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僕は君になりたい。 第6話「アイドルより好きな人」


 #6

なんで?

月城琉唯じゃなくて、

榊原流伊なの? 

なんで?

僕はしばらく言葉が出て来なかった。
その場に立ち尽くしていると、お嬢様たちにはスーツ姿のお迎えが来て、強引に夜の街灯に黒光りするベンツに乗せられていった。
「流伊さまー! お待ちしておりますわー。ぜひいらしてくださいませー!」
「いらしてくださいませー!」
瑛里亜、愛里亜の声がこだまする。
ベンツは滑らかな動きで走り去っていった。

彼女たちの呼びかけを、僕は頭の中でずっと「琉唯さま」と翻訳していた。
でも、本当は「流伊さま」だったってことなのか…。
信じられない。
そんなの、日常生活でもありえない話だ。
「なんだ〜。あの子たち、男の流伊くんが好きだったんだ〜」
綾香が楽しそうに話しかけてくる。
「まあ、そうだよね。事務所にいるときはいつもメイクしてないもんね。スカートだって履いてないし」
「だからってな…」
自分でも分かる。顔が赤くなっている。
「いいじゃん、そのほうが。大会社の社長のお嬢様と付き合えるチャンスじゃん。双子なのが迷うけど、長女の瑛里亜ちゃんなら、会社継げるかもだし、愛里亜ちゃんでも、それなりに…」
「うるさい」
僕は打算的な綾香の言葉を嫌って、さっさと着替えると、事務所を出た。

夏休みに入って、暑さが増した。
外の夜風でさえ、湿気を多く含んで、まとわりついては汗を呼び起こす。それでも、無いよりはまだマシだ。停滞した空気をかき混ぜてくれる。
僕は最寄りのバス停で、肩に掛けていたバッグを下ろし、津雲姉妹からもらったパーティーの招待状を広げた。
「赤レンガ倉庫そばのエクセルコンチネンタルホテル? 自宅じゃないんだな、ま、いっぱい呼ぶからか…えと、54階スカイブリッジフロア? マジ高級そう」
さすが社長令嬢だよな。
子供の誕生日にここまでするのかって感じ。
いずれにしろ、住む世界が違う。
「うちなら、好きなピザ3枚頼んで、終わりだもんなー」
平和な一般庶民の、気兼ねもない家族パーティー。親が出し渋りながら買ったプレゼントを楽しみに開ける。実に幸せな光景だ。
僕は1人でヘラヘラ笑いながら、招待状をバッグの中に戻そうとした。
「ん?」
封筒の裏面に、双子のどちらかの丸っこい字が書いてあった。

流伊様。ご家族か、ご友人をぜひ誘っておいでくださいませ。おふたり分のご招待です。
津雲瑛里亜・津雲愛里亜


 ☆

上流の社交界ってものを、モデル時代に少しは知っているだろう母に、招待状を見せた。
握りつぶしてしまおうかとも思ったが、一応は親に相談してみるかと思い直した。
「えーっ! ツクモホームの社長の娘さんたちが、あんたに好意を寄せてるの? 芸能界っていいわねー」
確かに普通ではあり得ないことだと思う。
「休みなら、行っちゃいなさいよ。そうだ、2人行けるなら、璃音と行きなさい。姉弟揃って玉の輿に乗れるチャンスじゃない。美味しい料理も食べられるし。うわー最高!」
綾香と同じようなことを言ってやがる。
能天気な親だ。
酔ってなくても、この調子なんだな…。
僕はほとほと呆れる。
「姉貴、行く?」
僕と行くなんて嫌がるだろうと思っていたら、意外にも姉は「行く」と言った。
「なんか予想外」
「財界と繋がりを持てればね、医学はもっと発展させられるのよ。とにかく、医療ってのはお金がかかるじゃない。研究にも治療にもね」
べつに、姉が将来の医学界を全部背負うわけでもあるまいに、なんか大きなことを言っている。
素直にお金持ちの御曹司をゲットしたいと言えばいいのに、かわいくないよな。
「じゃ、日曜日ね。6時からだから、4時半には出るからね」
「分かったわ」
「あ、姉貴。あと、オレ、テーブルマナーとかよく分かんないから、よろしくね」
「はいはい、弟どの」
姉の部屋は、医学書で溢れている。本棚に入り切らず床にも積んである。本当に医者になりたいのだなと思う。今だって、机に何やら人体図が載っている本を広げて、レポートみたいなものを書いていた。
僕は自分の部屋に戻って考えた。
…僕は、将来何になりたいのだろう?
アイドル生活は、来年の夏休みが終わるまでという契約をしている。
契約は更新できますからね、と社長は付け加えていたけれど、今のところそんな気は全くない。
1年だから、頑張れる。
そう思っている。
高校に行くための、受験勉強だってぼちぼち始めなければならない。
休んでいる余裕などない…。

「流伊さま」か。

悪くない。

自然と頬が緩んでくる。

でも、本当に手ぶらでいいのかな。
それに…どんな服を着ていけばいいんだ?

追い返されたりしないよな?

そうこう考えているうちに、どうしようもない眠気に襲われて、僕は眠った。

時計は夜中の2時を回っていた…。


 ☆


「流伊さま、そちらの方は…」
愛里亜が僕に訊ねた。
「…初めまして。流伊の姉の璃音です」
「まあ、失礼いたしました。お姉さまでいらっしゃいましたか。どおりで、お美しい方だと思いましたわ」
瑛里亜が頭を下げるのを、姉は恐縮の表情で見下ろしている。
「ありがとうございます。瑛里亜さん、愛里亜さん」
「とんでもございませんわ、こちらこそ、わざわざお運びいただきまして、感謝感激でございます…さあ、おふたりとも。お席にご案内いたしますわね」
愛里亜が先導して、瑛里亜が続き、僕と姉が続く。
「主役が、こんなうろうろしてていいの?」
瑛里亜に訊くと、彼女はなぜか顔を真っ赤にさせて振り向く。
「そんな、流伊さま。お気を遣わないで下さいませ。わたくしたちは、今たいへんな歓喜に見舞われておりますのに。とてもじっとなどしておれませんわ」
「そうですわ。璃音お姉さまもさることながら、流伊さまの凛々しいお姿に、わたくしたちは目が眩み、おのれの醜さが恥ずかしくてならないのでございます」
同じように紅潮した顔で、愛里亜が答える。
なに言ってんの? この2人。
いつの時代の人だよ。
「大げさだって。君たちだって、すごくかわいいよ」
そのドレス、高そうだよね…とは、さすがに言えなかった。
お揃いの白と紫のキラキラしたドレスを身にまとった双子が、お人形さんのようにかわいらしかったのは事実だ。
すると、どうだろう。
2人が急に顔を両手で覆い、泣き出したではないか。
どういうこと?
僕が、泣かしたの?
えっとー…。
「そんな、わたくしたちなんかを、すごくかわいい、だなんて! うれしすぎますわ!」
「ええ。うれしすぎて涙が出てきてしまいました、まったく、馬鹿な姉妹ですわね。申し訳ございません…流伊さま」
「あ、いや…」
周囲の注目を浴びているのに気づき、僕も姉も慌てる。


着席しても、ずっと落ち着かなかった。

だって、この席。
真ん中の最前列の円卓で、双子と対面するように準備された席なのだ。
「ちょっと、流伊…この席、超VIP席よ。聞いてないわ!」
「オレだって、聞いてないよ!」
姉と小声で言い合っていると、僕の隣の席の人が声をかけてきた。
「あの、おふたりは、お嬢様たちとはどういうご関係なのですか? 初めて拝謁いたしますが…」
差し出された名刺には、某有名企業の代表取締役と書いてある。
「あ、えと…友人です」
「ご学友ですか」
「ええ、まあ…」
僕は終始曖昧に答え、服の中は汗まみれになってしまっていた。
「私の息子も、お嬢様たちとは幼稚園からのお付き合いをさせていただいておりますが、中学は違ってしまったので、最近は少し縁遠くなりました」
「そうなんですか…」
「ああ、息子です」
どこからか戻ってきた少年が、父親の手招きに少し小走りにやってきた。
父親に促されて自己紹介をする。
「あ…森中幸芳です、よろしく」
「榊原流伊です。よろしくお願いします」
軽く会釈をして、森中幸芳は父親の隣りに座った。あまり元気がない。
なんか怯えているようにも見えた。下を向いてばかりで、自分の指をいじくっている。
「お前、瑛里亜たちの何なんだよ」
僕が森中少年を見ていると、不意に後ろから声をかけられた。
高圧的な声が、不快に耳に刺さる。
「え?」
姉は化粧直しだと言って、席を離れてトイレに行っていた。迷っているのか、そろそろ始まるのに、まだ戻って来ない。
「初顔だろ? 挨拶しろよ」
「…榊原流伊ですけど。あなたは?」
「あ? 俺の質問に答えろよ。瑛里亜たちの何なんだって聞いてんだろうが!」
うるさいヤツだ。
更に後ろには取り巻きみたいな連中が数人くっ付いていた。
世間知らずなお坊ちゃん風情が、偉そうに啖呵切ってんじゃねぇっての。
僕の心は、白けていた。
どこにでもいるんだな、こういうヤツ。
「あ? 誰の質問に答えろだと? 誰だ、お前は…名乗りもしないで。2人の祝いの日に水を差すな。オレは彼女たちに誘われて来ただけだ。空気壊してんじゃねぇよ!」
相手は少し怯んだ。僕が言い返してくるとは思っていなかったのだろう。言葉に詰まっている。ざまあみろ。
「お、お前、俺が…三友銀行の頭取、蔵下明夫の次男だって知ってて言ってんのか?」
「知らないよ。答えないから」
「後で覚えとけよ!」
なんだ、あいつ。
結局、名乗らないでやんの。
銀行頭取の次男だぁ? 
負け犬め。
金魚のフンなびかせやがって、邪魔くさい。
「ちょっと、流伊。また、あんた何かやらかしたの?」
「なんで」
姉がやっと戻ってきて、こそこそと耳打ちする。
「会場の外で、若い男が騒いでてさー。あんたの名前連呼して罵ってたわよ」
「クソだな」
「もう、勘弁してよね。トラブルメーカーな弟を持つと苦労するわ」
周りがざわついているのは、僕のせいか。
これでは、みんなに迷惑がかかるな…。
「オレ、帰るわ…なんか、やっぱ場違いだ」
僕が席を立とうとしたとき、
「待ってください!」
声をあげたのは、森中幸芳だった。
「待ってください、榊原さん!」
別のテーブルにいた、別の少年も立ち上がっていた。来場していた津雲姉妹と同年代の少年少女たちが、次から次へと立ち上がり、僕を呼び止める。

えと…どうなってんの?




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