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もるすこちゃんの記事がとてもよかったのでシェアします

統一教会元2世のもるすこさんの記事が素晴らしかったので、シェアします。

『平成狸合戦ぽんぽこ』大昔に観たっきりだったから、私も今度観よう。
ありがとうございますもるすこさん。

私には統一教会2世の友人がいるのですが、彼女にしろ、他の統一教会2世にしろ、みんな「隠れなきゃいけない」という意識がすごく強いな~と感じていて、私はそれを(一体なぜなんだろう?)といつも不思議に思っていました。
そうやって黙って隠れているから、闘わないから、一般人は私たちのことを誤解し、信者たちも一般人と感覚が合わなくなって、その誤解の苦しみが子や孫の代まで続くのではないのかと。
(今にして思うと、傲慢すぎるな~)

私は創価学会であることを隠していなかったので、そんな私を見て彼女も「うちの家にも宗教がある」と言ってくれたのですが、具体的な宗教名を知ったのは大分後だったんですね。
はっきり言ってこないので、創価学会や伝統宗教でないことはなんとなく察してはいたのですが……今から思うと彼女は山里で暮らす臆病なタヌキで、私に打ち明けるのにさえ、ものすごい勇気が必要だったのに、私はなんと浅はかだったのでしょうか。

同じ宗教2世でも私は創大を出ている創価3世なので、中学校から大学までの同級生や接してきた先生、警備員から食堂の調理師さんたちに至るまで周囲にいたのはほぼほぼ全員学会員だったし、公立小学校に通っていたときですらクラスに3人くらいは学会員の友達がいました。日曜日になると、そのお友達や弟妹たちとみんなで連れ立って、少年部の会合に行きますし、林間学校でお寺に行ったときは、参拝のときどういう態度を取るか、みんなで打ち合わせしたものです。

創価学会の理事長の息子として生まれたばっかりに、母親に作文を検閲されて『うちのお父さんは広宣流布のために世界中を飛び回っています!』って強制学会宣言させられて小学校でいじめに遭う、正木伸城さんみたいなヘビーな経験もしてません。
一番多感な思春期をタヌキの学校でのびのびと過ごしたことは、一個人としてはあながち不幸なことではなかったかもしれません。

もし統一教会が議員秘書に化けてこっそり政治家を操ろうとしていたタヌキであるならば、創価学会はタヌキたちが自分で山里を切り開いてビルを建て、街を作り、タヌキの顔のまま政治家になった感じがします。創価学会には他の新興宗教にありがちな純血主義もないですから、無宗教の人間とも結婚していって、どんどん数を増やしていきました。

そんな発展的なタヌキたちの末裔である私には、(どうせ就職先にも結婚相手にもバレるし)みたいな謎の開き直りがあって、創価学会の信仰から離れた後、一時期は会う人会う人に自分の実家が創価学会であることを言って回っていました。

なぜかというと、この記事でもるすこさんが書いている「幼少期から刷り込まれたタヌキの言葉や言い回しや思考パターン」を私も持っているから。だから会う人会う人に「タヌキの言動=沁みついてしまった創価の考え方や話し方が出てませんか?私は上手く化けられてる?変な化け方してるんだったら教えて欲しい」と確認して回っていたのです。そうしないと安心できないし、「実は私もタヌキなのよ」ってこっそり教えてくれる人も現れるしね。でもそれはある意味では自傷行為に近かったかもしれない。

そうやって「いや~うちんち創価学会ですから~」って世界中に弁解して回っていたら、ある日突然私の心に平安が訪れました。数年の間そんなこと続けていたら、いい加減気が済んだんです。案外みんな私を人間扱いしてくれるのだとわかって、そんなこと言わなくても過ごせるようになった。(もう創価学会であることは、私の重要なアイデンティティじゃなくなった)と自然と感じられるようになりました。そこからむやみやたらと創価学会宣言しなくなりました。
勤行唱題を辞めても、それまでは私=創価学会であり、切り離せなかったんです。
なのでここ数年仲良くなった友人は、私が宗教2世であることは知りません。わざわざ「私化けダヌキだけど平気?仲良くしてくれる?あなたはタヌキアレルギーとかない?」って確認して回る必要をもう感じなくなったからです。

そして私がタヌキであることを知っても怖がらない人と結婚して、新しい家族を作ることも出来ました。2022年7月の奈良の銃撃事件がなければ、私はタヌキ村で過ごしたことはもう話さずに一生を終えたことでしょう。ですがまた、「人里にも化けダヌキが住んでいるんですよ、私もそうです」と言って回って、タヌキアレルギーワクチンを打って回らなくてはならないのかもしれません。

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