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僕は君になりたい。 第19話「聖夜の夢 ルイボスミルクは好きですか?」



  #19


中間テストは、思ったほど悪くなかった。
ただあの高柳に誤りを指摘された数学の1問だけが悔しくてならなかった。


風に落葉が舞い狂う季節。


商店街をぶらついていると、偶然に美咲の姿を見かけた。
何かを探しているようだった。
「彼氏へのプレゼント?」と訊ねたら、なぜか僕に「欲しいものを言え」と脅してきた。
僕の欲しいものが、彼氏のプレゼントの参考になるとでも思ったのだろうか。
ひどく必死だった。
それで仕方なく、自分で買おうと思っていた「数学の参考書」と言ったら、本当に買ってくれた。

何でも『快気祝い』だそうだ。

お陰で、自腹を切らずに済んだが、なんだかえらく笑われ、不愉快な気分だった。


「…まあ、いいか。これで、数学対策は万全だし」



僕は、その夜、早速その参考書で勉強を始めた。


 ☆


あの日は、仮契約書にサインをした帰りだった。

母は商店街のスーパーで買い物していた。
それを待っている間、ぶらぶら歩いていて美咲に会ったのだ。

蝶貝社長が、僕の回答を相手先に伝えると、間髪置かずに、明日会えるかという話になり、ちょうど日曜日で休みだったため、僕は母と蝶貝社長も交えて、その人と会った。


「モーメント・マネジメント株式会社、代表取締役の時津です。この度は、前向きなお返事をいただきまして、誠に有難うございます。本当に! 厚く御礼申し上げます!」


頭頂部に蛍光灯の光が反射している。
50代半ばくらいのオジサンで、黒縁の四角いメガネをかけていた。そのメガネの奥の瞳はつぶらで、真面目さが滲み出ていた。
大手芸能会社の社長というから、もっと偉そうな人間だと思っていたのだが、下げた頭をなかなか上げない。

こういうやり方で、のし上がってきた人なのだろうか。


僕は母と何となく顔を見合わせた。


僕は学生服姿だった。

むろん、意外な顔はされなかった。
この人は、女装の僕ではなく、男の僕を引き抜きたいと言っているのだから。


それでも、確認はしておきたかった。


「あの、質問してもいいですか?」

「もちろんです」

時津氏は、僕の顔を真っ直ぐ見てうなずいた。メガネのレンズに反射した光で、一瞬目が消える。


「なんで、僕を…1年後のもうアイドルじゃない僕を…欲しいんですか?」


「アイドルだからじゃないからです。君だからです」


「…えと。僕の、何が…いいんですか?」


時津氏は少し考えるように、顎に手をやった。言葉を探しているようだ。
彼は紅い唇を真一文字にして沈黙する蝶貝社長の顔をチラリと見、軽く咳払いをした。


「…私はテレビで『月城琉唯』を初めて見たとき、凪のように静かなのに力のある目だなと思いました。そう、冷静で力に溢れているその目を見て、この子はどんな状況でも、自分の魅力を最大限に引き出せる、才能あるタレントだなと感じたのです。それで君のことを調べ…こうして、ここに来たわけです」


自分で訊いておきながら、僕は言われていることが、深すぎてあまり理解できなかった。だから、ただ素直な思いを伝えた。


「…有難いお言葉…だと思いますが、僕が芸能人を続けてもいいと思ったのは、歌うことが好きになったから、歌手でいたかったってだけです。それで構わないですか?」


「ええ、構わないですよ。無理はしなくていいです。君の好きと好奇心が、我々の企画や提案とマッチしたときだけ動けばいいんです。荒稼ぎをしたいなら、別ですけどね」


「そうですか…分かりました」


そんな会話のあとに、僕はモーメント・マネジメントから差し出された仮契約書に名前を書き、母も保護者として署名した。

「今後は、“流伊くん”と呼ばせてもらいますよ」

「はい。よろしくお願いします」

僕は、時津社長と握手を交わした。思っていたより分厚い手だった。



 ☆




「ルイのルイボスミルク、優しい甘さがクセになる! おすすめです♡」

琉唯がウィンクする新しいお茶のCM。

星キャンに、このCMの話が来たのは、実はあの事件よりも前のことで、収録も既に終わっていた。
粉末の4種類のスティックティーを、4人がそれぞれPRするものだった。
美咲は『抹茶オレ』、あかりは『レモンティー』、綾香は『ピーチティー』。そして琉唯は『ルイボスミルク』だ。


ルイボスミルクって、何だ?


他のものは分かりやすいのに、なぜそこに突然ルイボスミルクなんだろう。しかもルイに掛けているのだろうが、僕の担当だ。


飲んだことないけど、美味しいのか?


「知らないの? ルイボスティー。最近はよく聞くよ」

美咲に言われて、試しにティーバッグを買って飲んでみたのだが、好きな味ではなかった。


これを宣伝するのか…。


セリフは決まっているのだから、後は演技の問題なのだろうけれど。
実際のその製品が美味しければいいな…などと思っていると、綾香が自分のピーチティーを飲んだ後、ルイボスミルクも試し飲みしていた。

「うわぁ、ミルクの味が優しいなー」

少し頬を紅潮させて、白い湯気を吐く。


そうなのか?



僕も試してみる。




「…うーん、なんかさ、優しいっていうか、ミルクとか砂糖とかの味、全体的に薄くない?」

僕が言うと、綾香はにんまりと笑みを浮かべ
ながら、僕の子どもっぽさに呆れたような年上ぶった嘆息をした。

「大人はね、こういうのが好きなんだよ。ほんのりと甘くて、ミルクも主張し過ぎない感じのすっきりした味がさ。甘ったるいのよりごくごく飲みやすいんだよ」

「オレ、ピーチティーのが良かったな…」

「ダメダメ! ルイはルイボスミルク!」

「…分かってるけどさ」


聞けば、『ルイボスミルク』は新味で特に売り出したい商品なんだそうだ。


自信ないなぁ…。


美味しそうに言えるだろうか?


「悩む必要なんかないんちゃう? 琉唯ぴょんがオススメすれば、買うやろ。ルイボスミルクの箱は、琉唯ぴょんの顔写真入りなんやし! 買わなならんでしょ。ファンなら!」

「そんなんでいいのかな」

「そんなんでいい! メーカーは売れればいいんやし」

あかりが断言するので、それ以上は言わなかったが、納得したわけではない。

「売り出しイベントもあるらしいし、力入ってるよ、メーカーさん」
美咲がマネージャーの吉岡さんから聞いた話で、クリスマス直前の日曜日にやるという。
「そうなんやー」
「なんかドキドキするなぁ…。ねえ、流伊くん?」
「ん…そうだな」
そういうイベントだと、客が近いから僕もいつもより気をつけねばならず、あまり積極的な気持ちになれなかった。


 ☆


それから。

あの事件を経て、ひと月が経つ。

モーメント・マネジメントとの仮契約からも5日が過ぎた。


週末のレッスンで、僕らは集まっていた。


みんなには、まだ仮契約の話はしていない。
…あくまで「仮」だし。

そもそも来年の8月末で引退することも伝えていない。
誠さんからは、そろそろメンバーには言う時期なんじゃないか…と言われているが、なかなか言い出せないでいる。
確かに、このメンバーでやってきてもう半年になる。残りあと8か月ほどだ。公表は来年の春頃だとしても、メンバーには言うべき時期に来ているのかもしれない。



なんて切り出したらいいのか…。


ちゃんと言えるか不安だ。


みんな、どんな顔をするだろう…。


最初からこのつもりだったと言って、分かってくれるだろうか?


自分で言わないと、とは思ってる。




…ただ。

僕のアイドル生活の“リミット”が少しずつ迫るにつれ、

反比例するように、

僕は“辞めたくない”思いに、迫られていた。


「どうしたの、ぼんやりして。期末テストのことでも考えてたの?」

綾香の顔がすぐ間近にあった。

じっと覗き込まれ、僕の心臓はバクバク鳴った。
思わず、目を逸らした。

「ま、まぁ、そうだよ…初日に数学あるなぁってさ」
「…えらいなぁ。私なんか赤点でも何でもいいやって、気にしてないのに」

「気にしろよ! 高校は行くんだろ!」


「どこでもいいよ。入れるところでさ。だって、いま私1番楽しくてさ! 星キャンやれて良かったなって思ってるから! それ以外のことは、どうでもいいんだよね」


「でも、大事なことだ。自分のためだぞ」


言いながら、僕は「本当に大事なことなのか?」「自分のためなのか?」と自問自答していた。幸せそうな綾香のうっとりした顔を見て「オレも今幸せなんだろうか?」と思ったりした。


「分かってるよ。でも、来年考える!」


「相変わらず、能天気だな」


僕が肩をすくめる素振りをしてつぶやくと、彼女もペロっと舌を出して、すっと肩をすくめた。



 ☆


…『ルイボスミルク』が発売された。


その翌日の登校中、友人が北風に鼻を啜りながら、唐突にカバンの中から、何かを取り出した。

「見たかよ! 琉唯にゃんのルイボスミルクの宣伝! 知らないだろ!」


ルイボスミルクの箱だ。
中身を抜いて持ってきたのだろう。
きれいにたたまれている。


「知ってるよ。昨日くらいから流れてるやつだろ?」


知らないわけがないだろう。
…つーか、お前より知ってるっての!


「やっぱカワイイよな。CMの琉唯にゃん。なんであんなカワイイんだろう? 写真になってもカワイイし」


高柳は箱についた琉唯の写真を指で撫でながら、ニヤニヤとつぶやく。



おい…。

ベタベタ触んなっ。

毎日、生で見てるだろうが!


オレが、恥ずかしくなってくる…。


「…なんだ? 顔赤いけど、また熱か?」


僕の額に触れようとする彼から逃れるように、僕は少し足を早める。


「違うってば。ルイボスミルクって、オレあんまり好きじゃなくてさ」


「ガキ舌だな」


高柳が笑う。


「うるせー」


僕は、更に足を早めて校門を過ぎた。

それに高柳もはぁはぁと白い息を吐き出しながら、慌てて追いついてきた。

「待てってば! なあ、このレスネのティースティック発売記念イベントさ、一緒に行かねー? 再来週の日曜日なんだって!」


「行かねーよ!」


一緒には、な…。



…彼に。




言うべきなのだろうか…。



これ以上、親友を。

だまし続けることへの罪悪感に。



この心が。


今よりも。


深く。暗闇に。


落ちて、いかないうちに…。




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