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僕は君になりたい。 第2話「僕がアイドル⁈」

 #2


家の中は、静まり返っていた。

夜遅く帰ってきた母に、僕は姉と一緒に改まって報告をしなければならなかった。

母は、友達と飲んで、ほろ酔いになっており、いい気分だったに違いない。
父の出張中は、よく「自分へのご褒美」だと言って、仲の良い女友達とエステや日帰り温泉に行ったり、食事に出かける。
そんな上々の気分のときに、もう幼くはない子供2人が、神妙な顔を揃えて、母の帰りを待っていたのだから、驚くのも当然だろう。
「どうしたのよ、2人とも。姉弟揃ってお出迎えなんて、珍しいじゃないの。なんかあったの?」
母の質問に答えたのは、姉だった。
「大ありよ。私もちょっと反省してるんだけど、大変なことになったの」
僕の顔を、ちらりと見る。
「…どうしたの? 流伊?」
「ごめんなさい…」
僕は、母のほんのり赤く染まった顔を、直視することができなかった。
「今日、なんかオーディションがあるって言ってたけど、関係ある?」
なかなか言えないでいると、母のほうから、そう投げかけてきた。
僕は頷く。
「その…あれ、オーディションなんだけど、オレさ、う、受かっちゃったんだ…」
「あら。良かったじゃないの、それのなにが問題なの?…おめでとうって、お祝いしなくちゃいけないんじゃなくて? お父さんにも連絡しないと」
「ママ、待って。流伊が何のオーディション受けたか知ってる?」
「タレント事務所でしょ?」
スマホで父に電話しようとする母に、姉が食い下がって、事態をよく把握してほしいと説得する。
「そうだけど…。本来なら入れないところの事務所なの! ウソの応募をしちゃったの。だから問題なのよ。私もどうせ何の知識もないこの子が受かるわけないと思って、協力しちゃったんだけど、まさか受かるなんて、ね、流伊」
僕は黙って頷く。
「しかもね、大きな事務所じゃないからかもしれないけど、社長さんから直に連絡があってね、両親は留守ですって私言ったんだけどさ、じゃまた明日ご連絡しますって話でさ」
母はただただ、まくし立てる姉の話に目をパチクリさせている。
「姉貴…もう、オレ自分で言うから」
僕が言うと、姉は急に心配そうな声で、
「流伊。大丈夫? 話せる?」
赤ちゃんに言うみたいに、僕の顔を見る。
「話せるよ」
僕は苦笑いをするしかなかった。
「母さん、オレね。カオルンのいる事務所を受けたんだ。会いたくてさ、会えたらいいなって…ただそれだけの理由でね」
僕は、募集してたのは『女の子』だったということ、姉に服を貸してもらって、受けに行ったのだということを説明した。
「受かるはずないじゃんって、タカを括ってたんだ。当然だろ? オレ男だもん。男でも受かるほど甘くないだろ? だって、たくさんのカワイイ自信のある女の子たちが集まって来てるんだからさ…」
僕がやや口ごもると、母は急にパァッと瞳孔を開き、大声をあげた。
「へぇー! すごいわねー! あんた、本当にカワイかったんだわねー。さすが私の息子ねー。驕りたかぶったブサイクな女たちなんか目じゃなかったのねー。傑作ねー!」
「は?」
どんだけ酔っ払ってるんだ? この親。
今度は僕が目をパチクリさせる番だった。
母は、上機嫌だった。
「いいじゃない。言ってやんなさいよ、その社長にさ。実は男なんですけど、いいですかって。楽しいじゃないの!」
なに言ってんだ?
「なに言ってんのよ、ママ!」
姉の言葉は、僕の思いとリンクした。
母は大笑いしながら、寝室へ入っていった。着替えているのかと思って待っていたのだが、しばらく経っても出てこない。
姉と覗きに行くと、着替えていない、そのままの格好で、母はベッドの上に寝転び、グーグーと眠っていた。
姉は、母に布団を掛けてやりながら、話はまた明日だね…と、僕に呟いた。

話を聞いた父は仰天して、少しの間、顔を強張らせていた。
これが、普通の反応だと思う。
だが。
その夜、帰ってきた父は。
「蘭子ちゃん。…流伊がもう働くんだったら小遣い、要らないよね? その分をぼくに上乗せしてくれてもいいよね?」
それに母はすかさず応える。
「ダメよ。廉太郎くん。電気代が上がっちゃってるから、そっちに充てるんですよ!」
「そんなぁ、殺生な…蘭子ちゃんてば、鬼!電気代なんてまたすぐ下がるって」
「ダメ。璃音の学費だけでも馬鹿にならないのよ! 据え置きです!」
「え〜、ダメ? どうしても?」
「どうしても!」
「うーん、ダメかぁ…」
心から残念そうな父のため息が聞こえる。
何なんだよ。
僕がこんなに悩んでいるというのに、親たちは、この状況を、冗談だとでも思っているのだろうか。
「あのさ…もうすぐお客来るけど、オレは、どうすればいい?」
「どうするって、最終面接でしょ? 最後までやり遂げなさい。ねえ、廉太郎くん」
「そうだな、俺はいつだって、蘭子ちゃんやお前の意見を尊重するぞ」
未だに、くん、ちゃん呼びを続けてる夫婦って…あんたたちくらいだと思うよ。
「じゃ、断るけど」
どっちみち、本当は男なんです、すみませんでしたって話になれば、向こうだって納得するだろう。
僕は分かりやすいように、学生服の学ランと黒ズボンを着たままで待機していた。

もうすぐ夜8時だ。

例の人がやって来る。

ピンポーン、玄関の呼び鈴が鳴った。
8時、ちょうどだった。
遂に来てしまった。
蝶々プロダクションの代表取締役。
蝶貝真美子が。

「榊原さま。お邪魔いたします。蝶々プロダクションの蝶貝です。流伊さんとご両親との面談に参りました」

カクカクした話し方、お堅い印象。
母が玄関のドアを開けると、深々と頭を下げた、彼女がいた。年の頃は50代半ばくらいだろうか。母よりは少し上に見える。
ゆっくりと頭を上げて、まず母と父に「よろしくお願いいたします」と挨拶をする。

中に通されると、部屋の中を見回す。
僕を探しているのか。
「…流伊さん?」
僕もまた立って、深くお辞儀をした。
「こんばんは。この度はわざわざいらしていただきまして、有難うございます」
言いながら、顔を上げ、蝶貝真美子の目をじっと見つめた。
「どういうことですか? その格好は」
僕が『流伊』だということは、理解できるらしいが、学ラン姿には納得できていないようだ。
そうだよな…。
女の子だと、思っていたのだから。
「ありのままの、僕です。榊原流伊です。先日は、大変失礼しました。僕は男、性別を偽っていました。申し訳ありません」
「まさか…。あんなに可愛らしい流伊さんが? 男の子だなんて」
ありえないよな。
自分でも、そう思うよ。
ナルシスト?
そうじゃない、リアルだよ。
だって、やっぱり僕の女子姿は可愛かったと思う。客観的に見ても、そう思う。
もったいない。
なんで女子に生まれて来なかったんだって、思う。
そうですよね?
蝶貝社長?
「…分かりました。もう、流伊さんは結構です。ご両親との面談に入らせていただきたいと思います」
女社長の声が、冷静にそう告げた。
「えっ? だって、僕は男ですよ? 親と話し合うまでもないでしょう?」
「そうは参りません。あなたが男の子だと分かったからには、より綿密な話し合いをご両親とする必要がありますから」
「えと…それは、どういう…」
「先日、申しましたとおり、流伊さんは我が社のオーディションでの合格が既に決まっております。ですから、今後についてのお話をご両親にご説明して、ご理解を得なければならない、ということです」
淡々と話す。
僕は、意味が分からなかった。
「あの、だから…オレは男なんだから、そもそも受かっちゃいけない人間だろ! あんたたちも騙してるし、そんなヤツを受からせる会社がどこにあるわけ? こっちはもう断られるの覚悟してたし、当然入るつもりもなかったのに!」
僕は、イライラしていた。
話が噛み合わない。
気がつけば、大声で怒鳴っていた。
「勘違いしているのは、あなたですよ。流伊さん、我が社は女性専門の芸能事務所というわけではありません。たまたま、女性タレントを多く扱っているというだけのこと。あなたが男性であったとしても、別に問題はありません。ただ、今回は女性だと思っていたので、対処を少し変えなければならないのは確かですが」
「え、そうなの?」
「お分かりになりましたか? あなたは芸能人に向いています。芸能人を多数知る我々すら騙して、見事に女性アイドルグループのエースになるあなたをイメージさせたんですよ? 私たちが、あなたを諦めると思いますか?」
僕はもう言葉が出なかった。
「…流伊。それで、お前は芸能人になるつもりはあるのか?」
父の問いかけにも、僕は「ない」と答えるのが精一杯だった。

蝶貝真美子は、毎日のように電話してきた。
自宅まで、秘書と一緒にやってくる日もあった。
迷惑だった。本当に…。
後で聞いた話だが、税務署の取立てを食らっているんじゃないかと近所で噂が立ったという。
こっちが根負けするのを、待っているのだろうが、僕は断り続けた。

それが、3週間ほど続いた。

僕は負けない。

芸能人なんて、面倒くさい。
アイドルなんて、尚更だろう?

なってたまるかよ。

「あ、カオルン」
また公民館であじさいガールズのライブをやるという、チラシがポストに入っていた。
「元気になったのか。よかった」
チラシの端の方に、カオルンの顔が写っている。見に行きたかった。
あの笑顔、歌声、ダンスが見たかった。
会いたいな…。
そもそも、それが目的で、僕はオーディションに応募したのだ。
入所を拒否しなければ、カオルンの後輩に、僕はなれるのか。
ふと、そんなことを思ったが、慌てて首を振る。

無理だよ。

僕が、君のようなすごいアイドルに、曲がりなりにもなれるわけがない。

社長は今、僕を褒め殺してくるけど、一度「入る」と言ってしまったら、態度をがらりと変えてくるに決まっている。

そんなの、耐えられない。

…僕は君には、なれない。

チラシを見つめる。
もう我慢できない、と思った。

彼女に、会いに行こう。



















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