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人は1人じゃ生きていけない

ここ何日かブログが書けていなかったなあ。
仕事も今週は2日間しか出れていない。
理由はシンプル。コンディションが悪いからだ。

前に何度か投稿した「毛巣洞(もうそうどう)」という病気。

尾てい骨付近に膿が溜まり腫れや痛みが発生するのだが、それが悪化したのである。

先日あまりにも痛すぎて母と一緒にクリニックへ行き、大きい病院へ紹介状を書いてもらい受診・治療をしてもらった。

本当に痛かった。触れるだけで針に刺されたかのように痛み、ずっと汗が滲んでいた。

病院で受けた治療は、麻酔を打ち1〜2センチくらい患部を切開し、膿を排出。そして膿が溜まっていた空洞に薬を塗り込んだガーゼを突っ込むというものだった。

先生から「自宅でも傷口を洗浄し、ガーゼを患部に当ててほしい」と言われたのだが、患部がおしりなので直接見ることができず、ケアが1人では無理だ。

そこで、付き添いに来てくれていた母に協力をお願いすることにした。

母は「私にできるかねえ」と言っていたが、それは杞憂に過ぎず丁寧に欠かさずケアをしてくれている。

20歳になっても母の手を煩わせている自分の不甲斐なさに申し訳なく「本当にごめんね。ありがとう」と言ったら、

「大丈夫だよ。お互い様だからね。お母さんもいつかこうなるはずだから」

と、きっと励ましや気にしないでいいよという意味で言った言葉が、かえって私には重く感じてしまった。

「もし母が動けなくなり介護が必要になったら1人で支え切れるのだろうか」
「もし職場や家庭で誰かが休んでしまったら、私はそれをカバーできるのだろうか」

冷静に考えたら、施設に預けるなり周りに協力を求めるなり、必ず解決する手段があるはずだが、その時は生理だったこともあり思考がマイナスよりだったのだ。

私の良くない癖で「全部1人でやらなくちゃ」という思考に陥ってしまうことがある。ニセ完璧主義とも言える。

「社会人なんだから、弁当も作って家事もして仕事も頑張らないと」という私の勝手に創り出した理想像が現実との差を突きつけてくる。

けど人間は、縄文時代から群れを作り協力して暮らしてきた。昔から1人で全てをこなすのはほぼ無理なのである。

1人暮しをしている人でも、野菜や果物を全部自分で作ったわけじゃないし、仕事をする時も1人でできることはとっても微力なものだ。

鬼滅の刃の炭治郎も言っていた。
人は1人の力だとできることは少ない。だから協力したり助け合うんだと。

この自問自答のなかで得た結論は、身の回りの人を大事にしようということだ。

情けは人の為ならずという。巡り巡っていつか自分に返ってくる。できないことはカバーし合えばいい。

それに人は、人との繋がりで癒しを感じると本に書いてあった。

自分が元気になったら、バリバリ働いて人の助けになれるよう頑張りたいなあと思う。

おしりは痛かったけど、大切な考えを思いださせてくれたいい経験だった。

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