見出し画像

僕は君になりたい。 第10話「仲間たちは僕を助けたいらしい」


 #10


アイドル生活も3か月目に入った。

新曲の富士五湖ロケも無事に終わって、2学期も始まり、またいつもの事務所のダンスレッスン室に向かっているときだった。


「流伊くんの仕事じゃないよ、それは」


なぜ、綾香にこんなことを言われているのかというと…現場を見られてしまったからだ。

僕が例の3人に嫌がらせを受けている現場。
彼女たちが口から吐き出した唾液が、僕の足下を汚したのだ。
それを、僕がいつものようにティッシュで拭き取っていたところを見られた。

綾香の瞳の色は、真っ黒ではない。
茶色味がほかの日本人より勝る。ドイツ人の祖母の血筋のようだ。
その眼差しを、強く僕の目に刺してくる。

「ねえ、怒りなよ。なんで怒らないの? 悪いのは完全にあの人たちじゃん!」

なぜか彼女のほうが半泣きになっている。
僕はただ綾香の顔を見つめる。
言葉が上手く出てこない。
「おい…」
僕が言い淀んでいると、
「私たち同じメンバーだよね? それがあんなことされてたら、自分がされてるよりツラいんだよ?」
「…え」
こんなことを言われるなんて思ってもみなかった。
「お願いだから、社長に言って! あの人たちを遠ざけてもらうか、辞めさせて!」


僕はとりあえず「考えとく」と返し、ほかの2人が待つレッスン室へと綾香の肩にそっと触れて誘導した。

ドアノブを握って押し開け、僕らは中に入る。

「どうしたの? 綾香、琉唯…」

まだ少し半べそをかいていた綾香と戸惑いがちに入ってきた僕に、美咲が訊ねる。

「琉唯ぴょんが、またツバかけババアたちにやられてね。その廊下の床に落ちたものを、掃除してるの見てたら悔しくてさ…」

「ホントなの? 琉唯」

「あ…まあ、そうだけど」

美咲は、あかりと顔を見合わせて頷き合うと、僕に向かって言った。
「社長に報告するよ。いいね?」
僕は間髪入れずに、叫ぶ。
「え⁈ …そんな大したことじゃないって!」
僕にはもう怒りも悲しみもなかった。
『琉唯スマイル』という僕のアイドルとしての武器を磨く原動力にもなったことを思えば、別に恨みなどない。
そう言おうと思ったのだが…。

「あんたはそうかもしれないけどね、私たちだって、そんなあんたを見て、気持ちが良いわけないでしょ?」

美咲は、アイツらの行為に我慢できないとばかりに言う。

「…そうかもしれないけれど、社長にどうこうしてもらうほどのことじゃない。こんな負け犬の嫌がらせぐらいで泣きつくなんて、社長に笑われるよ」

僕は意見したが、通らなかった。

「琉唯! あんた本気? これは、あんただけじゃなくて、私たち皆が貶められてるってことなんだよ…分かってるの?」

僕は押し黙って、うつむく。
これ以上、逆らえないと思った。


『仲間割れ』という、誠さんの言葉が浮かんだ。


「美咲ちゃん。やめなよ。被害者の琉唯ぴょんが必要ないって言ってるんだよ!」

綾香が僕の前に割って入り、年上組に抗議した。

「いや、だって琉唯は我慢できるからって問題にしようとしないでしょ。この子の意見をまともにきいてたら、いつまでも解決しないわ。たとえ少し強引でも、たぶん琉唯にとっても悪いことにはならないと思うし」

美咲が宥めるが、綾香は納得していない様子だった。うつむいた僕を庇うように、美咲たちの前に立ちはだかったまま、睨みをきかせていた。

「…もう、いいよ。報告しろよ。…それと、ケンカなんかすんなよ、オレのことで…」


僕は、それだけ言って唇を噛んだ。


いやだ。争いたくない。

『仲間割れ』なんか、したくない。


知らず、両手の拳をぎゅっと握っていた。


「おやおや〜? どうしたの? レッスン始めるよ♪」
そのとき、麻実あき先生の声がした。
今回の新曲のダンス振付担当の先生だ。
井上先生より古くからいるらしい。社長の同級生だと聞いた。
若々しくハツラツとした人で、化粧が少し濃いが、面倒見が良いと評判だった。

僕らはちぐはぐなまま、フロアに広がる。
自分の立ち位置に立つ。

僕の立ち位置は、前列の左側。
そこに、ポーズを取って止まる。
上手く笑えない。
磨いてきたはずのスマイルが浮かばない。
こんなんじゃ…ダメだ。

「うおい、なーに。アカリン、その凍りついたような笑顔。ちゃんと楽しそうに構えて〜」
先生が指摘する。
「琉唯ぴょんみたいに、みんなスマイルしないと。どしたの? 今日は堅いなぁ」
僕は笑えてない。
しかし、ほかのみんなはもっと笑えていなかった。


 ☆


その日以来、僕らは何となくギクシャクとしていた。
上の2人と下の2人に分かれることが多くなった。
美咲はまだ、社長に報告していないようだったが…。

「ねえ、流伊くん。大丈夫かな、私たち」

「…分かんないよ、そんなの」

僕は何となく美咲と会話しなくなり、目が合わないようにしていた。

現実から逃げているのは、百も承知だ。
でも…。

「美咲ちゃんだってさ、琉唯ぴょんは『女子になる+アイドルになる』の2段階があって、色々制約もあるし、ただでさえ私らより苦労が多いんだから、仲間として助けてあげないとねって言ってたんだよ? そのうえ、あんなつまんない年増たちの汚いツバなんかかけられてさ、かわいそうだよねって」

「………」

「それなのに、あのとき琉唯ぴょんが報告に賛成しないからって怒ったじゃん? あの言い方だと、私たちが被害者でさ。逆に琉唯ぴょんが悪いみたいになって…違うでしょって、思ったんだよね」

僕は顔を上げる。

綾香のほうは、純粋に僕個人への同情だ。

でも、美咲はリーダーの立場から『星キャン』を貶められているのに、僕が何も言おうとせず、無駄な我慢を続けているのに焦れて、僕が傷つく云々は、僕に社長への直訴を促すためだと思い込んでいた。

だが、本当はそうじゃなく、美咲もただ単に僕を助けたいと思ったのに、僕がそれを嫌がったから、何とか説得しようとしていただけなのであって…。

「オレなんかを、助けたいなんて…どうかしてるよ」

僕の言葉に、綾香は首を傾げる。



僕のほうが、自分を彼女たちの『仲間』だと認めていないのだ。

自分は、異分子だと。

それなのに、むしろ彼女たちのほうがこんな僕を『仲間』だと認めて、助けてくれようとしている。

なんて、お人好しなヤツらだ。


「どうしたの? 流伊くん。私、なんか変なこと言った?」
綾香が慌てたのは、僕が目を擦ったからだ。
「目にゴミが、入ったんだよ!」
僕は怒鳴って立ち上がる。

その勢いで、美咲とあかりのいるほうに、ずんずんと直進した。

「これ終わったら、社長室に行くから。付き合ってくれ」

僕は、息を吸って2人に言い放つ。

「もちろんだよ…。琉唯、この間は私が強引すぎたね」

美咲は少し驚いた顔をしたが、柔らかな笑顔で答え、あかりも2度、強く頷いた。


 ☆


僕と廊下に、自分のツバを日々吐き捨てていた女たちは目下1か月の謹慎処分にされた。
今後、会議が行われ、恐らく解雇になるだろうと、誠さんから聞いた。

社長からすれば、自分が目にかけているタレント(月城琉唯)を便所扱いされたようなものだ、とも言っていた。

彼女たち、名前を言うのもイヤな、サラとリカとマナの『夢色ラボ』に所属する20歳3人女。
事務所入所4年目らしいが、まったくデビューの兆しもなく、ウツウツとしていたようだ。

そんなときに、鳴物入りで僕が入所し、そのグループは入所したての新人たちのみで構成され、わずか2か月ほどでデビューしてしまったのだ。ムカつくのも分からないではない。

だからといって、僕にツバを吐く行為が正当なわけがなく「天にツバを吐く」結果になったわけだ。

『星キャン』のメンバーの総意で、社長に頼んで彼女たちと対面した。

僕も『月城琉唯』として臨んだ。

3人は、僕を上目遣いで睨む。
だが、僕の前には美咲とあかりが立っていて、僕に直接手出しはできない。
綾香は僕の横にいて、僕の手を握っていた。

「…なんなの?」
サラが不愉快そうに声を上げる。
周りには誠さんのほかに『星キャン』全体のマネージャーをしている吉岡千佳さんもいた。ほか事務関係の男性2名と女性1名も同席し、さながら警察の取調室のようだった。

「謝罪してくれませんか? 琉唯に」

美咲が力強い声で言った。
彼女の意志の強さは、その声にも表れている。
「…は? 今更? 社長に気に入られてるからって、偉そうに」
サラの隣りに座ったリカが、面倒くさそうに嘲笑い、その隣りのマナはヤケクソのように醜くわめいた。
「バカにすんじゃないよ! 汚らわしい"オスガキ"の力を借りてデビューしただけの、実力もない、新人のくせに!」


バシッ!!


その横っ面に、美咲の張り手が飛ぶ。

「新人じゃねぇよ! デビューしてる私たちは、あんたらより上なんだよ! 先輩ヅラしてんじゃねぇ…下手に出て言ってやりゃいい気になりやがって! 私たちをナメんじゃねぇ! あんたらこそ事務所のお荷物だろうが!」

怒りを爆発させた美咲に、当人たちだけでなく、僕を含め、みんながおののいていた。
張り手を食らったマナは目をパチクリさせ、頬を押さえる。

息を荒げる美咲の背中をさすりながら、あかりも厳しい口調で言った。

「あなたがたが琉唯にしたように、私もあなたがたにツバを吐いてもいいですか? 汚らわしいですから!」

「琉唯ぴょんは、あなたたちが汚した廊下を文句も言わず掃除してたんだよ? なに私の大事な仲間に汚いもの付けたうえ、掃除までさせてんのよ! ふざけんな」

綾香もあかりに続く。

そして、仲間たちは同時に、僕を振り返る。

ええっと…。

僕に、何か言えってこと?

「…うーん。まあ、仲間にも無駄な迷惑かけちゃってたし、いなくなってくれるのは、良かったかな」

僕は、磨きあげた『琉唯スマイル』で、ニカっと笑ってやった。

「…くぅぉんのぉ、クソガキ、榊原流伊〜!」

3人はアイドルらしからぬ表情をして、一斉に立ち上がる。

「違うよ」

僕は首を傾げ、ウィンクをした。


「月城琉唯、だよぉ♡」


ーとっておきの、スマイルを添えて。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?