僕は君になりたい。 第15話「ルイのうた 恐怖の中にたたずむ僕」
#15
何なんだよ…。
何なんだよ、お前…!
太い黒縁メガネ、赤ら顔のにやけた中年男の顔が何度も何度も浮かんでは消える。
そして、浮かんでくる度に、その顔はデカくなり、風船のように膨らんで、僕の頭の中をぱんぱんにする。
早く、割れてしまえ!
そう願うのだが、なかなかしぶとい。
ネギマ。
誠さんが調べたところ、所謂ユーチューバーらしいが、アイドルオタクだと公言しているヤツだという。
色々なアイドルグループの追っかけをしていて、最近のお気に入りとして、僕らを取り上げているそうだ。
中でも、月城琉唯の大ファンであり、公開している彼の部屋は『琉唯ぴょんグッズ』であふれ返り、それまでファンだったという別グループの『バナナン』こと青葉菜々さんのグッズは、部屋の隅の方に追いやられているらしい。
「いや〜、やっぱり琉唯ぴょんは別格だね。スマイルの美しさ、透き通るような歌声、キレッキレで華麗なダンスなんかさ〜。ボクが今まで見てきたアイドルの中でもナンバーワンなんじゃないかな〜。見入っちゃうっていうかさ〜、もう泥酔状態なんだよね、この子に」
などと言いながら、ネギマは僕の顔写真のうちわに毎回キスをしているという。
視聴者から「キモい、やめろ」と言われても、儀式のように毎回やっており「今日もカワイイね、愛してるよ」などと呼びかけているそうだ。
僕が女子でも、あまり愉快な話ではない。
せっかく、花岡先生に誉められ、感じたことないほどの喜びに浸っていたのに…。
それを、ぶっ壊されて。
僕は彼を恨んだ。
月城琉唯を愛してるなら、プライベートはそっとしておいてあげるべきだろう?
それに、「オタク」って「お宅」だろ?
外を出歩くなよ! 迷惑なんだよ!
僕の偏見に満ちた罵声は、僕の心の中で僕だけに響き渡る。
とりあえず、今日が日曜日で良かった。
こんな不安な心のまま、学校になんて行けない。また、いつネギマが…それに類いする連中が…現れるか分からない。他人に声をかけられるだけで、僕はきっと怖くて震えてしまうだろう。いや、通り過ぎていく人々あるいは物陰にいる人も含めて、すべてに疑念が湧いてパニックになってしまうかもしれない。
「流伊、大丈夫?」
朝日が昇り、既に何時間か過ぎているにも関わらず、ベッドの布団の中に潜り込んだままの弟に、姉が部屋まで来て話しかけてきた。
「…死にそうです。先生」
「まだ医師免許ないわよ。それ早くても5年後。…大分、参ってるみたいね」
姉は言いながら、ベッドの脇に腰掛けて、手探りで僕の頭から背中にかけて何度か撫でた。僕は黙ったまま、布団の中でただ身を固くした。
「朝ごはん出来てるわよ。昼まで食べないつもり? 昨日も遅かったから夕飯まともに食べてないでしょ? 食べないと…」
「いいんだよ、オレ、あんまり成長したくないんだ。来年の春くらいまでは、抑えようと思ってるんだ。これは、ダイエットじゃないからな…」
「もう、我慢してんじゃないわよ! 食べ盛りでしょう!」
「我慢なんかしてない。自分の意志だ。拒食でもない。オレがそうしたいんだよ!」
「なんでよ」
「最後までやり遂げるために決まってんだろ!」
「…プロ根性は認めるけどね。でも、栄養不足は病気の元よ。気をつけないと。いくら頑張っても、本番で倒れてたらしょうがないでしょ?」
分かってる。
じゃ、どうしたらいい?
あまり背を伸ばしたくない。
大きくなりたくない。
骨格がしっかりしていくのも、筋肉がつき過ぎるのも、大人の男になっていくこと、今はすべてがイヤだ。
いずれ、変わっていくのは仕方がない。
でも、まだ待ってくれ、僕のカラダ。
もう少しだけ猶予をくれ…。
だが、1番はやはり「声」だ。
最後まで、もってくれ…。
せめて今の声のまま、次の夏が終わるまで!
あの曲を、歌いたい…。
まだ、完成はしてないけれど、きっと花岡先生は良い曲をつけてくれる。
だから…。
僕に『満月』を、最後まで歌わせてくれ!
…ただ、そんなことを思ってられるのも。
…僕が「男」だとバレなければの話だった。
「流伊…」
答えない僕に、姉はため息をつき、ゆっくりと部屋を出て行った。
☆
月曜日も火曜日も…。
僕は、学校にいつもの顔で行けるような心理状態ではなかった。
「発熱」ということで、欠席した。
勉強が遅れるな、とは思ったが、行ったところで、授業に集中などできないだろう。
レッスンも休んだ。
事情はたぶん事務所から仲間たちにも伝わっていると思う。
僕はメンバーたちのメールアドレスを知らない。その電話番号も携帯電話には登録せず、メモ帳にイニシャルで控えている。
僕だけ、グループLINEにも参加していない。
星キャンの関係は極力身近にインプットしないことにしているのだ。
メンバーたちにも、僕の連絡先を入れないでほしいと言ってあるが、美咲は無いほうが不自然だという理由で「ルイ」で入れているという。あかりはなぜか美咲を「みつまめ」綾香を「あんまん」僕を「つくね」と登録しているらしい。
その中で綾香だけは「入れてない」と答えた。理由は「男の子は1人も登録するな」と親に言われているからと言っていたが、僕は一応男子扱いなんだなと思った。
「流伊、電話よ」
そんなことを考えていると、母が部屋に入ってきて、僕に言う。
「綾香ちゃんから」
「…え、綾香?」
「事務所の電話からみたい。携帯じゃなかったから。あんた、自分の携帯番号教えてないの?」
母は首を傾げていたが、僕には理由が分かっていた。
僕の携帯に履歴が残らないように、わざわざ家の電話にかけてきたのだ。しかも自分の携帯でもなく、事務所の電話で。
用心深い…普段はそう見えない彼女なのに。
僕はゆっくりと座っていたベッドから立ち上がり、階段を静かに降りて、電話に出た。
「もしもし…オレ」
ーやっぱり、元気ないね。大丈夫?
「ああ…大丈夫だと…思う」
ー待ってるからね、みんな。琉唯ぴょんの必殺『スマイル』。私たちもだけど、ファンのみんなも。待ってるからね!
「…ありがとう」
ーうちも待ってるで〜!
ーあたしも、だってば!
「ありがと、な…」
ーじゃね、琉唯ぴょん。またね!
電話は切れた。
僕はしばらくそのまま、受話器を耳に当てていた。
『待ってるからね!』
こだまのように、ずっと耳に残っていた。
たった3日間休んだだけなのにな。
学校の試験期間中など1週間会わないときだってあったのに、まるで何ヶ月も会ってないみたいじゃないか。
それでも。
やっぱり、うれしかった…。
☆
水曜日の朝。
僕は制服に着替えて、登校の支度をした。
親たちに顔色が悪いと心配されたが、これ以上、休んでられないからと答え、僕は玄関のドアを開けた。
「流伊!」
外に出た途端、大声で名前を呼ばれ、心臓が止まるかと思った。
「なんだよ…おどかすなよ」
それは、冬の外気の冷たさで頬を真っ赤にさせ、白い息を吐く友人だった。
「一緒に行こう。今日は断らせない、いや、断られても一緒に行くからな」
「…そうか」
本当は心細くてたまらなかった。
僕の心は、彼の腕に飛びつく。
隣にいてもらいたかった。
僕らは、しばらく黙ったまま、肩を並べてゆっくり歩いた。
身長は高柳のほうが高い。
中学に入るまでは殆ど変わらなかったが、2年生になる頃にはわずかに抜かれていた。
今は、5センチくらい違うだろう。
それなのに、性格は臆病で子どもっぽくて、僕の嫌いなタイプなはずなのに、なぜかなつかれて、ほっとけなくて…きっと僕はそんな彼のダメさを補うという言い訳をして、彼に寄りかかり自分の支えにしていた。
「…あのさ、熱は大丈夫なのか? 下がったのか? 具合悪くないのか?」
僕は高柳のほうを見ず、伏目がちに答えた。
「熱なんかないよ。ズル休みだ…」
「でも、顔色良くないぞ…血の気がないっつーか、病み上がりみたいな顔だぞ」
「そうか? それなら好都合だ…バレずに済む」
僕は横顔のまま苦笑いをした。
そうだ、ズル休みをしたことも、月城琉唯であることも、バレずに済む。
そんな青ざめた顔をした貧相な学ラン姿の僕を誰もアイドルだとは思わないだろう。
「おい! らしくねーぞ…どうしたんだよ! 榊原流伊!」
耳のそばで怒鳴られて、キーンと鼓膜が鳴った。
らしくない?
僕らしさって、何だ?
何が起きても動じない毛の生えた心臓の持ち主か?
本当にそうだったら、良かったのにな…。
僕は顔をしかめてうつむいた。
不意に息が詰まって、立ち止まる。
呼吸が、小間切れの口呼吸になる。
「おい…流伊」
「…悪い。やっぱり…帰るわ、オレ」
僕が手で口を覆い、踵を返したとき、高柳が「待てよ」と僕の肩に触れた。
「ぅあぁ!」
僕は思わず叫んでしまった。
ネギマに触れられたときの感覚が蘇ってきて、僕を恐怖させたのだ。
周囲の視線を感じた。
ダメだ。
全身が震えてきた。
「流伊…ごめん、びっくりさせて。家まで送るよ」
事態の深刻さを感じ取ってくれたのだろう。
高柳は悪くない。でも、家まで送ってもらえるのは助かる。たぶん1人では帰れない。
「…遅刻になっちゃうな、お前」
僕は鼻をすすり、情けなさすぎる顔を上げられないまま、彼に言う。
「構わねーよ、そんなの。お前のことのほうが大事だって!」
「駿…ありがと」
「明日も迎えに来ていいか?」
「…うん」
僕は何とか呼吸を整えて、無理に笑った。
「…なんかあったのか? 大変そうだな。苦しそうで見てられねーよ」
「ああ、ごめんな」
「もう謝んなって!」
花岡先生にも言われた。
どうして謝るのかって。
高柳は僕が家のドアを開けて、中に入るまで見届けてくれた。
軽く手を振ってドアを閉じた。
そして、家の中のほうを向いたのだが、僕はそのまま玄関先に立ち尽くし、靴も脱げない状態になっている自分にがく然とした。
学校に行こうと、ほんの十数メートル歩いただけなのに、力尽きていた。
こんなことって…。
メンバーたちの電話で勇気をもらったと思ったのに。
僕はただ声もなく、頬を涙が伝うのを感じていた。
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