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自分の仕事は、ブルシットジョブだと思う

タイトルのとおり、自分の仕事はブルシットジョブだと思う。
ブルシットジョブとは、ネット上の言葉になってしまうが、無意味で不必要で有害にも感じられる仕事を指す。

自分は広告関連業界にいる。クリエイティブ系や世間がイメージするバリバリの営業ではない。そして自分の仕事は無くていい仕事だと思っている。

ここで絶対に「世の中に不要な仕事はない」という突っ込みが入ると思う。確かに企業がある限り、広告業界が無くなることは考えづらい。ただこんなに関わる人は不要だと思っている。

一番違和感を感じていることは、そこまで必要とされていないものを無理やり作り出し、さらに無理やり差別化を図ろうとすること。そしてそこにまるで大義があるかのように努力する。

自分が関わっている領域はマイナーなため、あまり需要がない。だから、早くできる!などのポイントがないと売れないのだが、売れないものを無理やり売る必要性が見いだせない。

また、極論を言うと広告出稿に使っているツールは各社大体同じなので、結果として広告の成果は大して変わらない。じゃあ何で差別化するかというと出せるレポートの内容などになるが、結局価格、時間の競争になっていく。
そこで最終的に影響を受けるのが末端の作業者で、「次回も発注があるから」「予算が大きいから」といった付け焼刃の理由で押し通される。

また、別にいらないもののために半期ごとに「目標」を決めさせられ、それに沿った行動を求められる。スーパー屁理屈だがこの「目標」にも違和感がある。上から言われたことを個人単位での作業に落とし込み、いつの間にか自分が「やりたいこと」に変換させられる。でも、別に自分は「目標」を達成したいと思っていない。

不要なものにも政治的な動きが影響し、その政治のために合理的でない作業が増えることもある。
これは一体何のためにやっているんだろう?

先日、上司からこの仕事は縮小する懸念がある。だから頑張らないといけないと言われた。正直、だから何?と思ってしまった。もともと不要なんだから、それは必然でしょ。

上記は、広告業界に限った話ではなく、世の中にはあらゆる商品で溢れていて、だから価格競争が生まれ、買う側にとって有利になるのも分かっているが。

本当に不思議なのは、このような仕事がなぜエッセンシャルワーカーより給料が高いのかということである。(別に平均より目立って高いわけではない)給料は、社会への貢献度ではなく効率で決まるんだとしみじみ感じる。

じゃあなんでディスってまでそんなところにしがみついているの?と聞かれると思う。
それはごもっともで、金を稼ぐ以外の目的はない。
なんとなく流れ着いてしまい、他にできることもないと思ってしまったからここにいる。そしてこの仕事に就いたことで、全く他に生かせるスキルがないただの中堅会社員になった。
転職を試みたことがあるが、この業務以外のどこにも使えない知識をただ蓄積していることに気づいて愕然とした。

もし業務がもっとストレスなく楽であればそのまま乗っかって適当なところで辞めればいいやと思ったかもしれない。だがこの仕事で8時間以上拘束されそれなりにストレスを受けている今、何十年もい続ける未来が全く見えない(見たくない)。

改めて、これは自分が感じたことであり、同職種で充実感、誇りをもって取り組んでいる人もいると思う。そのような人を不快にさせたい意図はない。

ただ自分は上記のように感じる。
そしてさすがに行動しようと思っている。


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