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夢を砕く大人になりたくない

私たちは多くの道を選び
多くの経験とともに時を過ぎ、大人になった。

私は歳をとることに嫌悪がないほうかと思う。
それは学生の頃からの過ごし方にあって、
常に憧れる先輩がいたし。
常に憧れる先生がいた。

時間軸の少し先には、
常になりたい誰かがあって
ありたい姿もあった。

社会に出て間もない頃は職場の先輩の言葉が
常に頼もしかった。

SNSでは共通の趣味から
歳上の女性と仲良くなり
よく遊んだり買いものに行ったりしていた。
姉妹ですか?母娘ですか?とタクシーで言われて
笑った思い出が楽しい。
母を早く亡くした私には
お洒落で綺麗な彼女の何もかもが輝かしかった。

先に生まれた人が偉いわけではない。
だが、少し先には常に憧れや輝きがあって。
よく言う「歳をとりたくない」に値しない。

高校時代に教師が言った言葉が忘れられない。
「俺は生徒たちを信用してない」

まだ素直さが残っていた私は←笑うところ。
「え?先生って私たちを信用しないの?」

こう思った事がある。
その時に、先生に対する意識が変わった。
先を生きる人のふるいがけとでも言うべきか
自分の中に「ああいう風になりたくない」
が生まれた。

価値観はそれぞれだが、
若いころは何事も主観で道標が
かざみどり🐓のごとくクルクルと回転する。

自分の明るい未来を描く事ができれば、
常に些細な過去は小さくなり、未来は大きい。

良いことに目を向ける事で
最悪な出来事も縮小される。

大人になってから中高生と話すことなど
全くない日常だったが
最近少しだが話す機会があった。

彼らは輝かしい。
しかし我々大人も輝きを忘れたくない。

彼らの道標にはならずとも、
環境を作っている端くれは暗くありたくない。
夢を持った彼らを砕く大人ではありたくない。

大人って大したものじゃない。
承知の上で自分を改める想いは常に持ち続けたい。

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