DAOに関する記事を読むときの心がけ

本日は、会社員が会社から流行のDAOを検討せよとか、別の会社から「DAO」の提案があって、相手の提案の中身やDAOについて調べるときにひっかかると思われる点(注意したい点)を記載していく。

DAOはDecentralized Autonomous Organizationの略語で、分散型自律組織とか自律分散型組織など翻訳され、Web3.0時代の新たな働き方とか、株式会社を超える存在など多くの期待が込められて語られている。

一方で、Web3.0やNFTのような一種のバズワードになっていて、各自が自由にDAOという言葉を使っているように思えるところもあり、非常にわかりにくい部分がある。

特に、DAOの文脈で唐突に出てくることがある「スマートコントラクト」。これが最大に厄介である。

「スマートコントラクト」こそDAOを構成する本質的な要素という指摘(著名なエンジニアの方や法律関係の方など)がある一方で、「スマートコントラクト」なんて些末な問題と捉えるを人も大勢いる。

「スマートコントラクト」を要求しない立場の人も、非中央集権制の組合・コミュニティ要素を重視する方、DAOの目的である公共性に着目したり、財産の共有や分配などガバナンストークンに着目したりする。

「スマートコントラクト」こそがDAOの本質と考える立場はある意味わかりやすい。もっともDAOらしいといわれる「Nouns DAO」や、「the DAO」や「Flamingo DAO」のような投資関連のDAOは定義にも連動しているし、イメージしやすいからだ(各DAOの詳細分析はいつの日か。。。話はそれるが「Flamingo DAO」は極めてWeb3っぽいが、加入の際に身元確認、最低年収の条件を求められるらしいので、Web3の匿名性を強調しすぎると当てはまらなくなってしまうので。色々な書籍を読むときは例外がありうることを常に頭に入れないといけない。)。

DAOに定義はないと説明も多いが、明確に定義づけをされているケースが存在している。すなわち、米国のワイオミング州に通称DAO法と呼ばれる法律が2021年に制定されているのだ。(https://www.wyoleg.gov/Legislation/2021/SF0038。改正について https://wyoleg.gov/Legislation/2022/SF0068)。

この法律の中では、「DAO」も「スマートコントラクト」の定義も明確に存在するし、「DAO」であるためには定款にスマートコントラクトに関する記載をすることも定められている。

現に「American CryptoFed DAO」として登記されているケースも存在する。

では、「DAO」=スマートコントラクトが必須なのか。答えはそう単純ではない。

そもそもDAO法って何かを少し考えたい。違う側面からすると、なぜワイオミング州はDAO法を設立したのか。

日本であまり馴染みのないワイオミング州がなぜこのような積極的な施策を行っているかについて、明確な理由は調べ切れていないので推察になるが、普通に考えて企業誘致であろう。

アメリカで最も早く女性に選挙権を与え、アメリカ初の女性州知事を選出したように男女平等の精神が強いとのことなので、先進的な取り組みに抵抗はない州であると見受けられる。また米国で最も人が少ない地域となっていることもあり、企業誘致をするために、個人にも法人にも所得税を課していないにもかかわらず、企業誘致が進んでいないようである。

このような状況も加味してか、デジタル資産に関する法律を積極的に制定し、企業の誘致をすすめていると推察できる。実際にワイオミング州にはデジタル資産に関する法律が多数存在している。

それでは、なぜ法律の制定が企業誘致になるのか。ここは、自民党のNFTホワイトペーパーのDAOに関する問題の所在も参考になる。そこでは、「DAOの法人化を認める制度が存在せず、適用される法令(準拠法)、法律上の位置付け、構成員・参加者の法的な権利義務の内容、課税関係等、不明確な点が多い。」と記載されている。

すなわち、そもそもDAO法は、DAOという組織を法人として認める法律なのである。DAO法によりDAOが法人として認められるということは不明確な法律関係や課税関係があきらかになることを意味している。

つまり、どういうことかというと、株式会社、合同会社(LLC)、有限責任事業組合(LLP)、民法で定める組合などがあるなかで、DAOという団体にどのようなルールを適用するかを定めるかを明確にしているのである。

誤解をおそれずにいうと、「〇〇な条件が備わっている組織やそのメンバーは〇〇ができます」ということが記載されている法律なのだ。

ただ逆の言い方をすれば、狭義の「DAO」の定義があるというだけで、法律上のメリットを受けないものを「DAO」ではないと排斥する必要はない。

なので、DAOの本質を別に求めて、DAOの在り方を求めていくのはおかしい話ではないし、DAO法のDAOの定義にあてはまらないようなものであっても、DAOと呼ぶことは全く差支えないと思っている。実際に現在の日本ではDAOと名乗るものは、ただのファンコミュニティから、組織だったものまで色々あるし、DAO法のDAOに当てはまるようなものはほとんどないが、それらを全てDAOではないといったところで何も生まれない。

私自身は、その団体が「DAO」なのかどうか、DAOの定義がどうあるべきかは正直興味がない。ただ、DAO的なビジネスをやろうとするときに、何について定める必要があるのかを理解しておくことは重要だと思っている。だからこそワイオミング州のDAO法の規定なんかはもう少し勉強しておきたいと思っている。そのほかにもDAOの乗っ取り問題や解散問題などを理解しておくことの方が、重要だと思っている。

それとともに狭義の「DAO」が何かの理解をしたうえで、話し手や執筆者が、DAOをどのように捉えて、話していることを理解するようにしている。そうすることで、何となく「DAO」という流行言葉に乗せられてしまうことがないように心がけている。

そして、具体的にはどれとは言わないが、最近出版されて割と売れているらしい書籍のなかでも、本の中でDAOの考え方がいったりきたりしていて、非常にわかりにくいものも存在するので、そのあたりは注意して読むようにしている。


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