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僕は君になりたい。 第30話「告白のリミット 乙女心に動揺する僕」



 #30




あかりが、倒れた⁈

どうして?


「…発作が、出ちゃったんだね」


ポツンと、美咲がつぶやいた。
その瞳には、暗く濃い影が落ちる。


「発作?」


僕が訊ねると、美咲はため息をつき、僕と西山先生を交互に見ながらうなずいた。


「あの子、てんかん持ちなんだって」


「てんかん…って?」


「まあ、脳神経的な病気らしい。あかりの場合、興奮しすぎちゃうと、もう突然身体が硬直して気を失っちゃうって言ってたよ」


「…知らなかった」


「言わなかったからね、あんたと綾香には」


「…なんで、だよ…⁈  仲間なのに!」


「…年下に気をつかわせたくなかったんだよ」



「そんな、年下とかカンケーねぇだろ…っての!」



僕はうつむいた。


美咲が西山先生に様子を確かめると、あかりは既に医務室のベッドに運ばれ、救急車を呼んでいるという。今、保健師と一緒に綾香が付き添っているので、美咲に綾香と交代してほしいという。


「薬を何種類も飲んでるから、何とかなってるって言ってたんだ…。でも、完全じゃないって。来るときがきたら、考えるってさ」


「来るときって…なに」


僕の声は、自分で想定していたよりも低かった。そのことに少しだけ驚いたが、今はそれどころではない。


「つまりさ、ステージ上で倒れちゃったらってことだよ。お客さんの前で発作が起きちゃったら、もうステージには立たない…っつーか、立てないだろうって話」


美咲の声も低かった。
楽しい話ではない、当然だろう。


「…美咲、そろそろ。救急車が来るから」


西山先生に声をかけられ、美咲は医務室へと向かうために、先生と部屋を出て行った。取り残された僕は、呆然と立ち尽くす。


大人たちは、知っていたのだろうが…。


入れ替わりに、綾香がとぼとぼと戻ってきたが、顔色はあまり良くない。僕の顔を見て、しゅんと目を閉じた。


「…突然、だったのか?」


彼女は黙ってうなずく。


「今は?」


「…静かだよ。眠ってるみたいに」


「そうか」


僕らは沈黙し、何となく目を逸らした。
救急車のサイレンが近づいてきて、ピタッと止まる。バタバタと幾人かの足音が聞こえた。
赤い回転灯が点滅している。


「…流伊くん。あのね、私たち2人は、もう上がりなさいって…言われたよ」


綾香が小さな声で、僕にぽつりと言った。


「ああ…そうだろうな」


僕は答えたが、足がすくんでいた。



足が前に出ない…。




また廊下が騒がしくなり、あかりが運び出されるとなったとき、ようやく僕のつま先は、ドアの方を向いた。


「待って、流伊くん!」


僕が駆け出そうとするのを制するように、綾香が声を張り上げた。


「あかりちゃんは、流伊くんには見られたくないと思う」


そして、突然、そんなことを言われた。
訳が分からない。


当然、納得できるわけもない。



「は? 何言ってんだよ? どんな様子か、オレだって確かめておく必要があるだろ!」


「ダメ!」


綾香は懸命に僕の服の袖を掴み、放そうとしなかった。


「なんでだよ!!」


僕はキレ気味に叫んで、綾香の手を振りほどこうともがいたが、彼女は必死に僕を引き留める。


「何でって、そんなの、決まってるじゃん!」


「だから、なに!」



「…好きな男の子に、ひきつけ起こした後の姿なんか、見られたいと思う?」



綾香は眉間をひそめ、悲壮な声を出した。




 ☆



いま、何つった?



いま、彼女は何つった?



動きを止めた僕の服の袖を放すと、綾香は小さく息を吐いた。


「やっぱり、気づいてなかったんだ。流伊くん、乙女心に鈍感すぎだよ! あかりちゃんは、私より前から、流伊くんのこと好きだったのに…」


「…えぇ? お前は気づいてたの? オレは、まさかって思ってて…」


「マグカップの底」


「は?」


「誕生日に、もらったでしょ! マグカップ!」



それが何だというのだ。



「魚の絵、見た?」


「ああ、見たけど」


「意味わかってないよね?」


「意味?」


「あれは、キスだよ! 逆立ちしたキスなの!」



僕の目は、点になる。


あの細長い魚は、キス(鱚)…それが逆立ちしてるってことは「スキ」ってこと?



だって、そんなの…
言ってくれなきゃ分かんないよ。



大体、魚が逆立ちしてるかなんてさ、ふつう考えないだろう?


“キス” で既に口づけの “KISS” と同じ読みだし、深読みすれば「好き」という意味だと取れなくもないけれど…。



なんで、綾香はそれが「逆立ちしたキス」だと知ってるんだ? 


「お前、マグカップ…見たのか?」


「見てないよ。あかりちゃんから聞いたの」


「…逆立ちなんか、してないぞ、あのキスは」


「え? でも、腕を描いたって…」


「…腕なんか無い。ただの細長い魚だった、キスはキスなのかもしれないけど」


「本当に?」


「本当だよ。もう一度、見てみるけど…」


「じゃ、なんで…あかりちゃんは、私にそんなこと言ったんだろう?」


「…本人に訊けよ」



僕は、父に電話をかけ、迎えに来てくれるように頼んだ。




 ☆



帰宅すると、僕は本棚の上から僕の誕生日にあかりからもらった「陶芸教室で作ったマグカップ」を持ち出し、その底の絵を確認した。


サンマだと思っていたが、キスなのか…。

黄色一色でイラスト風に描かれていたから分からなかった。キスです、という注意書きもない。分からなくても良いと思っていたとしか思えない。


それに、やっぱり、魚が逆立ちしているように見える腕なんか描いてなかった。


敢えていうなら、正面があり、それに対して頭が裏面に向いているというくらいだ。




それに、気づけと言うのですか? 

『乙女心』、様。

僕みたいな青臭いガキには、到底理解不能です…。



「流伊」


僕が部屋で独り、ため息を吐いていると、ドアがノックされ、姉が目だけ覗かせ、そっと声をかけてきた。


「…なに?」


僕は、マグカップを机の上に置く。



「あんたさ、見たよね?」


「…なにを?」


「分かるでしょ。私が泣いてたのを、よ…」


「そりゃ、イヤでも気になるだろ。あんだけ泣いてたらさ」


「そうよね…ごめんね」


「べつに。もう、落ち着いたの?」



姉は苦笑いして、小さな声で「まあね」とつぶやいた。いつもの威勢の良さは影を潜めていた。



「…姉貴、あのさ」

「ん?」

「これの意味、分かる?」


僕はマグカップを手に取り、底を姉に見せた。


「魚ね」

「うん。魚の絵、誕生日にもらったんだよ。この絵の意味、分かる?」


姉は、しばらくそれを眺めていた。
マグカップを上から下からと色んな角度から見て、顎に手をやったり、首を傾げたり、目を細めたりしている。


「…この魚、もしかして鱚? だとしたら、逆さまに描いてあるから『スキ』とも読めるわね」


名探偵さながら、姉は謎を解き明かす。


「それ、やっぱり逆さまなの?」

「意味があって描いたのだとしたら、そうかもしれないってだけよ…あんたが好きな魚だとか、その人の趣味が鱚釣りだとか、そういう要素があるなら、それかもしれないし、なければ単純に思いつきで描いただけってことよね」


リケジョな分析だな、と僕は思いながら、マグカップを返してもらう。


「…オレは、気づいてあげるべきなの?」


僕は、感情を込めない口調で訊いてみた。

姉は「そうねぇ…」と言いながら、息を吐き出すと、曖昧を嫌う性格ゆえに、明確に答えてくれた。


「…とぼけといて、いいと思う。こんな細工をするって意味は、“相手に分かってもらえなくてもいい”って、くらいの感覚でしょ。それより、ちゃんと言ってくる人のほうが、真剣にあんたのことを考えてると思うわ」


「そ、か…分かった。オレも、そう思う」


僕の気持ちは決まっていた。


あかりには、あかりの魅力がある。
とても魅力的だと思う。

もし、彼女から告白されていたら、メロメロだったかもしれない。


でも。


僕が、たぶん“男”として惹かれるのは、やはり綾香のほうだと思う。

彼女は、はっきりと、僕のことが「好き」だと手紙に書いてきてくれた。

僕も、手紙を書いてある。

何となく渡すタイミングがないままの手紙が、まだカバンの中に入っているが。



「あんたも、悩ましいわね…。私もね、そのマグカップの彼女みたいに、彼に選ばれなかった女。彼が私より好きになっちゃった人がいたの、仕方ないわよ…私は負けたの。その人に。負け犬なのよ…! 
悔しいけどね!」


姉は鼻をすすり、自嘲しながら言った。



 ☆



3学期が始まって2日目、僕は学校へ向かう。

高柳と肩を並べ、学ランの上から羽織ったグレーのハーフコートのポケットに、両手を突っ込む。美咲からもらった手袋をはめようか迷ったが、何となくやめてしまった。


そして、校門の近くまで来たとき、高柳が僕の耳元で囁いた。


「なあ、流伊…」

「…ん?」

「あの子、昨日もいたよな?」

「ああ。あの、おかっぱ眼鏡の女子な」

「…視線を感じねー?」


少し嬉しそうに高柳は僕に言う。
確かに昨日の朝もいた。ショートヘアで銀縁のあまり今どきとは言えない感じの眼鏡をかけていて、たぶん1年生だと思うが、小柄で地味な感じの女子だ。


「…駿のファンかもな」


僕は関心がなかった。


自分とメンバーたちのことで頭がいっぱいだった。
それに、僕ではなく、高柳が目当てってこともあり得る。



校門を通り過ぎても、彼女の視線は感じた。


「…そりゃな、オレである可能性もゼロではないと思うけどな…でも、どう考えても、お前だと思うぞ、オレは」


「なんで」


「分かるだろ! 昨日! お前の靴箱の中、すごかったじゃんよ〜!」


「ああ…」


3学期の初登校、10日ほどの休みを経て、開けた靴箱の中に7〜8通の封筒が入っていた。


「まだ読んでないのか?」


「ああ…」


「そりゃ、いっぺんにあれだけ貰ったら、お前も困るだろうけど…」


「そんな気分じゃないんだ」


僕は歩きながら、一度ぎゅっと目を閉じた。


「…大丈夫か?」


靴箱の前に立ち、そっとその小さな板扉を開けてみる。


今日はなかった。

僕は、少しホッとする。


「オレ、今までモテてみたいってずっと思ってたけど…認識変わったよ。お前見て」


彼は、僕の背中に軽く触れ「さあ、行こうぜ」と、縮こまった僕の心を教室へと促してくれた。







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