詩人のおじさんになりたい

私は醜い詩人です。
身体のそこかしこに濁ったシミが広がっていて、それは海を汚す油汚れのようです。
生きるのに必要なぶんだけの飯を食べているつもりですが、でっぷりとついた脂肪は私の身体を覆って動きを鈍くします。
しかし私は醜い詩人です。
美しい言葉は私の内側から生まれて、
紡ぐ言葉は汚れを知りません。
それは煌めいて花のように世界を彩ると思います。

夜空を星が埋め尽くし、動物がありのまま暮らす山に囲まれて私は1人で静かに暮らしています。

まだ忙しく夢を追う若者であった頃に、私はやっと一冊の詩集を世に出しました。
最初は人を愛する気持ちや自然の壮大さなどについて言葉を紡いでいたのですが、私の作風は都会で揉まれるごとに悲観の色を濃くしていきました。
結果、絶望の淵で紡いだのがこの一冊の詩です。
私は詩が愛されれば愛されるほど、人を信じなくなっていきました。
新人作家という看板のもとに集まった、女の囁きや甘ったるい香りに怯え、男の嘘の笑顔に軽蔑していたのです。
人間の悪意や欲望のなんたるかをまざまざと見せつけられました。
そして、何度目かの自殺未遂を終えてこの土地にやってきたのです。

もう人間にはうんざりでした。
ここで私は花と、土と、空と対話します。
言葉を持たぬそれらは私の心を最も揺さぶり、私に言葉を与えてくれました。
私の手によって育つ野菜や庭に咲き乱れる花を見ていると、私は決して孤独ではありませんでした。

5月の晴れた昼さがり。
私は薔薇の手入れをするために庭に向かいます。
満開のピンクの薔薇は見ているだけで祝福されているようなきもちになり、それに囲まれている間だけ、私は憎らしい肉体を脱ぎ捨ててることが出来ました。
その花言葉のとおり自分が「美しい少女」であるかのような幻想に浸ることができるのです。

花の香りに包まれながら歩いていると、ふと道に花弁が不自然に落ちているのが気になりました。
私は不安を抱えたまま息を殺して歩きました。
私のこのささやかな花の夢さえも人間に不条理に失われたとしたら。
私は祈りながら歩きました。

そこで私は眩しい光をみつけました。
美しい少年が、白くて華奢な手で花弁を撫でたかと思えば引きちぎり、私の花を贅沢に愛していたのです。

「あっ」と声が漏れると、少年はこちらに気づき、桃色の唇をあげて微笑む。
このとき私に込み上げた感動といったら!!!
またひとつ、取った薔薇を耳にかけるのをみて、私はその耳の繊細な美しさに泣きそうになりました。

世界一美しい瞳が私を見据える。
その目に映る僕はさぞ醜いのだろう。
彼の瞳を汚してしまうことを僕は恥じました。
しかし、なにかを試すようなまなざしに釘付けになる。

「すべてきみのものだ」
緊張でカラカラに乾いた喉からやっと出た言葉はそれだった。
少年は少し悪戯に笑った、ような気がする。
無様な私を残して風のように去っていった。

地面をみると、彼が遊んで土に落ちた花弁たちが羨ましかった。
この瞬間から、花は私の心を揺さぶる効力を失くし、そのかわりに彼を彩るという世界一崇高な使命を得たのです。

その夜私はなかなか眠ることができなかった。
目を瞑れば、彼の細部まで思い出そうとして頭の中がひどく煩かった。
「すべてきみのものだ」と彼に放った言葉にもだんだんと後悔が募った。
言葉を紡ぐことしかしてこなかった私が、生まれて初めて言葉への敗北を味わう。
私は彼が欲しくて庭に出る。
気が狂いそうなわたしは縋るように彼のいた場所に寝転び、土の上にキスを落とした。
こんなに沢山の薔薇に囲まれても、いまそこに彼が居ない事実ばかりが私を蝕む。

次の日も、その次の日も、一週間経っても彼は私の庭に来なかった。
この薔薇はもう全て彼のものなのに、当てもなく咲いている。

浮かれた色が太陽に照らされるのをみて、いじらしく思い、そして次に憎らしく思い、もう二度と会えないのではないかとめそめそ泣いた。
彼が弄ぶことのない花に意味はあるのだろうか。
そして私は全ての薔薇を焼き払った。

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