって結局逃げじゃないですか?何かしらの基準がないと、全てが曖昧になってしまいますよね。例えば、会社での意思決定でも、明確な基準がないと混乱するだけじゃないですか?

茂木健一郎: ひろゆきさん、確かに明確な基準がないというのは不安に感じることもありますが、人生には一つの正解がないという現実を受け入れることが重要なんです。例えば、あなた自身も多くのテーマについて柔軟に議論していますよね?それこそが多様性の証なんです。どんな状況にも絶対的な「正解」があるわけではなく、その時々の状況や個人の価値観によって変わるものなんです。

ひろゆき: でも、例えば数学の問題には絶対的な正解がありますよね?すべてが相対的だと言ってしまうと、そういった客観的な事実も否定することになりませんか?

茂木健一郎: もちろん、数学や科学には絶対的な真理が存在します。しかし、私が言っているのは、人生や社会の複雑な問題において、単一の正解が存在しないということです。個々の人生にはそれぞれ異なる背景や価値観があり、その中で自分なりの答えを見つけることが重要なんです。例えば、どの仕事が自分にとって最適かという問いに、普遍的な答えはありません。個々の経験や価値観に基づいて、自分なりの答えを見つける必要があります。

AI時代の「知性」

ひろゆき: 次に、AIについてですが、AIの時代においては、客観的なデータやアルゴリズムが正解を導くことが多いですよね?人間の直感や経験よりもデータの方が信頼できる場合も多いですし、AIが多くの領域で人間を凌駕することも増えています。

茂木健一郎: それは一面の真実ですが、AIには創造性や倫理的判断が欠けています。バッハの音楽を選ぶというような文化的な判断は、人間の知性に依存しています。AIはあくまで道具であり、人間の補完に過ぎないんです。AIは大量のデータを処理し、パターンを見つけることが得意ですが、未知の問題や創造的な解決策を見つけるには限界があります。人間の直感や創造力が必要とされる場面では、AIはまだまだ及ばないのです。

ひろゆき: でも、今のところAIは急速に進化していますし、将来的には創造性や倫理的判断も持つようになる可能性はありませんか?その時には、AIが人間を完全に凌駕することも考えられますよね?

茂木健一郎: もちろん、AIの進化は続いていますし、将来的にはさらに高度な能力を持つようになるかもしれません。しかし、AIが持つ創造性や倫理的判断は、人間が与えたデータやプログラムに依存しています。AIが完全に自立して創造的な判断をするには、まだ多くの課題があります。人間の知性は、経験や感情、直感など多くの要素から成り立っており、それをAIが完全に再現するのは非常に難しいのです。

マウントする「賢さ」

ひろゆき: 次に、「賢さ」の問題ですが、偏差値や試験の点数で賢さを測ることがダメだと言うのも分かりますけど、どうやって客観的に賢さを測るんですか?誰もが納得する基準が必要ですよね?

茂木健一郎: 客観的な評価基準は確かに重要ですが、それだけでは人間の多様な才能や能力を捉えきれません。常識を破り、新しい道を切り開く能力は、点数では測れないんです。実際、歴史的な偉人たちはそのような能力を持っていましたよね。例えば、織田信長やナポレオンのような人物は、既存の枠組みを超えて新しい道を切り開きました。彼らの賢さは、単なる知識や情報の量ではなく、創造力やリーダーシップ、直感的な判断力にあります。

ひろゆき: でも、現代社会では、特に企業や組織では客観的な評価基準が必要とされますよね。そうしないと、公平な評価が難しくなりますし、個々の主観に依存すると不平等が生じる可能性もあります。

茂木健一郎: その通りです。客観的な評価基準は必要ですが、それが全てではないということを理解することが重要です。偏差値や試験の点数だけでなく、個々の創造性や問題解決能力、リーダーシップなど、多面的な評価が求められます。企業や組織においても、単に点数や数値だけでなく、人間性やチームワーク、クリエイティブな思考などを評価する仕組みが必要です。

ファッショナブル・ナンセンス問題

ひろゆき: フランス現代思想を批判していますが、科学に対する批判的な視点も必要じゃないですか?全ての科学的主張が正しいとは限らないですし、時には間違っていることもありますよね。

茂木健一郎: もちろん、批判的な視点は重要です。しかし、科学的実証主義はデータに基づく知識の構築を目指しています。一方で、ポストモダニズムの極端な相対主義は、実際のデータを軽視することがあります。例えば、ソーカル事件のように、物理学者が偽の論文を書いて、ポストモダニズムの学術誌に掲載されてしまったという出来事もあります。こうした事例は、相対主義が行き過ぎると、現実との乖離が生じる危険性を示しています。

ひろゆき: でも、ポストモダニズムが全て間違っているとは言えないですよね。確かに行き過ぎると問題があるかもしれませんが、科学の限界を認識し、新しい視点を提供することも重要です。

茂木健一郎: その点については同意します。ポストモダニズムが科学に対して批判的な視点を提供し、新しい視点を開くことは確かに重要です。しかし、重要なのはバランスです。科学的実証主義とポストモダニズムの両方の視点を持ち、データに基づく知識と批判的な思考を両立させることが求められます。

東浩紀への提案

ひろゆき: 東浩紀さんが大学に戻るべきだという提案も、大学の硬直性を打破するための一つの方法かもしれませんが、現実的には難しいんじゃないですか?大学のシステムは非常に保守的で、新しい視点を取り入れることは簡単ではありません。

茂木健一郎: 確かに、現実的な課題は多いですが、変革を起こすためには新しい視点や才能が必要です。東浩紀さんのような独立した思想家が大学に入ることで、アカデミアに新しい風を吹き込むことができると信じています。私自身も大学院生の指導経験があり、大学以外の民間研究所や文化人としての活動も経験しているため、様々な立場の長所と課題を理解しています。東浩紀さんのような人物が大学の教授として受け入れられることで、日本のアカデミアの硬直性を打破し、新しい活力を生み出せるのではないかと考えています。

ひろゆき: でも、大学の制度はそう簡単に変わるものではないですよね。教授会や学問の伝統もありますし、新しい視点を取り入れるには多くの抵抗があるでしょう。実際にどうやってそれを実現するんですか?

茂木健一郎: それは確かに大きな課題です。しかし、変革は一歩ずつ進める必要があります。まずは、大学内部からの意識改革が重要です。教授陣や学生たちが新しい視点を受け入れ、学問の枠を超えた交流を促進することが必要です。また、外部からのプレッシャーや社会のニーズも変革の原動力となります。社会が求める新しい知識やスキルに対応するために、大学も柔軟に対応する必要があります。

ひろゆき: なるほど。茂木さんの言うことにも一理ありますね。確かに、絶対的な正解がないことを認識し、自分の道を切り開くことは重要です。AIも人間の補完であり、創造性や倫理的判断はまだ人間の役割ですね。また、偏差値や試験の点数だけでなく、多面的な評価が必要なのも理解できます。フランス現代思想の批判もバランスが重要だと。東浩紀さんのような人材を大学に受け入れることで、新しい風を吹き込むことも賛成です。

茂木健一郎: ありがとうございます、ひろゆきさん。お互いに異なる視点を持ちながらも、共に新しい道を探ることができると信じています。重要なのは、議論を通じて多様な視点を理解し、現実の問題に対して柔軟に対応することです。これからも、建設的な議論を続けていきましょう。


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