僕は君になりたい。 第31話「告白のリミット 手紙を読んで自分と向き合う僕」
#31
土曜日の朝、僕は事務所脇の花壇の周りにできた霜柱をザクザクと音を立て、踏み潰しまくっていた。
誰も見ていないのを確認してから、むき出した白い歯みたいな霜柱の島々をゴジラみたいに粉砕して回った。
ガキな遊びをしていると思われたっていい。この行為は今の僕にとって、単なる遊びではない。
あかりは大事をとって、約1週間の休みを取るという。
「なにしてんだ? お前」
ビクッとして、顔を上げると、誠さんが立っていた。夢中になっていて、近づいてきたことに気づかなかった。
「…遠くから見ても、異様な光景だったぞ」
誠さんはつぶやいて、苦笑している。
「ストレス発散だよ」
僕は顔を背けて、足元の崩れた霜柱の一部を蹴飛ばした。
「1人で何やってんのかと思えば…後輩が見たら、ショックを受けるような無表情で、ただ一心に霜柱を踏んでたのか?…事務所的には、お前が花壇周りの土くれを荒らしたくらい、べつに許すけどよ。俺が心配になる」
「誠さんが? なんで?」
「…なんでって、お前の精神状態がやばいんじゃねーかって思うんだよ!」
「やばいかもね」
僕は吐き捨てるように言って、誠さんの横を通り過ぎようとした。
「待てよ。何か、悩みがあるんじゃないのか? 話してみろよ」
僕は一応立ち止まって、白い息を彼に吹きかけるように問いかけた。
「…じゃ、聞くけどさ。誠さんは、モテモテだったことある?」
「モテたこと? まあ、無くもないが…」
「ラブレターはある?」
「そりゃ、一度くらいあるよ。なんだ、恋の悩みか? 綾香か?」
「違うよ。あかりちゃん、それとプライベート」
僕は、これまでの悩みの種になっている数々の出来事を大まかに話した。
「…まだ告ってないけど、オレは綾香が好きなんだ。でも、実はあかりちゃんもオレに好意を持ってるって、その綾香に聞かされて…乙女心が全然分かってないってなじられたけどさ…オレ、男だもん。分かるわけねーじゃん。それに、最近学校でもラブレターっぽい手紙がいくつか靴箱に入っててさ…困ってんだよ!」
「そうか。プライベートの男のときでもモテ始めてんだ、お前。それで戸惑ってるって話か…そのうえで……何か思うところがありそうだな」
僕は大きく息を吐き出した。
女の子に注目されるってことの意味を、自分なりに考えていた。
「……オレ、男っぽく、なっちゃってる?」
思い切って、僕は訊いた。
月城琉唯の格好をして違和感が出てくるのは困る。もう少し、少女姿が様になっていて欲しいと思っている。声変わりも、あと8ヶ月は来ないで欲しい。
そういう身体の変化の時期に、自分が入っていることはもう分かっている。
だが考えたくなかった。
気づきたくなくて、問題を先送りにしていた。
だって、それはもう…明日にもアイドルを、月城琉唯を卒業するかって話になってしまう。
「心配なのは分かるけど、大丈夫だよ。事務所だって、お前の“男”が漏れないように気をつけてるし、モーメントさんも付いてんじゃん」
楽観的だな、と思う。
そりゃ誠さんは、僕ではない。
分からないのも、当たり前なんだろうけど…。
僕の冷めた視線を感じてか、誠さんは笑顔を消して頭をカリカリと掻きながら息を吐く。
「…社長に相談するか?」
「…やだよ。それだけは」
僕は、早足でその場を後にした。
☆
机の引き出しの中には、8通の「榊原流伊様」宛の手紙が入っている。
僕は帰宅すると、何度かそこを開け、その都度ため息を吐いた。
これ、どうしたらいいんだろう…。
僕は日曜日、父に相談することにした。
父がモテたという話は、聞いたことがないが、一応モデルとしては有名だった母を射止めたわけだから何か参考になることを言ってくれるかもしれないと思ったのだ。
「マジか! 流伊! スゲェな!」
そのリアクション、軽すぎる…。
…やっぱり、ダメかな。
僕の気持ちは、下がる。
「で、読んでみたのか?」
なぜ、最初の質問がそれなのか、と僕は虚をつかれた。「悩んでるのか?」くらいの質問が先だと思っていた。
「え…読んでないけど」
「なんで?」
なのに、それに追い討ちをかけるように、父は訊いてくる。
何だか僕が悪いみたいに思えてくる。
確かに僕は自分のことばかり考えていた。
でもそれは急にこんな事態になったからで…上手くやり過ごすことができなかったからで、心がとてつもなく…。
「…なんか、重いんだ」
僕がうつむくと、父は僕の肩に片手を置き、もう片方の手で僕の頭を撫でた。
「…そうか。でも、読んであげなさい」
「どうして?」
僕の声は、少しかすれた。
「みんな、一生懸命書いたんだ。ドキドキしながら、お前のことを想って書いたんだ。
ファンレターは多すぎるし、男からがほとんどだろうから、無理に読めとは言わない。
でも…こっちは読んであげなさい。
せめて、内容だけでも知っててあげるべきだ。
返事するかどうかじゃない。みんなの気持ちを、一度は受け入れてあげなさい。
お前だって、自分の書いた手紙を無視されたら悲しいだろう?」
「そりゃそうだけど、返事を書かなかったら、実際は読んでても、無視されたと思われちゃうんじゃない? だったら、読まなくても同じだと思うんだけど」
「それは、違う。確かに相手からは、そう思われるかもしれないが、お前の気持ちが違うだろう? 読んだか訊かれれば、読んだよって言えるし、何か質問されたら、答えることもできる。相手の為じゃない。お前の為に言ってる…素直な返事を書いたっていいと思うぞ」
「しんどいよ…」
「いや、今よりは、楽になるはずだ」
「本当に?」
「本当にだよ」
父はぎこちなく微笑む。
「俺が読み上げてやろうか?」などと冗談混じりに言っている。
「…分かった、読んでみる。読んだら、また、相談してもいい?」
「もちろん」
「…オレが寝込んだら、父さんのせいだからな」
「大丈夫。お前は、俺の子だもん」
どういう意味だよ。
何が大丈夫なんだよ。
僕は父が部屋から出ていくと、まず1番手前にあった手紙の封を開けた。
白い封筒に、シンプルにただ横書きで僕の名前が書いてある手紙。
封にはピンクのバラの花のシールが貼られている。
封筒の中には四つ折りの薄いピンクの便箋が2枚入っていて、2枚目の文末に、差出人の名前が書いてあった。
榊原流伊様、
突然のお手紙ごめんなさい。読んでもらえたら、それだけでうれしいです。
2年になって、同じクラスになれて、本当にうれしかった。
1年のとき、遠足で山登りに行きましたよね?
みんな息が上がっていて、私も例外ではなく、へばっていたのですが、そんな私にクラスも違うのに笑顔で「大丈夫?」って声をかけてくれたのを、覚えていますか?
まだ、学校で友だちも少なかった私は、あまり声をかけてくれる人もなくて、ちょっと孤独でした。
だから、榊原君が「大丈夫?」って言ってくれたとき、本当に涙が出そうになりました。
とてもうれしかった。
つまらない一瞬の思い出です、榊原君は覚えていないでしょうね。
あのときから、ずっと片思いしてます。
ずっと言えなかった。
今も、声に出して言う勇気はありません。
だから、手紙を書きました。
ここまで読んでくれてありがとう。
お返事は要りません。
私には、それをもらう勇気もありません、臆病者なので…。 岩寺蓮実より
岩寺蓮実…。
もちろん、彼女のことは知っている。同じクラスだし、女子の学級委員だ。でも、話したことはあまりない。真面目を絵に描いたような女子である。まさか、あいつが僕を…こんなふうに思っていたなんて意外だった。
遠足のときのことは、うっすらと覚えている。
僕は彼女だけではなく、ほかの同級生たちにも声をかけていた。
確かにあの山登りは、かなりきつかったよな…。
ほかの手紙も開けてみた。
中には、1枚の便箋にたった一言「好きです!」と書かれているだけのものもあり、誰なのかも分からなかった。
あと、男子からもあったので驚いた。
隣のクラスの奴で、比較的目立つタイプの男子だ。「友だちになりたい」と書いてある。
そこにはツラツラと箇条書きで、“榊原の魅力”が書いてあり、だから「友だちになりたい」のだという。
①頭がいい。②顔がいい。③やさしい。④かわいい。⑤スポーツもできる。⑥目がきれい。⑦マジメなところ。…などであるが、顔がいい、かわいい、目がきれい、とか…結局は顔が好きなのか!と思った。同性愛的なモノなのか?
下手な鉛筆書きながら、丁寧に何度も書き直してあった。
ほかは…岩寺蓮実のような“告白だけ”みたいなもので、明確に「返事がほしい」「付き合って下さい」と書かれたものは、1通だけだった。
沢木真里沙、という1年生だった。
僕はふと、あの校門にいつも立っている地味な眼鏡女子を思い出した。
あの子だという確証はないけれども…そんな気がした。
僕は、岩寺と沢木に手紙を書いた。
岩寺には渡さないつもりで書いたが、沢木には渡すつもりで書いた。
岩寺には「ありがとう。ただ僕には思う人がいます。気持ちはとてもうれしかった。同じ気持ちは返せないけれど、そう思ってもらっていたのだと知れて本当にうれしかった」と書いた。
それは、家にある。
沢木には「ありがとう。でも僕には好きな人がもういます。だから、つき合うことはできません。ごめんなさい」と書いた。
それは、学校の鞄に入れてある。
そして、もう1通…既に書いてあったが、僕はそれを書き直した。
「綾香」
僕は、レッスンの後、帰り支度を始める直前に彼女を呼び止めた。
「なに? 流伊くん」
不思議そうに振り返る彼女に、僕はそれを手渡した。美咲がいたが、構わず渡した。
「オレの気持ちだよ」
それだけ言って、僕はコートだけ羽織り、そのまま事務所を出た。
冬の冷たい外気が、心地よい。
「…本当だね、父さん」
僕は迎えに来てくれた父の車に乗り込むなり、声をかけた。
「なにが?」
エンジンをかけて、父が問い返す。
「…少し、ラクになったよ」
僕は答えた。
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