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《掌編》淀みに咲く花  YSL LIBRE EDPに寄せて

 有給をとり勇み足で挑んだ長いショッピングの帰り道は、まぶたの下にへばりついたダークグリーンのアイシャドウのように滑りやすい道を小幅で歩かなければならなかった。真っ暗で苔むして、いつ転ぶか分からない、佑以子はインスタグラムでチェックし発売を楽しみにしていた冬コート、アイシャドウなど全てに手をとったものの、何かがそれを止めさせた。世の常識だ。

 大きなビジューのついた水色のビッグカラーコート、偏光ラメがふんだんに使われた赤色のアイシャドウ、どれもスマホで見ていた通りのもののはずなのに、いざ手に取り自分に当ててみたら、なんだか華やかな繁華街のビルの二階の居酒屋で馴染みの店長に愚痴だけを募らせる初老の女が持っていそうなそれに見えたのだ。そして、自分の中にそんな妄想が存在することに佑以子は驚いた。いつの間に、好きなものに躊躇するようになってしまったのだろう。

 子どもの頃に読んでいなかった本を今更手に取るのは恥ずかしい、飲んだこともない洋酒について上司が恵比須顔で話すときも、それは知っていなければならないように感じていたし、大好きだったはずの焼鮭のカリカリとした皮も、いつの時からか丁寧に剥がして食べるようになっていた。

 長いこと歩き疲れた末、佑以子が唯一購入したものは香水だった。当初、目当てにしていたリップを購入する予定だった。それは色もタッチも悪くなかった。だが、佑以子は疲れた。

「他にご入用のものはございますか」

 このままなんの戦利品も得ないまま家に帰るのは癪に触った。気になっている韓国のアイドルグループのポップを目にした佑以子は、あちらの香りを、と店員にお願いし、リブレのオードパルファムを吹きかけたムエットから漂う香りを、少し強いかしら、大丈夫かしら、と感じた。

「これください」

 店員は頼まれるでもなく、オレンジブロッサムについての説明、ラベンダーの産地などについて話をする。財布からクレジットカードを出し、決済を済ませる間のこうした店員とのやりとりは佑以子の気分をいくらか軽くさせた。

 外はとうに暮れており、いつの間にか降った雨がいつの間にか止んだようだった。地面にはいくらかの水たまりができている。今週末には雪が降る、と電車内のモニターがさっき伝えていた。

 帰宅をして、佑以子はエアコンの電源を入れ、着ていた服を片付けると、もうあとは何もする気がしなくなった。有給を取った本来の目的はショッピングだけではない。今日は職場で仲良しの同僚、光の退職日だったのだ。

 光が佑以子の彼氏である隼也と結婚する予定であることを佑以子は数日前に人伝てで聞いた。隼也は佑以子の5歳年上で佑以子とは職場の関係で知り合い、付き合って5年が経とうとしているところだった。光からも隼也からもなんの連絡もない。

 イヴ・サンローランのリブレの封を開ける。

 察して常識的に振る舞うことが佑以子が平静を保つためには必要な所業であると考えていた。

 ワンプッシュ、もうワンプッシュ、空に弧を描く。

 ラベンダーの濃厚で甘い香りが漂う。

 今頃2人は何をしているのだろうか。

 もう1度今度は自分の胸の中心に広く香水を吹きかけた。佑以子の嘆息と涙を吹き消し、代わりにリブレが大きく、声を立てずに笑っているようだった。


リブレに着想を得て書いた掌編小説です。
仁見


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