僕は君になりたい。 第14話「ルイのうた 僕の涙とピンチ」
#14
アイドルというこの仕事は、僕の人生における短期決戦…。
「琉唯くん? 大丈夫かい?」
「ええ、すみません。泣いたりして…」
目をこすった僕に、先生は言った。
「ずっと、心が張り詰めてたんだろう? 相談できる人も限られていただろうから。仕方ないことだ」
僕は何も言えなかった。
何か口走ったら、また涙が出てきてしまいそうだった。
ぐっと奥歯を噛みしめて、少しうつむく。
このたった3〜4ヶ月の間にあった様々な出来事が、僕の脳裏を駆け巡っていく。
カオルンとの出会い…。
オーディションと、社長の訪問。
デビューまでの日々と初ステージ。
歌やダンスのレッスン。
テレビ番組の収録。
イジメのストレスと克服。
津雲姉妹とのこと。
地方ロケ。
メンバーたちとの友情。
誠さんやスタッフのフォロー。
それと、何より、今更だけど。
ファンの声援。
(だましていることへの罪悪感)
ファンの視線。
(性別がバレることへの恐怖)
そう。
月城琉唯の正体が、明白になってしまったら、すべてが水の泡になること。
それは、僕だけの問題ではない。
僕に関わったみんなが何かしらの不幸に見舞われるだろう。
ああ。
みんなが、不幸に…。
そう、僕のせいで。
不幸に。
なって…。
…僕を、恨む。憎む。嫌う。怒る。罵る。
蔑む。嘲る。脅す…!
…僕は、どうなる?
…どうなって、しまう?
(……ッッッッ!!!)
声にならない声をあげ、頭を抱え、身を固くして震えた。
それから呼吸も激しくなって、苦しくなって、その場にしゃがみ込んでしまった。
押し潰される!
「…ごめんなさい、みんなごめんなさい。オレが悪いんだ、オレが来なければ…」
しゃくり上げ、涙が止まらない僕の頭を花岡先生は「よしよし」と言って撫でた。
結局、我慢することはできず、僕は泣き続けていた。
なんて、ガキっぽいんだよ!
なんて、みっともない!
なんて、なんて…!
「なぜ謝るんだい? だれも君を責めやしない。そうだろう? 君は求められて、ここへ来ただけなんだから。君はそれに応えてきただけじゃないか。悪者がいるとしたら、それはこんなに頑張ってる君を守りきれていない大人たちだよ」
とても、優しい声だった。
僕は、深呼吸をした。
「あの、先生…」
「ん?」
「…オレ、なんで個別レッスン、させてもらえなかったんですか? 曲ができてなかったからですか…」
声がかすれたが、僕はしゃがみ込んだまま、先生を見上げて、ずっと気にしていた質問をした。
「違うよ。心配だったのなら謝る。必要ないくらい、上手だったからだよ」
「…ウソだ、オレはそんなに上手くないでしょ? 声おかしいでしょ?」
「それは君の思い込みだ。何でも歌えるよ。大丈夫なんだ。…声の出し方、声量、肺活量も、ほかの女の子たちとは比べものにならないくらい素晴らしいんだよ。相当詰めて訓練したんだろ? リズム感や音程の取り方だって、もうプロだ。判る者には判るんだよ」
「でも、先生は、歌唱レッスンを見てないはずだ。なんで分かるの?」
「歌のレッスンはビデオで、ダンスのレッスンに来る前に見てたんだ。ダンスだけ見に来たのは、ただ君たちのキャラクターを見るためだ。はは。君は1番プライドが高かったね。本名を言う必要性なんかない、『月城琉唯』の自分を見ろって感じでね」
「全部知ってるんだろうと、思ってたから…」
小声で言う僕を、先生は抱きしめた。
「そうか。でも、先入観を持ちたくなかったから、特には何も聞いてなかったんだ。そうそう、君のトップアイドルぶりはさすがだったな。見事にだまされたよ。それに、すっぴんでも美人なんで驚いた」
「…男のオレには、響きませんよ。むしろ不名誉です」
「はは、なるほど。ふんふんふん、やっぱり君はプライドが高いね」
先生はずっと右手で僕の頭を撫でていた。背中の中心に当てた左手の暖かい手のひらの感触が僕の心を支えていた。
美咲たちは既に今日のレッスンを終えて、先に帰っていた。
今、レッスン室には僕と花岡先生しかいない。
こんな泣きじゃくる姿など、だれにも絶対に見られたくなかったから、ほっとしている。
ようやく泣き止んだ僕は、恥ずかしさで顔を上げられなかった。
そんな僕に立つように促し、先生は笑う。
「曲は、丁寧に作りたい。だから、待っててくれ。きっと、君が気に入ってくれる曲にする。待てるね?」
「…はい。でもなるべく早めにお願いします」
「分かった」
力強くうなずいて、花岡先生は帰っていった。
人前で泣くなんて、何年ぶりだろう。
僕は幼稚園に入る頃には、親におもちゃを買ってくれとせがんで泣きわめく同い年くらいの子どもを嫌っていた。
うるさいし、周りに迷惑だし、知恵のない幼稚な手段だとバカにしていた。
僕は欲しいもの以前に、泣くことを自分に許していなかったから。
その行為が理解できなかったのだ。
プライドの高い子どもなんて、かわいくない。
でも、今僕は「カワイイ」を売りにして笑顔を作る仕事をしている。
考えてみれば、皮肉なものだ。
鏡を見ると、まぶたは腫れぼったく、目は真っ赤だった。目の周りも頬も全体的に赤くなって、いかにも泣いた後の顔だなと思った。
「…オレの歌、認められてたんだな」
そういえば、学校の担任、音楽教師の若狭野先生も、琉唯の歌声を誉めていたっけ。
うれしいね、琉唯…。
僕は僕につぶやく。
月城琉唯に、つぶやく。
流伊が、がんばったおかげだよ。
僕は僕を誉めてあげる。
榊原流伊を、誉めてあげる。
よかったね♡
…ああ、良かった。
もっとがんばれるね♪
…そうだな。
がんばろうね!
…うん、頑張ろう。
☆
僕はロッカールームで、いつもなら洗って帰る顔に薄化粧をした。
女っぽくならないように、目の周りだけおしろいをはたき、粉っぽさを軽く手で払った。
別れるときに、みんなにはまだ内緒だと言って僕の曲の歌詞が書かれた紙を、花岡先生からもらった。家に帰ってから読もうと思っていたが、我慢できずに目を通してしまった。
「やべ。また泣きそうだ…」
僕は慌てて紙を鞄の中に突っ込む。
僕の歌。
僕が歌うために書かれた歌がここにある。
歌詞は花岡先生ではなく、作詞家の先生が書いたものだが、花岡先生が僕に持ったイメージを元に書いてもらったのだと聞いた。
僕の心は弾んでいた。
泣いて、少しスッキリもしていた。
僕は守衛さんに挨拶をして、裏から外に出た。
街灯が僕の長い影を歩道に映す。
今日はタクシーを拾って帰ろう。
そう思ったときだ。
「月城琉唯ちゃん、だよね?」
「…え?」
「私はこういう者です」
30歳前後くらいの女だった。
名刺には、こう書いてあった。
モーメント・マネジメント株式会社
人材スカウト部 主任 八重洲まつ梨
「あの…」
「安心して。暴露するつもりは毛頭ないから…ね、琉唯ぴょん♡ 」
片目をつぶって、ニンマリと笑う。
「私たちはね、美少女アイドル卒業後の君の受け皿になりたいの。芸能界は君をほっとかない。だから、今からツバつけておこうと思って…でもホント、オーラあるね君。遠くからでも君がスターだって、すぐ分かったよ」
かりあげのショートヘアに大きなリング型のイヤリング、大きな口に赤い口紅がやけに目立つ。
「それに、卒業したら、すぐ何かして欲しいってわけじゃないの。君が芸能活動を再開したくなるまで待つつもり。できれば10年以内がいいけど。君を絶対獲得したいから、私たちは今から君をバックアップもする。蝶貝社長やご両親と相談してみてよ。悪いけど、蝶々プロダクションはまだこの業界では力が弱い。君を守りきれないと思う。でもウチは良くも悪くも最大手だから、きっと一生君を守れる。悪い話じゃないと思うんだ。ね?」
ペラペラとよく喋る女だ。
スカウトの仕事をしてるくらいだから、当然当然と言えばなのかもしれない。
ただ、僕の台詞は決まっていた。
「…人違いだと思いますよ…オレ、女の子に、しかもアイドルに間違えられるなんて初めてですから」
「へえ〜。冷静だねー」
「失礼します」
「待ってよ。名刺は取っといて。そのうち役に立つと思うよ…あと、君だれかにつけられてるよ。パパラッチかストーカーかは分かんないけど、家族呼んで迎えに来てもらいな。それまで私と雑談してさ」
…あんたが、1番怪しいと思うけどね。
押し付けられた名刺を、とりあえず鞄の奥に入れておく。
僕は手を挙げて、捕まえたタクシーに乗り込む。
パパラッチ? ストーカー?
どうせ方便に決まっている。
「ちょ、流伊くん。ほんとに危ないよー。気をつけなさいよー」
一流芸能会社の女スカウトは忠告するが、僕は聞こえないフリをして、その場を後にした。
僕の頭の中は、ソロ曲の歌詞と花岡先生の優しい言葉でいっぱいで、彼女の言葉が入る余地など1ミリもなかった。
そして、家の近くでタクシーを降りた僕は、晴れやかに浮き立った心のまま、家のドアノブに手をかける。
「琉唯ぴょん、みーつけた」
全身が総毛立つとはこのことだろうと思った。
まったく見知らぬ男が僕の肩に手をかけて笑っている。
「だ、れ…?」
「だれ? 僕だよ〜。ネギマだよ〜。驚いた? 来ちゃった、どうしても会いたくてさ〜。でも、どうして男の子みたいなカッコなの? …あっ、そうかぁ、変装だよね?」
家がバレた。
そして、ほぼ素顔を見られた。
まだ、男だとは思ってないようだったが、不思議がられている。
変装?
…真逆だよ。
ネギマ?
…てめえ、なんか知らねーよ。
ストーカー?…してんじゃねーよ。
「流伊?」
中から母の声がした。
「帰ったの? 早く入りなさい」
「ネギマさん」
僕は、興奮気味の男に言った。
「帰ってください、人違いです」
「そんなはずないよ」
「困ります」
「なんで?」
なんで?だと?
迷惑だから帰れって言ってるのが、分からないのか?
僕は男の手を振り払って、中に滑り込む。
内から鍵をかけ、母に早口に言う。
「尾行された」
目を見開いた母は、すぐさま誠さんに電話して報告する。
警察にも連絡する。
大変な、ことになった。
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