ピンチのときこそ下積みの成果が出るとき
最近、久々に大きなピンチが訪れました。自分に対して本気の問い合わせが必要な場面だったのですが、今回はかなり判断がむずかしい局面を迎えていました。一つおもったことといえば、あ、ちょっとステージがあがっているかもな・・・という感覚でした。というのは、順当に考えて答えのでない状態だったからです。
例えばなんですが、最近でいうとてんちむさんが5億の賠償問題で支払いを考えた際に、「普通に会社員で働かないんですか?」という問いに対して、逆にリスク。返せる方法ではないと答えていました。普通の人は地道に働くという考えですが、金額を考えると返せないって話になります。なので、返せる方法を考える必要があって、それは普通の人の考えが及ばない部分でもあるのだと思います。私の場合は金銭的なものがはっきり発生するわけではなかったのですが、選びようによっては将来的に大きなリスクを含むことだったので、普通の考えで選択すると自分の首をしめることになるとおもったわけです。
私はよく人がいいといわれることがあります。いろいろなことを損得勘定なしでやることが多いからだと思います。ただですね、いい人だけでは流石に終わりません。自分の善を与えることを躊躇することはあまりありません。どちからといえばやりたくてやっていることが多いからです。ただ善意の搾取をされれば話は別です。人の好意って目に見えないものです。だから、ありがとうという気持ちが一番大事なんですが、やってもらって当たり前、してもらわないことへの文句などが始まればこちらも善意の回収をしなくてはなりません。
善意は善意でも一方的な押し付けの善意ならばそれはやっているだけ自己満足になるのでいいかもしれませんが、私の善意はチップみたいなものです。必要なことに対して少し上乗せしておきますというイメージだと思います。
積み重ねれるとその善意も結構な価値になるのではないかな?と思います。
ただ、それに気づかずに感謝の気持ちがなくなってしまう場合はそれを回収しなくてはならないと私は思います。
私は自分の善意に敬意を持つためにやりっぱなしにせず回収をしたいと本気で思うのです。
実はこれって結構大事なのではないかな〜とおもったわけです。というのも、買い物の失敗だったり、投資の失敗にもつながる話なんですが、一番大事なことというのは、結果はまだ出てなくても、損をしそうな場面での機転の利かせ方で、その結果が180度かわると感じたのです。
回収方法を探る、見つけることに注力をする必要があると感じたのです
実は私は結構なドМ気質を持っているので、瞬間的に苦労するということを選びがちなんですが、長期的に物事を見る目もあるので、どう考えても難しいという未来図に投資は出来ませんし、行動も出来ません。
ただ、自分が投資したものに対して価値がなくなったとしても諦めないようにするべきだと実感しました。自分がうまくいかないときっていうのはどうしても一般論で物事を考えるようになりますが、一般論で考えても、てんちむさんのような多額の場合は答えが出ないです。
先日、ちょっとピンチを感じたとき、この先の道筋を考えたとき、一般論で考えるとお先真っ暗になりました。例えばアウトレットでプラダの20万円のバッグを買ったとして、必要なくなった、またはイメージが違っているなどそのバッグを返品したいとおもっても出来ないですよね。そうなると高い買い物が失敗になってしまいます。ですが、機転を聞かせれば、メルカリで売れることもできます。メルカリも最初の頃は売れません。でも売れだして信用ができてくると出品するとうれやすくなります
だからこそ、ピンチがきたときこれまで下積みしていたことが大きく成果が出せることになるのです。
損害を被りそうなときこそ損をしないようにしっかりと熟考する必要があると感じました。例えばプラダだとすれば返品できないという状態であっても、買値以上でメルカリ売れる可能性もあります。今やプラダは偽物が横行している状態ですが、メルカリでの売買実績が高ければ、ちゃんと買ってくれる人がいるわけです。
私の失敗はプラダのバッグではないので例え話なのですが、20万円を授業料とするのか、20万円位以上のリターンにして失敗を成功にするのか?回収の方法を知っていたりその基礎ができていれば、可能になると感じたわけです。投資するよりも回収方法こそしっかりと考えることで得を得られると感じた最近のピンチのときに訪れた自分の成長を感じた話です