僕は君になりたい。 第8話「アイドルの笑顔」
#8
会場のみんな、全員! 注目して!
わたしは、月城琉唯!
華やかに、清らかに。
ほほえむ花の14歳。
わたしの笑顔に見惚れてよ。
幸せな気持ちになってほしいの!
そして、
わたしの歌と、わたしのダンスに、
君のスマイルを返してね!
わたしの愛する君たちへ、
わたしの純粋な愛を捧げます♡
♥︎
ダンスの切れ味すごくいいね。
声も澄んで、よく透ってるよ。
今日のキミは、最高に美しい。
僕も、うれしいよ。
僕の中の、キミ。
ほら、あの男の子にウィンクと投げキッスをあげておくれ。
僕が招いたお客様だ。
ほら、あんなに喜んでいるでしょう?
キミに会えて。
うれしいね、
ねえ?
…月城琉唯さん。
♥︎
「今日は来てくれてありがとう、和斗くん♡」
曲が終わった後、琉唯はマイクを外し、小さな声で蔵下和斗に声をかけた。
「うしょ、琉唯ぴょん…! うはぁぁぁ」
彼の心臓のドッカーン!!という音が聞こえたような気がしたが、むろん錯覚だ。
そして、琉唯は手を振って、たぶんに会場のファン全員にウィンクと投げキッスをして、ステージを後にする。
「ああ! 琉唯ぴょんがぁ、俺に声をー」
蔵下和斗の声がかすかに聞こえた。
なんか…ごめんな。
でも、お前が喜んでくれて、良かったよ。
ステージの袖に入ると、僕の「琉唯」スイッチ」はすぐ「流伊」に切り替わってしまう。
観客、ファン、芸能関係者や取材記者たちの視線がないところでは「琉唯」は必要ないから。
まあ、今度、事務所で来年3月にデビューが決まった『AIR REAL』のエリアとアリアに会ったら、サイン色紙を書いて渡しておくからさ、待っておけよ。
☆
楽屋に戻り、衣装を脱ぐ。
すぐさまTシャツに着替えて、壁のほうを向き、数学の教科書を眺める。
事務所に帰るまでは、メイクも付け毛も取れないし、これが1番不快なのだが、詰め物をしたブラジャーも外せない。
ほかの3人は、僕が壁のほうを向いてから、Tシャツに着替える。暗黙の了解だった。
「なんか、今日はすごくノッてたじゃん。なのに、もういつものあんたに戻ってんのね…ギャップが激しくて、こっちがついていけないよ」
着替え終わった美咲が話しかけてきた。
「切り替えが速いんだ、オレ。それにさ、仕事終わって、素に戻っただけだっての」
「そうなんだろうけど…」
美咲が腑に落ちないでいるところに、あかりがコテコテの関西弁で口を挟む。
「うーむ、それはまだまだ深く入れるっちゅうことやな、『琉唯ぴょん』という人格の海に。まだ浅瀬やから、すぐ戻って来れるんや…うちはそう思う」
なんだ、その真理を突いたような発言。
得意げに言ってんじゃねー。
「なるほど…さすが、あかりちゃん! まだ序の口なんだぁ…すごいなぁ!」
バカが。
真に受けるな、綾香。
「うるさいなぁ。来週の今日、全国模試受けんだよ。勉強の邪魔しないでくれるかなぁ」
「ゲーッ! マジ、勉強してたの? してるフリしてるだけだと思ってた」
綾香は、本当に失礼な女だ。
お前と一緒にするなよ。
「だってさー、琉唯ぴょんなら中卒だってやっていけそうなのに」
…彼女たちには、まだ僕が1年で活動を終えるとは知らせていない。
だから、そういう発想もあり得るのだけれども、このご時世、アイドルだって高校くらいは行くだろう。
「…全員着替えたんなら、もう帰ろうよ。オレ、ちゃんと家でやりたいから」
「いやー、流伊くんは優等生だね」
僕は答えず、リュックを背負うと、楽屋のドアを開けた。
☆
和斗くんへ
いつも応援ありがとう。
心優しい君が、
世界中のみんなと仲良く、幸せになれますように!!
愛をこめて。月城琉唯♡
琉唯からだと言って、それを渡すと、蔵下は目を見張ってそれを何度も読み、胸に当てて抱きしめ、天を見上げて、涙を流し、何かブツブツ独り言を呟いたかと思うと、瑛里亜と愛里亜に向き直って、
「ありがとう、ありがとう、本当にありがとうございます。瑛里亜さん、愛里亜さん!」
と、繰り返し頭を下げて御礼を言っていたという。
これで、少しは周りとの協調性を考えて行動してくれれば何よりだけれど、人間そんなに簡単には変わらないというのも事実だ。
まあ、いいや。
べつに、僕はヤツの教育係ではない。
ただアイドル琉唯の笑顔が、彼を少しは変えられるのか試しただけだ。
☆
模擬試験は、夏休みの半ば、僕の通う公立中学から程近い場所にある県立大学の教場を借りて行われた。
空調設備がしっかりしているため、昨今の猛暑の中でも、落ち着いて受験できた。
国語、英語、数学、理科、社会の順で行われた。最後の社会の試験が終わり、帰り支度をしていると、僕のいた教場に駆け込んできた生徒がいた。なに走ってんだか、と思っていたら、そいつは僕のほうに向かってくる。
「流伊〜! まだいるか〜!」
高柳だ。
思わず、ため息が出た。
僕は仕方なく、片手を挙げて合図する。
「おい、お前さ。この間の土曜日、スタジオ丸太の近く歩いてたろ?」
「えっ⁈」
思わず、声を上げてしまった。
まさか、バレたのか?
いや、でも…オレ、車で移動してるから、外には出てないし、駐車場でも琉唯の姿だったはずだし。
「ば…あ、歩いてねーよ。人違いだろ。お前こそ、なんでそんなところに行ったんだよ」
「そんなの決まってんだろ! ルイにゃんに会いに行ったんだよ! 席取れんかったから最後尾で立ち見してたんだけどさ、そしたらさ…」
「そしたら、何だよ」
「なんと、な!」
なにもったいぶってるんだ。
「ルイにゃんてば、オレに投げキッスしてくれたんだぜ⁈ 信じられるか?」
…お前にした覚えはないんだが、ファン全員のうちの1人ってことならいいのかもな。
「良かったな」
記憶が蘇ってきたのか、高柳は身震いして、その感動体験を僕に伝えた。
「もう、萌えたぜ! 萌え萌えだぜ。オレな、側にいた同じくルイにゃんファンの人と抱き合ってな、その感激を分かち合ったんだよ。すごいだろ? ルイにゃんは人と人をつなぐ架け橋としても、オレたちに幸せを与えてくれる、まさに『天使』だな」
そう言いながら、高柳はズボンのポケットから一枚の名刺を取り出した。
「誰、この人?」
「だれって決まってんだろ。オレの新しいダチ、板橋敏哉さん。いわゆる、ルイ友だな。会社経営してんらしいけど、不況でドン底だったんだと。それで、もう会社を閉めようと思ってたら、ルイにゃんが現れて、可愛すぎて会社のことなんかどうでもよくなって、彼女に入れ込んでたら、なぜか会社が上向きになってきて、これは "琉唯効果" だ!と思って、また頑張ってんだと。ま、あの人にとっては、まさに『女神様』だよな」
「この人、いくつなんだ?」
「えーと、確か50歳って言ってたかな。また会おうって、名刺もらったんだ」
「へえ…」
そういうこともあるのか。
琉唯の笑顔が、絶望を希望に変えた…の、か?
なんか、ちょっとくすぐったい気もする。
「だからな、お前もカオルンだけじゃなく、オレらとルイにゃんファンクラブを立ち上げて、加入者を募集しようぜ。いいじゃん、名前も同じ響きなんだし。一緒にライブ行ったりしてさぁ、楽しもうよ!」
高柳の生き生きとした笑顔が、うらやましかった。本当に琉唯のことが好きで、そのことで幸せな気持ちになっているのが分かる。
「いや…オレは無理だ」
「流伊?」
「…ごめんな、オレ、カオルン一筋なんだよ。わるい」
僕はバッグを肩に掛け、席を立つ。
「待てよー。一緒に帰ろうぜー。オレ、べつに怒ってないってばー。スタジオ丸太にお前も『星キャン』を観に行ったのかなって思ったからさぁ…見つけられなかったけど」
高柳が僕に向かって叫んでいたが、僕は振り返らなかった。
…なんで、未だに『ルイにゃん』なんだよ。
公式のニックネームは、月ウサギ『琉唯ぴょん』なんだよ!
そんなことは、どうでも良かったが、それにしても、高柳が見た「僕」って何なんだろう?
まさか、ドッペルゲンガー?
「おーい! 待ってくれよ、流伊〜。オレ、ルイにゃんに嫌われるのより、お前に嫌われるほうがヤダよ〜」
どっちも同じだけどな…。
僕は階段を降りる足を緩めた。
高柳が息を切らしながら、何とか僕に追いつく。
肩を並べたクラスメートに、僕は言った。
「どうせ、宿題やら板書のノート写すためだろうが」
「それだけじゃねーよー。お前、小4のとき、クラスも違ったオレを助けてくれたじゃん。覚えてねー?」
覚えていない。
いつもノート貸しで助けているのに、更に助けていたのか。僕はお人好しが過ぎる。
「オレ、いじめられっ子でよ、クラスに友だちいなくてさ。だけど、たまたまオレがいじめられてた現場に通りすがったお前が、いじめてたヤツらに言ったんだ」
「なにを? 忘れたよ、もう」
歩道に出ると、日は傾き始めていた。その夕陽が暑い。灼熱のごとくだ。
汗が止まらない。
僕はペットボトルの水を口に含んだ。
「…おまえらさ、1人をたくさんで追い込んで面白えのかよ。クズじゃね? どうせつるむんだったら、校門前の落葉でも掃けよな。そのほうが、ずっと尊敬されて得だぞ…ってな」
ハンカチで額の汗を拭き拭きしつつ、つらつらと高柳は語る。
「ホントかよ? カッコよすぎるな、小4のオレ」
「そうだぞ。お前、女子に人気あったから、ヤツら怯んで逃げたし。でもよ、最近、なんか疲れてねー? 勉強のしすぎか?」
「ああ…」
「なんか、オレに隠れてやってるとか?」
「べつに」
ドキリとする。
今日のコイツ、なんか鋭い。
「まあ、いいけど。無理すんなよ」
高柳は自宅へ向かうため、手を振りながら先に道を曲がっていった。
そういえば、あの年、母のママ友の息子で僕とクラス違いの同級生が入っていたボーイスカウトに勝手に入れられて、休みに公園とかを掃かされていた。
そいつが先輩ヅラして、僕に指図するので、なんかイライラしてたのを覚えている。
高柳になつかれたのも、それからか。
「疲れてる…か」
僕はまた水を飲み、とぼとぼと家へと向かって歩いた。
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