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あの頃の旅①中国夜行寝台バスの洗礼


今から四半世紀前、当時20代の私は春から秋にかけて富良野で農業の仕事をしていた。
収穫時期、ハウスの片付けを終え、仕事が完全になくなると、本格的な寒さがやって来る。

そうなると、来年の春が始まるまで時間がある訳で。

「じゃあ、行こうか」

私は札幌の実家へ一旦戻り、バックパックを背負って千歳空港を飛び立った。

そう、私はいわゆるバックパッカーというものをやっていた。


旅の目的地は、中国雲南省の中甸にある雲南省最大のチベット仏教寺院「松賛林寺」。
ラサのポタラ宮に似ているので「小ポタラ宮」とも呼ばれている。
(現在は中甸からシャングリラに名称が変わっておりました。2001年に改称されたようです)

時間は春までたんまりある。
それならば、まだ足を踏み入れていないベトナム、ラオスにも行こうではないか。
と、陸路での国境越えも計画。

タイ→ベトナム→中国→ラオス→タイ

まずは旅の拠点となるタイの首都バンコクへ飛び、必要なビザを申請。
(当時は中国以外にもビザが必要でした)

バンコクからベトナム、ホーチミンまでは飛行機で移動し、そのまま数ヶ所の街を観光しながらベトナムを北上。
ラオカイから雲南省の河口へ。
陸路でいざ、中国へ入国!

河口から昆明までは鉄道で行きたかったのですが、どうやら鉄道は動いておらず、夜行寝台バスで向かうことに。

余談ではありますが、90年代には『地球の歩き方』なるガイドブックをバッグに忍ばせ、旅したものです。
数カ国周る時などは、何冊か持ち歩くことになるので、結構重いんですよ〜
ネットカフェなどもありましたが、現在のようにそう簡単に欲しい情報が入る訳ではありませんでした。

ま、こんなことは日本以外の国ではあるあるですし、そう思い通りに行かないのも旅の醍醐味だったりする!

と、余裕こいていたのも束の間。
完全に夜行寝台バスをなめてました。

バスの中は二段ベッドが3列ギッシリ並び、窮屈感が半端ない。
勿論ベッドの幅は狭く、両端2列のベッドにはは壁があるもの、中央の列に関しては大丈夫なのか?安全面に不安が過ぎる。

ズッシリと両肩にダメージを与え続けている私のバックパックは、幅狭ベッドに載るのだろうか?
これに場所を取られて、横になるスペースは残るのだろうか?

旅の前半であるベトナムで物欲に負け、買い物に走ってしまい、確実に荷物は増えていた。

チケットに寝台番号が付いているので、「どこだ?どこだ?」探していると、次の瞬間バス後方から恐ろしい音と、光景を目にする!

「カーッ、ペッ!」

この音は!?
え?嘘でしょ?

視界に入ったのは、なんと男性が床に置かれている円形のゴミ箱のようなものに、痰と思しきものをペッ!っと出している衝撃の場面で・・・。

(これは、あくまでも90年代に私が乗った夜行寝台バスでのことです。
どうぞ、ご理解いただきますようお願いします)

ついさっきまでは、壁ありベッドがいいな。なんて密かに思っていたけれど、あの光景を見てしまってからは、ゴミ箱付近じゃなければどこでもいい。に心境は変化していた。

そんな思いで見つけた私の寝台は、列中央の上段。
ゴミ箱から離れていれば、もう壁がなくても我儘なんて言いません。

パックパックと、もう一つのリュックをベッドに置いて、余ったスペースに仰向けになる。
寝返りは命とりなので、緊張感を持ったまま目を瞑っていると、たまに「カーッ、ペッ!」が耳に入る。

その度に、ついビクッとしてしまう自分に「私ってまだまだだなぁ」なんて思いながら、夜行寝台バスの夜は更けていった。


#わたしの旅行記 #中国 #バックパッカー
#寝台バス

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