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カレーに教えてもらったこと

こんにちは!
きょうはお昼にカレーを食べました。
好きな食べ物はカレーです。
辛いのがあると、なんか挑戦したくなってしまう笑
その店で最大の10辛にした。今まででいちばん辛かった。

辛いはつらい?

辛さが強くなると、痛い。唇が痛い。なんで10辛にしたんだろう。
少し後悔している。って思ったけど。
ひとりで勝手に挑戦して、勝手にヒーヒー言ってて
雨降ってましたか?ってくらい汗かいて、
フランダースの犬見た時よりも涙と鼻水が止まらなくて
でも、それを何やってんだろって自分を客観的にみて
おもしろがってる自分がいた。

からいし、痛いし、汗と鼻水があふれてきたけど、
別につらいわけじゃなかった。
痛みとか鼻水とか身体は反応してるけど、
もっといけるだろって自分といて
いや、もう一口も食べたくないって考える自分もいた。
わたしの中の天使と悪魔みたいな相反する存在が出てきた。
それを「なにやってんだこいつ」って観察してる自分がいた。

からいという事実はあっても、それがつらいわけじゃない。
からいとか痛いをつらいにつなげて考える自分がいると
そこに、つらいという感覚が現れてくる。

中立に見よう

目の前に辛いカレーがあっても、それはいいも悪いもない。
普段の私なら、カレー好きだから(そういえば昨日もカレー食べてた笑)
いいことに思えるだろうけど、
今のわたしはこの10辛のカレーはもう食べたくないと思ってるから
悪い状況に思える。

つまり、人の好みや今の状況によって同じカレーでも違う意味になる。
そこに意味を与えているのは自分なんだな。
それを客観的に観察する中立な立場の者がいないと
そこに気づくことはできない。
いつまでも現実に振り回されて生きることになる。

現実に操られて生きることをやめると
この現実は自分が選んで、作っていることに気づく。
この世界すべてがわたしによって決まってる。

世界=わたし

この世界はすべて、わたしの見たいとこだけ見て、
好きなように感じ、考え、
辛いカレーだとしても、勝手に楽しんで
好きなようにいきてる。

すべてがわたしの作ったものなんだ。

他人も私が勝手にこの人はいい人。
このひとは意地悪してくる。
って決めて、そこだけ見てやっぱりそうだ
って自分がつくっているものだし。

いきづらい世の中ならそれをつくったのは
あなたです。
楽しい世界に変えるのも
あなたです。

ポジティブじゃないといけないのか

自分にはいいことが起こってほしい
そう思うのはだれもが同じだと思う。
だけど、いいことを創造しなきゃ
って、必死になると、視野が狭くなって
いいことに気づけないことがあると思う。
もっとリラックスしてみたら、一見つらいことも
おもしろがることができたりする

そうやっていいかんじに世界をつくるには
いい悪いとかの固定観念を捨てて、
中立に観察する第三者のような
いい加減な存在になる。
そうするとだんだんいいかんじになる。

10辛のカレーを食べたあとは
なんかおなか痛いし、もうカレーは見たくない
とか思ってたけど、カレーのことを考えてたら
また食べたくなってきた。
10辛じゃないけどね笑

最後まで読んでいただきありがとうございます!
おつかれさまです。



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