僕は君になりたい。 第18話「ルイのうた ファンへ捧げるルイのうた」
#18
冬の匂いが濃くなった11月下旬。
夕方になり街灯に照らされたイチョウの葉が、光を放つように黄色くさざなみ立つのが窓越しに見える。風が強い。
僕は、母と共に社長室の窓から、それを眺めていた。
「私たちの認識の甘さで、流伊さんは勿論、ご家族にも大変な思いをさせてしまいました。申し訳ございません…」
社長は、そう言って頭を下げた。
だが、僕はべつに社長のせいだとは思っていなかった。母が一応「もう大丈夫ですから」と恐縮する社長をねぎらう。
それから、社長は事後の経過報告をした。
あの中年オタク『ネギマ』に連絡を取り、月城琉唯の情報を一切漏らさないこと、2度と僕の前に現れないことを記した『誓約書』にサインさせたということだった。
もし破った場合は、彼の実名を公表し、警察に連絡して対処してもらうことも盛り込んであるという。
ナギさんの動画の反響もあり、バッシングによるブログの炎上を恐れた『ネギマ』は条件のすべてを飲んだらしい。
よって、当面、僕をつけ回すといった行為はないだろうと話した後で、社長は眉間に皺を寄せ、暗い表情でうつむいた。
「なにか?」
母が問いかける。
社長は、思い詰めたような目で僕と母を見てから重そうに口を開いた。
「ああ、いえ…なにぶん、当社は無名に近い芸能事務所ですので、尽力はいたしますが、それをかいくぐって追い回すマスコミ記者関係全てを押さえ込むことができない恐れがあります。そこで、提案なのですが…」
社長がガラス張りのテーブルの上に置いたのは、2枚の名刺だった。
「モーメント・マネジメント株式会社への移籍をご検討されてはどうかと…無論、当社との契約満了日までは仮契約という形になりますし、STAR☆CANDLEとしての活動も続行できます」
名刺の1枚目は、僕も押し付けられて持っていた。
モーメント・マネジメントの人材スカウト部主任『八重洲まつ梨』のものだった。
しかし、2枚目は…。
モーメント・マネジメント株式会社
代表取締役社長 時津 春鷹
「…代表取締役、社長」
僕は思わずつぶやいていた。
「そうですよ。流伊さん、あなたを譲ってくれないかと、時津社長が直々に私に頭を下げに来たのです。もし、そうしてくれれば、契約満了日まで当社にいながら、明日からでもモーメント・マネジメント側があなたをマスコミ等の追跡から保護して下さると、そう申し出ておられるのです…私は、あなたとご両親の意向に従います。できれば、今月中に回答してもらえればと思います。時津社長にお返事をしなければ、ならないので…」
僕は、何と言うべきか、すぐには判断できなかった。なんとなく母の顔をうかがう。
「…私も流伊も、突然のお話で戸惑っております。蝶貝社長のお話は理解しました。今日のところは、このまま失礼させていただきます」
「はい、突然申し訳ございません」
社長の顔は、色味がなく真っ白だった。
窓越しのイチョウの黄色が毒々しくさえ見える。
席を立つ母に続いて、僕は立ち上がり、ドアのほうに向かう。
「…社長、オレはこのままでも大丈夫ですけど、社長が心配して下さって、それを勧めるってことなら、それでも構いません。あとは、親と話し合います…」
ドアを閉める直前、僕は一礼を添えて言った。
そして、そのまま、僕がドアをパタンと閉めるまで。
社長は何も言わず、僕をただ悲しそうに見つめていた。
☆
『満月』のレッスンも佳境に入っていた。
そもそもアルバムの中の1曲なので、ダンスの振付も衣装などの設定も特にない。
だが、この事務所内で練習する分には必要なくても、演奏の人たちとの合わせや、レコーディングの際には否応なく外部の人たちと接触することになる。
それを想定して、今日から、女装して歌うように指示された。
「お、やっぱりカワイイねー」
花岡先生は、僕を一目見るなり喜ぶ。
僕は、自分で軽く化粧をし、ブラウンのウィッグも付けてきた。
制服のワイシャツにベージュのセーターを着て、姉にもらったワイン色の膝丈のスカートに白いハイソックスを履いた。
…バストも…いつもどおり…盛った…。
「じゃ、始めるよ。月城琉唯くん。合図をしたら、例のセリフから頼むよ」
「はい…」
僕は目を閉じ、深呼吸をした。
…ここは、コンサートのステージだ。
遠くから、近くから、
「琉唯ぴょーん!」という、声援が聞こえる。
僕はファンに、僕の愛…いや…。
"わたしの愛" 、を。
…伝えたい!
先生が、3回指を鳴らした。
…(みんな! 琉唯は、みんなを)、
目を開けて、かすかに唇を緩めて開く。
「…愛してるよ」
前奏がすぐ始まるところなのに、なぜか先生は半テンポ遅れて弾き始めた。
…? ま、いーか♡
月城琉唯は、細かいことは気にしない。
アイドルは観客の前ではどんなアクシデントにも対応してみせるもの!
わたしは、歌う。
わたしの歌。
みんなへ…
ルイの『満月』を!
…捧げるわ!!
…ラストまで、歌い上げたときの爽快感に、少しの間浸っていた。
たくさんの人の声のようなものがこだまのように繰り返し聞こえてくる。
このとき、『ルイ』のメーターは、
わたし…「月城琉唯」から、
本当に…わずかずつ…わずかずつ…砂時計のように、
僕…「榊原流伊」のほうへ、
…緩やかに、移っていっていた。
いつもなら、メンバーたちも驚くくらい、パチンとすぐ切り替わるのに。
そう…今、僕はステージの上で、自分が実際に月光を受けて輝いているように感じていた。
その光が、徐々に、徐々に…キラキラときらめきながら、砂金のように、心の底に沈んで消える…。
その、光の粒の最後のひとひらがキラリと失われたとき、先生が大声で叫んだ。
「ブラボー!!」
はっとして、先生を振り返ると、なんか涙ぐんでいる。
な、なんでだ?!
「月城琉唯! さすがだ!! 素晴らしい! アメージング!!」
「えと…あの、誉めて、ますか?」
「ああ。誉めたよ、誉めたとも! 感動したよ!」
先生は興奮している。
そんなに良かった、のか?
よく分かんないんだけど…。
「…はあ。なら、良かったです」
僕は、ろくな返事が出来なかった。
魂が抜けたようにぼんやりしていた。目に映るものも、靄がかかったように、ゆらゆらとぼやけている。
「琉唯くん」
「はい」
「アイドル辞めたら、どうするのか、考えてるの?」
「いえ…普通に、高校受験して、高校生になって…それから先のことは、まだ考えてないです」
「そうか。少し落ち着いたら、もう一度、歌手になったらいい。声変わりしてからなら、もう月城琉唯だとは気づかれないだろう?」
「…ありがとうございます。でも、まだそんなことは考えられません、オレはただこの歌を歌いたい、仲間たちといいアルバムを作りたいって…そう思ってるだけなんで」
「でも、今、君が歌っているとき、思い浮かべてたのは…べつの人たちだろう?」
「…え?」
「歌手にとって、最も励みとなるのはファン…つまり自分の歌を聴いてくれる人たちの存在だ。僕は、今君の歌にそれを感じたよ」
「あ…」
そうか。
歌い出す前、確かに僕が…月城琉唯が…思っていたのは不特定多数のファンや観客たちだった。
彼らに楽しんでもらいたい。
喜んでもらいたい。
そして、もっと好きになってほしい。
あれは、そういう思いの表れだったのか…?
終わりのほうでは、ちょっと我を忘れてしまったが、みんなの喝采の声を感じていたのかもしれない。
ファン、か…。
☆
例の事件があってから、その日、初めて僕はステージに立つことになった。
11月最後の土曜日。
舞台は、あの『スタジオ丸太』だった。
イベントで招かれた数組のゲストのうちの1組として出演する。
早々と『星キャン』目当てに訪れる人々は相応にいた。
だが、とても静かだ。
事件の影響で熱烈なファン層が減ったのだろうか。
美咲は「あんたのために自粛してるんじゃないの?」と言っていたが…。
僕らは『キラキラ・レイク・サイド』を披露することになっていた。
ステージの袖で待機して、そっと客席を覗いてみると、黄色いハッピやTシャツ姿のファンの数は前回よりも多い気はするのだが、やはりなんか大人しい。
…本当に、ただの自粛、なのか?
やがて、僕らの出番が来た。
司会の女性が高らかに、僕らを紹介する。
「続いては、STAR☆CANDLEの皆さんです。美咲ちゃん! アカリン! 綾香ちゃん! 琉唯ぴょーん!」
呼ばれて、一斉に「はーい!」と叫ぶと、僕らは小走りに出ていき、定位置に着く。
そのときだ。
「琉唯ぴょーん! だーいじょーぶー?」
黄色い一団を中心として、大勢の観客たちが声を揃えて投げかけてきた。
一瞬ドキッとした。
こんなとき、琉唯なら…。
曲が終わると、ほかの3人は一礼をしてファンに手を振りながら、息を弾ませステージから引き上げていく。
でも、琉唯は、本能で知っている。ファンの声を無視してはダメだと。
…そう、絶対だ。
「みんなー! ありがとう。もう、大丈夫です! 心配かけて、ごめんね! これからまた、がんばるから、応援してくださーい♡」
僕は途中で立ち止まり、深々と長めのお辞儀をすると、満面の笑顔と手を振って、袖に退く。
「琉唯ぴょーん! ありがとー!! 愛してるよー! がんばれー!!」
会場がワッと盛り上がる。
そして、またあの、LUI・PYON コールのオタ芸応援団が狂ったように踊り始めた。
…素敵だよ、キミたち。
袖に入ると、待っていた仲間たちが、僕を出迎える。
「始まったね、また」
美咲が笑う。
「そうだね♡」
僕もまた、微笑む。
「あれー。琉唯ぴょん、まだ琉唯ぴょんのままや!」
あかりが、驚いたように大きな目を更に大きく見開く。
僕は、キズナの証に、
あかり、綾香、美咲を順々に軽くハグし、
「ありがと…」と囁く。
それに、1番顔を赤くしたのは。
「美咲ちゃん、かわいいよ♪」
からかった僕を、彼女は小声で「バーカ」と言って返し、指先でちょんと脇腹を小突いてきた。
それに、僕は、声を出して、笑った。
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