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あなたがいたから

高橋まゆみさんの写真から引用させて頂いています。 

人生の中で、同じ時間を共に過ごす事について考える機会ががあればそれは今なのかもしれない。

幼少期、両親が共働きで小学生の頃は祖母や近所の祖母の世代の方に可愛がってもらったり祖母に連れて行って色んな所へ行った。

今で言うと、田舎に住んでいた。
24〜5歳になるまで自分の住んでいた場所が田舎に属していると気付かない振りをしていた。

私の同居していた祖母は私が中学生の高校受験の頃亡くなった。祖母との時間は他の人より短かったかもしれない。

10年後、私が介護業についた時.
近所の祖母と近い方と話す。
「○○(私)ちゃんは、いつも周りの年寄りの人が心配だって言っていたよ。」
その言葉に驚いた。

私は、就職試験に10件以上は落ちて最後の最後まで介護は最後の手段という感じであった(不純)

単純に自分の中で、祖母のいない世界で私が生きている。祖母が生きているであろう年齢層の方と話すともし祖母が生きていたらなんて声をかけてくれるのだろう。
と想像してしまうのが辛かった。

仕事として介護をすると、ある意味で業務的になってきた。
 仕事と思うと人は、こんなにも業務的に淡々といられるのかと自分を関心してしまう。

そして20代後半、私は結婚をした。

月日が経ち

30代前半、今度は親戚が亡くなった。とてもよくしてくれた方で10日前に電話で話した所だった。年賀状を渡しに行く予定でいた。

主人の祖父母は健在で、絵が好きな主人の絵を年賀状を見て電話をしていた。主人の祖母はとても嬉しそうな声が電話越しでも聞こえてきた。

でも私の親戚は亡くなった。

事実だけ書くと、それだけ。

それだけなのに、悲しみが込み上げる。

多分、一緒にいる時間がどれだけ長いかという
問題ではないのかもしれない。

どれだけ相手との時間を自分が大切にしてきたか。

やっと少し理解出来た気がした。

悲しみに打ちひしがれるのではなく、今まで受けた愛を胸に生きていこうと書いて思った今日であった。

沢山の愛をありがとう。

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