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#10 脳腫瘍入院生活🥶(ICU編)

ここから先、手術及び処置関連のことは正直辛すぎて覚えていません。思い出してしまう=私の心が崩壊してしまいそうなほど、精神的に参ってしまい、日常生活にまで支障をきたしそうだからです。ですから、覚えている範囲のことを記載します。間違いだらけなのを承知の上で書きますので、どうかご容赦ください🙇

看護師さんは3交代制でした。
【看護師勤務体制】
・日勤…9〜17時
・準夜勤…17〜深夜1時
・夜勤…深夜1〜9時

✴︎他病院のことはわかりません


朝を迎えると、夜勤の看護師さんから日勤の看護師さんにチェンジ🙆‍♀️朝から怒涛の検査が始まりました。
まず、腹部レントゲン、胸部レントゲン検査。多分手術による圧迫での骨折等がないかを確認するためでしょう。
次に、とりあえず造影剤ありでのMRI検査。(造影剤を使うことで、より鮮明な画像が撮影されると検査技師さんから説明があったような記憶があります)MRI検査に関しては、未だに内容及び結果が開示されていないのでわかりませんが、結果に異常があれば処置がなされるはずなので、まあ結果は異常なしだったということでしょう。
加えて、ICUおよびHCUでは日勤の時間帯(これは私の入院先の病院ではどの科も一律同じでした)にタオル拭きがありました。病院からお借りしている病院着を自分では思う様に脱ぎ着できず、タオルで自身の身体を拭くなんてもってのほかだったので、申し訳ないのですが看護師さんにお任せして、下半身を温かいタオルで拭いてもらい、履いているオムツを脱がせてもらってからオムツを履いていた部分を拭いてもらい、最後に上半身を拭いてもらったらタオル拭きは完了でした👌昨晩は心拍数や血中濃度、パルスオキシメーターの数値に異常がなかったので、「ピコン、ピコン」というちょっとした迷惑音とも言える大きな音は鳴らずに済みました😊(とは言っても、誤って指を外してしまうとアラーム音はなってしまいます)

その後は朝ごはんも食べられないので点滴で栄養補給といった感じで午前中は終わりました。

午後には、2日目となるPTさんによるリハビリ。
PT「じゃあリハビリ始めるよ〜。まずは昨日の復習のベッドを直角にしてから倒れない様にする訓練ね。」
私「今日は倒れない!」と強い意志を持って臨みました。
すると、倒れそうになりながらもなんとか倒れずに済みました💕
PT「やるじゃん!でも、左に傾いてるのは事実なんだけどね」
私「なんで左に傾くのだろう…」と言いたかったが声が出ないので言えなかったです。
後々後遺症として左全身麻痺が残っていることを知らされるわけですが。
PT「じゃあ前傾姿勢になろう。前向くよ〜」
と言われましたが、やはり私の場合は前傾姿勢になれるほどの能力はまだありませんでした。。。
また、腫瘍摘出手術の直後はまだコロナ禍直前で面会が可能だったので、15分面会可能で、夫、家族も面会に来てくれました。

ついでにと言っては失礼ですが、主治医もやってきました。
主治医「やほー、調子はよさそうだね。昨日も話した通り、目の瞳孔の開きが気になるな。MRI検査で脳の髄液の流れがよくないんだよな〜まあとりあえず、11日間頑張れ!」と言われました。「10日が山場と盗み聞きしたのに、10日から11日に伸びてるじゃん😢😭」と一瞬言いたかったが、当然声が出せないものはしょうがないので黙って聞いていました。

それからしばらくすると、準夜勤の看護師さんと交代しました。その看護師さんは若手の方だったので、先輩看護師さんに都度確認の連絡をとりながらお仕事をしている様でした。そんなこと聞かなくてもわかるじゃん!ということまで質問しているくらいだったので、よほど慎重な方だったのだと思いますが、当時の私はそんなこと聞かなくてもわかるでしょ。といった感じで少々イラッとしていました。
というのも、2020.01.17から再入院になった際にウェイスという検査をしており、その段階で認知症ではないが、高次脳機能障害と診断されていました。(検査結果は後々他の科であっさり伝えられることになるのですが、当時の私は知りませんでした。)そのため、感情の起伏や苛立ちが表に出ていたのだと思います。それで、苛立ちがちょっと看護師さんをビビらせていた様にも感じました。当時準夜勤だった看護師さん、ごめんなさい😞🙏

そこから先はほとんど記憶がないのですが、どうにか起き上がれる様になり、いつのまにかウィスパーボイスではありますが、ゆっくり本当にゆっくり話せる様になりました。
1文話し切るのに5分くらい要するほどの速さだったと後に夫から聞きました🦻

4日目くらいから、毎食ゼリーが出てくる様になりました。味は葡萄とお茶ゼリー。私はお茶ゼリーがあんまり得意ではなかったので、葡萄ゼリーのみ食べていました。

ICUでは毎日のMRI,CT検査が行われており、記憶する限りでは深夜になると3,4回はCT検査が行われていました。MRI検査は日中だと外来患者さんで混み合うため、早朝にMRI検査を1回行っていました。そこまでして命を救う必要があるのか?それほどまで死にかけている人をあえて救わなくてもいいんじゃないか?というのが私の本音でした。

そうこうしていうちに、山場の11日間を過ぎ、HCU(高度治療室)に移ることとなりました。

ここまで書くのに5日を要しました。3年以上前のこととはいえ、辛いことを思い出すのは結構気が滅入りますね😎

長文にもかかわらす、お読み下さり感謝申し上げます。🙇‍♂️

※本記事は2020年当時に私の身に起こったことを振り返りながら記事にしております。

2023.04.13記
2023.06.08追記

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