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思いを言葉に

この言葉とは、誰かに伝えるものではなく、自分自身との対話。
私が私に向って届けるもの。

簡単に言うと、心のもやもやを整理するための練習。



Hula is life.
・・・だった私が踊れなくなった。
日常から突然消えてなくなってしまった。
意思とは逆に。

嫉妬、妬みの感情は、その人から滲み出てくる。
最初は「ん?」「まあ、いいか」「・・・」から始まり
気付いたころには心が蝕まれている。

結局、誰も助けてはくれなかった。
いや、何をすればいいのか分からなかったのだと思う。
私が辛い思いを伝えると、最初の頃は励まそうとしてくれていた。
そのうち、言葉が減り、スタンプだけになった。

・・・ああ、みんな面倒なんだ・・・

そう思ってしまった。
もっと上手に助けを求める手段はあったのかもしれない。
でも、人に助けを求めることが苦手・・・というか、分からない。

「大好きなHula」のレッスンでハラスメントを受けていて、
それが辛いからどうすればいいのか。

ある人は、「そんな教室辞めてしまえばいい。」と言った。

教室を辞めた。
ハラスメントは誹謗中傷になって、どんどん広がっていった。
さて、「辞めてしまえばいい」と言った人の反応やいかに。

きっと、当事者ほどの意識はないままに発言したのだろう。
言葉の責任を取れ、なんて思わないけれど
親しくしていると思っていた人でも、他人事ってのは遠い次元で起こっていることなんだとつくづく思う。

他人はあなたにそんなに関心を持ってない。

他人の反応に敏感に反応して生きてきたんだ。
だから、しんどかった。
私もあなたにそこまでの関心を持たず生きるよ。

こういうと何かさみしい、虚しさを感じるのだけれど。
これは、生きていくうえでの知恵であり、ツールのひとつだと考えるんだ。

最近、静かな森の中で寝転んで青い空を見ていたい、とよく思う。
大好きなHulaの曲にもあった。
騒がしい喧騒から離れて、静かな山深くに逃げるお話し。
滝を流れる水と岩のように、二人は離れないんだ。

分かる人いるかな?





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