僕は君になりたい。 第20話「聖夜の夢 君は僕の何を見てますか?」
#20
雨が降っていた。
しとしとと地面をじんわりと湿らせていく静かな雨だ。走る車が弾く水の音で、ようやく雨が降っているのだなと、窓から離れた室内にいた僕は感じた。
3枚目のシングルが発表されることになった。
やはり、夏、秋と出したので、冬も出すことにしたらしい。
僕は来年の秋冬はもう『星キャン』にはいないのだな…と、ふと思ったりした。
なんでもタイトルは『聖夜の夢』と書いて『クリスマス・イブ・ドリーム』と読ませるらしい。緊急に考案された企画であるため、練習時間を減らす意味もあり、派手さのない比較的歌いやすいスローな曲でダンスも手振り主体のシンプルな振付けだった。
「出だしは美咲がメインボーカル。2番のメインは琉唯で。あかりと綾香は主にハモリとコーラスになりますが、メインでも歌えるように特訓しますからね」
これは、西山先生の言葉。
「歌を意識しながら、ミスしないように気をつけて歩いて!」
こちらは、井上先生。
歌の西山先生とダンスの井上先生の2人来ての同時レッスンが3日間。
その翌日には、もう事務所の狭いステージでリハをやり、日曜日には「初お披露目」の番組に出演することになった。
期末テスト期間を挟んだこともあり、さすがに、きつい日程だった。
クリスマス前に出したいからって、詰め過ぎだろう。綾香などは体力的に辛そうだった。
息を切らして、ぷるぷると震える足を一生懸命にさすっていた。
「大丈夫か?」
「あァ、疲れたよ〜。足痛いよー! もう歩けないよぉ。流伊くん、おんぶして」
「やだよ、この靴じゃ。足が持たない。もうちょい頑張れ」
高くて細いヒールのブーツを履いていたが、思ったより不安定でちょっと走るだけで転びそうだった。
ステージを引いた場所で、僕はブーツを脱いで、それを綾香に持つように渡した。
「えっ? マジでおんぶしてくれんの?」
「歩けないんだろ?」
「…ありがと。でも、肩貸してくれるだけでいいよ。流伊くんも疲れてるんだし」
「そう。じゃ、それで」
僕は、彼女に寄り添って軽く支えながら一緒にロッカールームの部屋に戻ったが、移動している間に、だんだん照れ臭くなってきた。
友だち感覚で手伝ったのだが、考えたら男女だったと気づいてしまい…。
結構、気まずかった…。
☆
「やっぱ、お前ってカワイくねーよな!」
僕の数学の答案を背後から勝手に覗き込んだ高柳が、残念そうなため息を漏らした。
美咲が買ってくれた参考書を何度も読んだ甲斐もあり、前回の中間テストでは85点だったのだが、今回は95点採れていた。
「…なんで5点足りなかったんだ? 完璧だと思ってたのに」
「なに、ぜいたくな独り言を言ってんだよ。オレなんかな、70点だけど、平均より上で喜んでんのによー」
「あ、式の最後でπを書き忘れてんじゃんかよ。5回も見直したのに、ダメだなぁ…」
「流伊。それ、嫌味にしか聞こえない。オレ、それ難問すぎて、途中でやめた問題。その問題、正解だったヤツいなかったって、先生も言ってたじゃん! お前、解けてたのかよ! πを書き忘れただけで!」
「悔しすぎる!!!」
「…まあ、その気持ちは分かるけどさ」
記号の書き漏れ…最悪だ。
書いてあれば、正解者は僕1人という学年唯一の名誉を得たはずだったのに。
「クソー。次回は6回見直しだ! 参考書もあと2往復やってやる!」
「すげぇ執念だな。お前…」
高柳も呆れさせたところで、僕はキッと彼をにらんだ。
「お前のノートが雑だったせいもある! お前にも責任あるからな」
「オレは、斎藤のノートを勧めたぞ。でも、流伊が、オレのってこだわったんだろ。大体なぁ、オレよりいい点採ってんだからいいだろうが!」
「これが100点の答案だったらな。抱きついてやったのに!」
「いらねーっての!」
…馬鹿だな。
本当に。
月城琉唯だぞ、僕は。
お前の『琉唯にゃん』だぞ!
「レスネのイベント、行くのか?」
僕は答案を机の上に置いて、話題を変えた。
あの『ルイボスミルク』発売イベントは今度の日曜日だ。
先週初お披露目した『聖夜の夢』のミニライブもその会場で行われる予定で、人数規制をする予定らしい。
「うん、もちろん。間近で琉唯にゃんを見られる絶好のチャンスだからな。新曲も生で聞きたいし」
「定員あるから、競争だし、危ないぞ」
「平気だよー」
「…本当に気をつけろよ。お前、ぼんやりしてるからさ」
「だったら、お前も来てくれよ」
「無理だよ」
「なんでー?」
「…琉唯にゃん、だからだよ」
「なにそれ」
首を傾げた友人に、僕は苦笑いで返す。
意味が分からない高柳の顔には、いくつものクエスチョンマークが浮かんでいた。
こんなに毎日見てる僕の顔を…。
いくら化粧してカツラ付けてるからって、
キラキラした衣装を着てるからって、
女の子みたいに笑うからって、
スポットライトの中、踊るからって、
テレビに出て、歌うからって、
アイドルだからって…。
分からないって、どういうことだよ。
友だち、じゃないのか?
なあ、駿!
なんでだよ?
「当日、雨降らないといいけどな…てるてる坊主作っとけよ、駿」
☆
外は、雨が降っている。
風も冷たいらしい。
イベントは午後1時からだったが、会場スタッフの話だと、もう朝の8時前から入口前に人が並び始めていて、僕らが裏から会場入りした10時にはもう長蛇の列になっていたという。
冷たい雨風で傘の花が重なり合う。
混乱を避けるため、準備していた整理券200枚を来場者に配って、開場する12時30分に戻って来てくれるようにと説明したらしい。
「駿のヤツ、整理券もらえたかな…」
今朝8時過ぎにメールで「今から出発!」と張り切って家を出たことを書いてきたが、この混雑ぶりを聞くと、間に合わなかったような気がする。
僕としては、その方が気は楽だが…。
「そういえば、琉唯の友だちも来るんだっけ? だれのファンなの?」
美咲が自分でメイクをしながら、のんきに訊ねてきた。
「…琉唯」
「え? あんた、自分のこと話してないの?」
「デビューしたら言おうと思ってたんだけど、デビューしたらすぐ、興奮気味に琉唯のファンになったって言われちゃって…言うタイミング無くなっちまったんだ」
僕はうつむいて、小さい声で言った。
「ふーん。そんだけ、あんたのアイドル姿、完璧だったってことだね。皮肉なもんだ」
「あいつには、すぐバレると思ってたんだ。だから、言い訳も考えてたのにさ…」
「まさか、ファンになられるとはって?」
鏡の中で美咲は、僕をチラッと見て笑う。
「あの馬鹿。いつもオレの何を見てんだよ」
「…人間、案外人の顔や姿なんて見てないもんだよ」
「そうかな」
「そうだよ。特に男子同士なんか、気にしないでしょうよ」
「そんなものかな…」
「そんなもんだよ。片想いの恋人なら顔ばっかり見ちゃうかもしれないけどさ。じゃ、逆の立場だったらさ、あんたはすぐその子のこと分かる自信あるの?」
チークをはたくと、美咲は立ち上がり、髪型のスタイリング剤を忘れたと言って、雪乃さんに借りにすたすたと行ってしまった。
逆の立場?
あいつが、ガールズアイドル?
まさか。あり得ないよ、そんなの…。
そんな女っぽい顔でもないし。
「あ…」
そうか。
あり得ない。
僕が『月城琉唯』だなんて…あいつの中では絶対にあり得ないことなのだ。
あり得ないと思っていることは、実際に起きていても、すぐにそれだとは認識できない。
きっと、言われてみて、初めて気づくのだ。
あ、本当だ!って。
なんで今まで気づかなかったんだろうって…。
「流伊くん」
顔を上げると、綾香がじっと僕の顔を見ていた。
「なに?」
「ううん。いつもながら、いい顔だなぁって思ってさ…ていうか、そろそろ準備したほうがいいんじゃないの?」
「は? ああ、そうだな。もうこんな時間か」
時計を見ると、もう11時を過ぎていた。
とっとと着替えて、用意されているサンドイッチを軽くつまんでおこう。
僕はいつものように女子の着替えを邪魔せぬように部屋の隅に行く。
その途中、綾香の前を通り過ぎるとき、横顔に彼女の視線を感じた。
『片想いの恋人なら、顔ばっかり見ちゃうかもしれないけどさ』
不意に、美咲の言葉を思い出して、ドキドキしてしまった。
まさか。自意識過剰だよな…。
僕はそのまま気づかないフリをして、部屋の隅に行って、壁を見ながら着替えた。
「ね、流伊くん」
「…なに」
ちょうど着替え終わったところでまた声をかけられ、何となく不機嫌そうに振り返った。
「私ね。……なの」
なんか小声でもごもご言っていて、聞き取れなかった。
「…え? よく聞こえない」
「あのね! …もう、我慢できないから言わせて! 私ね!」
綾香が意を決したように叫んだとき。
「このサンドイッチ、めっちゃ、おいしいなァ〜! なあ、美咲ちゃん」
あかりがテーブルのサンドイッチをもぐもぐ食べながら、美咲に大きな声で話しかけた。
「ああ…そうだね。私はツナが好きだな」
「うちは王道のハムやな。琉唯ぴょんも綾香ちゃんも早くお食べー♪」
陽気に話すあかりだったが、僕には違和感があった。
綾香との会話を邪魔された気がした。
確かに時間的には食べたほうが良い頃ではあった。
僕もタマゴサンドを1つ手に取って頬張る。
確かに美味しかった。
ツナとハムも食べた。
どちらも美味しかったが、僕はやはりタマゴが1番好きだった。
ちらりと綾香のほうを見ると、心なし頬が赤い。
サンドイッチを前にして、どれにするか迷っているように見えた。
「タマゴうまいぞ」
僕が言うと、彼女はらしくないおずおずとした感じでうなずき、タマゴサンドをおちょぼ口で一口かじった。
「…おいしいね」
「だろ?」
そんな会話をしていると、マネージャーの吉岡さんが入ってきて、改めて本日の予定を説明した。
まもなく、宣伝イベントが始まる。
僕らはティッシュで口元を拭き、赤い口紅を塗り直すと、本番前最後の新曲リハーサルを演奏と合わせ、来たる出番に備えるのだった。
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