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溝のある岩

私が生活する松江市にある大庭町は、古代出雲の中心地で有力な首長の墳墓や出雲国造館の居住跡がある場所である。2013年7月に山歩きをしていた時に偶然発見したこの岩には東西南北と北東(鬼門)に溝が入っているように見えた。時間の経過と共に正確な位置からズレた可能性はあるものの、その大きさは約2mで、厚さは約30㎝の岩だが、その形状の珍しさに何か意味があるのではと胸の高鳴りがしたことを覚えている。一つの仮説として、人工的につけられた溝のあるこの岩は、何か祭祀が行われていた磐座ではないかと考えた。

北側から見た岩

そのように考える理由として、

  • 伊邪那美命の神陵と推定される岩坂陵墓参考地(オレンジ星)から北西には、伊邪那美命を主祭神とする神魂神社が位置していて、その直線上にある神納山の頂上付近(緑星)にこの岩がある。

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神納山付近の地図
  • この神納山について、江戸時代の地誌『雲陽誌』には「伊邪那美命がみずから魂をこの地に納めたので神納という」記述がある。

  • 『佐陀大明神縁起』には「ご祭神が諸神の父母であるが故に、諸神は孝行の義を顕すために、ここに必ず集まってくる。故に他国は、十月をもって神無月とし当国は神在月という」記述がある。

  • 吉野裕子氏は、その著書『陰陽五行と日本の民俗』で神無月について「陰陽五行によると、十月は全陰で陽の気は全くない。太陽の光も衰微の方に向かっているときで、まさに神が不在となる。①出雲は西北(戌亥)の極陰の地。②十月は一年の内で極陰の時 ③伊邪那美命は陰霊、陰気象徴の神 ④十一月冬至を含む霜月の一陽来復が期待される」と書かれている。

  • 神無月はここ出雲地方では八百萬の神々が集まって来られるので神有月と言う。二重亀甲に有(十月を一字にしたもの)の神紋を神々は目指して来られると言われ、意宇六社の内「神魂神社」「眞名井神社」「六所神社」がこの神紋であり、神迎え祭を斎行される神社もある。この神納山の北側は「有」という地名であることも何らかの意味があるように考える。

二重亀甲に有のご神紋


以上の事柄から、出雲の国に神々が集まられるのは、母神である伊邪那美命を追慕されるためで、それに関わる祭祀がこの磐座を用いて行われていたのではないかと推測する。

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南側から見た岩


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