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僕は君になりたい。 第1話「僕のアイドル」

 #0


明るいステージの上に立っていた。
眩しい…
思わず、手を目の上にかざす。

そこでスポットライトを浴び、沸き上がる観客たちの歓声を聞く。

こんなことがあっていいのか?
ふざけるなよ!と、叫びたい。

でも。

それは、"快感" でもあった。



 #1


黛薫は「まゆずみ かおる」と読む。
小学生には、まず読めない。
これを、芸名にしているアイドルに、僕は熱を上げている。

僕は、榊原流伊。
普通に近所の公立中学に通う、中学2年生だ。

黛薫こと、カオルンを初めて見たのは春休みが間も無く終わる4月1日、エイプリルフールだった。
僕の住む、S市公民館のイベントで、地元アイドル「あじさいガールズ」の公演をやっていたのを、たまたま父親の知り合いがスタッフとして携わっていたのが縁で観に行ったときだった。

カオルンは、僕より一つ年上だ。
はっきり言ってしまえば、初めは可愛らしさは感じなかった。少し吊り目で痩せすぎの身体は、性格のキツさを表して見えたし、何より笑顔がぎこちない。緊張し過ぎているのかもしれないが、本当にアイドル志望なのかと思ったほどだ。

「やあ、流伊くん。来てくれて、サンキューねー」
父親の知り合い、山谷さんが声をかけてきた。公民館の職員なのだが、大学時代に芸術学部映像学科とやらにいた為に、今回のステージの演出を任されてしまったらしい。ちなみに父の2年後輩で、父は経営学部だったが、同じアメフト同好会にいたと聞いていた。
「榊原先輩。いやー、さすが奥さん元モデルっすねー。流伊くんのカワイイこと! もう中2っすか? デビューしたほうがいいんじゃないっすかー」
語尾に笑いを足しながら、山谷さんはキャップを取って、父に挨拶した。脳天が少し薄くなっている。
父は苦笑いをして応じ、こいつには無理だよ、芸能人なんて。と言った。
そこのところは、当然僕も同感だ。

すると、山谷さんは少し離れた所にいた数人の女の子たちを手招きして呼び寄せた。
皆おのおの大きな紫陽花の飾りを胸元に付け、キラキラ光るラメ入りのミニドレスを着ていた。髪にも、紫陽花をあしらったリボンやカチューシャをしている。
「この5人が今回のステージの主役、あじさいガールズの…」
「丸井優花です。愛称はユカッチです。一応リーダーをやってます」
いかにも、やる気満々な、気迫に溢れた顔で笑う。見た目も美人だ。
「私はサブリーダーの春日陽美といいます。ハルハルって呼ばれてます」
こちらも満面の笑顔。上背があり、ショートカットがキリリと似合っている。姉御系な凛々しい目鼻立ちで、映えそうな顔だ。
「あ、私は雨宮紫織です。シオリンて呼んでください。よろしくお願いします」
まっすぐな黒髪を長く伸ばし、しおらしい純和風の大和撫子タイプで、きっちりとお辞儀をする。
「梅村玲菜です。レナ、でお願いします」
こちらはまた、どこから連れてきたと思うようなセクシーな大人の女だった。アイドルというより女優が合いそうな感じがする。
「…あ、あの。私は黛薫。カオルンと呼んでいただければと」
一番目立たない地味な子だった。
さっきも言ったけれど、少し吊り目でスタイルも貧相で、一見性格キツめに見えるのに、話すと引っ込み思案な印象。
これがカオルンだ。
メンバーの中で、一番若いのは確かだが。

「みんな、まだステージ経験が少ないから、どのくらいやれるか分かんないけど、盛り上げてくれると助かります。…ね、頼むね、流伊くん」
そんなこと、オジサンのウィンクで頼まれても。僕も困る。
大体、まだ彼女たちのことを殆ど知らないというのに、盛り上げてとか、本当に勘弁して欲しい。
「お願いしまーす!」
無名の地元アイドルたちが、一斉に頭を下げる。
だから、困るんだよな、こういうの。
僕は頭を抱えたくなった。

ところが、あじさいガールズのステージを観た僕はたった一度の公演で、彼女たちの虜になってしまったのだ。
正確には、黛薫の、トリコだ。
公演前はあんな冴えなく地味に見えたあの子が、舞台上でパフォーマンスを始めた途端、衣装に当たる照明のせいだけでなく、急にキラキラと輝いて見えたのだ。
ダンスのキレもダントツで、歌も上手い。
何より笑顔が輝いて、5人の中で一番可愛く見えたのだ。

僕の心の中に、言葉が溢れる。

これがアイドルなんだ! 
カオルンは天性のアイドル! 
ステキだ! すごい! カワイイ! 
天使! 
女神!
また会いたい! 
会いに行きたい!
好きだ! 
大好きだ!

それは、初恋、だったかもしれない。

「…おい、流伊。終わったぞ」
父の声がした。
「あ、うん…」
「気に入った子ができたな? 当ててやろうか?」
「…分かるの?」
僕はまだ上の空だった。父はにんまりと笑みを浮かべて、僕の耳元にささやく。
「レナちゃんだろ?」
僕は耳を疑う。
「は?」
「あの大人っぽい色気にやられたんだろ?」
そりゃ、あのボディラインは高校1年には見えないけど。
「ハズレだよ」
僕は息を吐き出して、父に言う。
「それは父さんの好みだろ? 母さんもあんな体つきだしさ。オレの好みはああいうんじゃない。オレの好みは…」
言いかけたとき、ばたばたと山谷さんが顔色を変えて楽屋のほうへ走っていく姿が見えた。
何があったんだろう?
分からぬまま、僕ら親子は会場を後にした。


それから数日間、僕の中身は『カオルン』でほぼいっぱいになっていた。
もし、僕の身体が空洞だったなら、もうその割合は、つま先から目の高さにまで来ていると思う。
もうほとんど『カオルン』だ。
胸がハート形でいっぱいで、何をしていても、カオルンが頭をよぎる。
「流伊〜。この問題の答え教えろよ〜」
クラスメートの高柳がいつものように宿題の答えを求めてきても、僕の中では、カオルン天使が微笑んでいた為、いつもなら渋るところを、愛想よく教えてしまった。
「なんだ、流伊。オマエ、なにずっとニヤついてるんだよ。気色悪いな」
「なに、ちょっと天使に見惚れてたんだよ。分かるか? 分からんよな、お前みたいな卑しい人間には」
高柳が僕のおでこに手のひらを当てる。
「なんだ、オマエ、この間のご当地アイドルのライブで熱中症にでもなったのか?」
「熱中症? ああ、オレは今、カオルン熱中症患者になってる」
僕はカオルンの超絶美しい歌声を脳内リピートしながら応える。
「カオルン? そういえば、あじさいガールズの中の誰か1人がライブの後、救急車で運ばれたみたいだぞ。新聞の地方欄に載ってるって母ちゃんが言ってた」
「ええ? カオルンが? 救急車?」
僕は思わず、高柳の胸ぐらを掴んで揺する。
「いや、名前までは聞いてねーよ。そのカオルンかどうかわかんねーって」
「なんだよ。ちゃんと聞いとけよ、バカ」

僕は家に帰ると、一目散にライブ翌日の新聞を探した。
だが、どこを引っ掻き回しても見つからず、途方に暮れ、母に訊いた。
「新聞? 昨日チリガミ交換で全部出しちゃったわよ。何かあったの?」
母の回答に、僕は発狂しそうになった。
仕方なく、仕事から帰ってきた父に事情を話し、山谷さんに連絡を取って聞いてみてほしいと頼んだ。
あの日の帰り、楽屋のほうに走っていったキャップ帽の後ろ姿を思い出す。
あのときだ、あのとき何かあったのだ。
カオルンでなければいいが…。
胸が痛い。
「分かった、今日はもう遅いから、明日訊いてみるからな」
僕を宥め、母と顔を見合わせて、父は肩をすくめる。
しょうがない息子だ、そう思っているのだろう。
それでもいい。
僕は、ただただカオルンの無事を祈る。
あの天使を、真のアイドルを、僕は心の底から心配していた。

山谷さんの答えは、こうだったという。
「詳しくは話せないんですが、救急車で運ばれたのは薫ちゃんです」
彼女の所属する芸能事務所から口止めされているということらしい。
カオルン!
僕は泣きたくなった。
なぜ、どうして、なにがあったの??
僕はその日から人生が終わったような気持ちになり、ずーん、と落ち込んだ。
「べつに、彼女、死んだわけじゃないんだろ? ファンなら復活を見守れよー」
高柳のタワゴトなど、右から左へと抜けていく。
僕は授業中も、カオルンが心配でならず、あの軽快なステップでキレキレのダンスをしていた彼女の細い足首を思い浮かべ、あの素晴らしいダンスがしばらく見られないだろう悲しみに包まれたまま、ぼーっとノートにミミズみたいな英語を書いていた。
「おおい、流伊。ルイ・サカキバラ。これじゃ、あとで俺が見たとき、読めないじゃんかよ〜。ちゃんと書けよ〜」
勝手なことを言っている。だったら初めから自分で書いておけばいいだろうに。
「決めた」
僕は心に決めた。
「どうしたんだよ、急に」
高柳が戸惑っている。
「オレ、その芸能事務所に入って、芸能人になる!」
「なに言ってんだよ」
「カオルンのことを、聞き出すんだ。中の人間になればできるだろ」
「おーい、流伊。正気かよ」
正気かどうかなんて、どうだっていい。
「オーディションでも受けるのかー?」
間延びした高柳の声に、僕は反応する。
「オーディション?」
つまり、入社試験か。
「簡単には入れないだろ。芸能事務所なんてさ。スカウトされたんなら別だけどよ」
「あ…」
僕はふと思い当たることがあった。
『スカウトされたんなら別だけどよ』
高柳の言葉を反復する。

その日の帰宅後、僕はまた探し物をした。
机の引き出しを引っ掻き回して、数枚の名刺を取り出した。
「RWプロダクション、スワンプロモーション、アスター、サトウ興業、風間芸能、なぎさ企画、神エンターテイメント…モーメントマネジメント? なんか知らないなぁ。オレ、バーニーズ事務所しか知らんからな〜。この中に、カオルンの事務所はあるかぁ?」
僕はスマホのネットで調べる。
「まゆずみ、かおる…事務所、と」
[検索]をタッチする。
「えっと。蝶々プロダクション? 全然知らないぞ。オレのもらった中にもないし」
僕がガサゴソやってるの聞きつけ、大学生の姉、璃音が顔を出してきた。
「なにやってんの、流伊。自慢のスカウト名刺なんか広げちゃってさ」
そう言う姉は、10枚以上持っている。
「自慢なんかじゃねえよ。あるかなーって思ってさ…」
「何が?」
「蝶々プロダクションの名刺」
「あるわけないじゃん」
「なんでだよ」
「だって、あそこは女子オンリーなアイドル事務所だよ。無名だけど」
「マジかよ〜」
僕は途方に暮れる。希望が遠のく。
すると、姉がさらりと言った。
「私はあるよ」
「は?」
「持ってるけど? 蝶々の名刺」

しかし、いくら姉がそれを持っていると言っても、中の人間ではないし、なる気だってないのだから、コンタクトを取って、いきなり「カオルンは元気ですか?」なんて聞けない。聞いたって、答えてなんかくれないだろう。
「なんで、姉貴は蝶々プロダクションに入らなかったんだよー」
言ってみたところで仕方ないが、言わずにはいられなかった。
「やーねー、この弟。私は医者になるって幼稚園のときから決めてたの。芸能界なんて興味ないのよ! 折角苦労して医大に受かったのに、それを棒に振るわけないじゃない」
「インテリ女子め…」
もう要らないからと言って、名刺はくれたが、男の僕がそこに入れる可能性はゼロだ。
「大体さー、あんたの持ってる名刺のほうが一流芸能プロだよ。蝶々プロダクションなんて零細もいいとこじゃん」
「うるさい。蝶々プロダクションじゃなきゃ意味ないんだよ!」
僕は怒鳴って、姉を部屋から追い出した。
「そんなに入りたいんなら、女装して行けば? 案外、受かるかもよ」
まったく、ふざけた姉だ。
あれで、国立医大に現役合格したエリートだっていうのだから、世の中も落ちたものだ。
「女装? そんなんすぐバレるに決まってるだろ。アホらしい…」
僕は何となく鏡を見てしまった。
すぐ、首を振る。
いくら何でも無理だよな。
まだ声変わり前とはいえ、なんか声ガラガラになってきちゃって、喉仏も出てきたし。

でも。

どうせ受からないだろうし、中に入ってカオルンの顔だけでも見られれば安心だ。
それに偶然、話なんかできちゃったりなんかしちゃうとも限らない…。

うわ、最高じゃん?

姉のバイト面接のとき使った履歴書の顔写真だけを剥がして、自分の履歴書に貼った。それを蝶々プロダクションに、姉からもらった名刺のコピーをつけて送りつけた。
ちょうど、蝶々プロダクションでは「次代のアイドル」を募集しており、それに応募したのだ。
書類選考だけ通ってくれればいいと思っていた。
父母は僕が芸能人になるのに、特には反対ではなかったが、まさか女の子として僕が応募しているとは思ってないはずだ。
「あんた、気は確か?」
姉が僕の部屋に来て、小声で問う。
「なんのこと?」
「しらばっくれてんじゃないわよ。蝶々に応募したでしょ?」
「それが? 姉貴の提案じゃんか」
「まにうける馬鹿がどこにいるのよ。白々しい」
「ここにいるよ。姉貴の弟だからね」
僕はしれっと答えてやった。
「どーするのよ。選考に通っちゃったら、恥よ、恥。榊原家始まって以来の恥よ。断固、止めるからね、私は」
「書類ならもう通ったよ」
似てるとはいえ、あんたの顔でだけどね。
「えっ、ホントに?」
「ああ。だから姉貴の洋服借りるから、よろしくね」
「…バカね。あんたは、本当の馬鹿よ」
何言われたって平気だ。
僕はオーディションを受けるんじゃない。
カオルンに会いに行くのだから。

「こういうとき便利だね。男でも女でも通る名前って。オレ、初めて親に感謝したよ」
「こういうときってね…呆れたわ。もう、勝手にしなさい」
「ああ、勝手にするさ。それにこんなの最初で最後だから、心配すんなよ。どうせ落ちるのは分かりきってるだろ」
「冷やかし? サイテー。皆、必死で受けてるのに、遊び感覚なんて」
「遊びなんかじゃない。受けに行くことに意味があんだよ。オレにとっては」
カオルンに会えるかもしれない、ただそれだけのために、ここまでする僕の情熱だってすごいと思わないか?
…とは、言わなかったけれども。
「いいわよ。そこまで言うなら、服貸してあげるわ。ただし、コーディネートは私に任せること。いいわね?」
確かに、そのほうが助かる。
女の服なんて着たことないのだから。
「ああ。任せるよ」
僕はそう言って、姉から目を逸らし、またネット検索をした。カオルンの情報を探すが、一切見当たらない。
やはり、直に確かめるしかないようだった。



それから、2週間後。

オーディション当日。

会場に集まったのは、およそ50人。
この中から「次代のアイドル」と謳う蝶々プロの期待の星が誕生するわけだ。

アナウンスが始まる。

え〜、応募者258名の中より選抜されました皆さま方、これから第2次審査のグループ面接を開始いたします。6名ずつ8班に分けましての審査となります。各班20分間の予定で行います。
まず、午前の部の4班までは、こちらで待機して下さい。午後の部の方は、先に歌唱審査課題曲のレッスンを受けていただきます。午前の部の方は、交替で午後よりレッスンを受けていただきます。
午前、午後の審査が終わりましたら、約1週間後に第2次審査の合格可否通知をお届けします。合格された方には、第3次審査の日時を指定した書面が同封されています。最終の歌唱審査及び個人面接となりますので、当日通知書と指定書面を持参してお越し下さい。

へぇ。
ま、僕には関係ない。
ここまでだから。

大体、本物のアイドル目指す女の子たちの中で、僕が受かるなんてことがあってはならないし、いけないだろう。

しかし、それにしても。

周囲を見回す。
なんか…レベル低い気がするのは、気のせいだろうか?
一概には言えないけどさ。
カオルンみたいに、一見地味でも本番では輝く子だっているかもしれないのだし。

そして更に、それにしても、なんだけど。

さっきからなんか視線感じるんだよね。
最初、男がバレたのかと思って警戒してたんだけど、どうも違うみたいなんだよな…。

「あなた。どこのスクール生?」
スクール生って、何だ?
隣の番号の女子高生らしき受験者が話しかけてきた。
「えと…そういう、あなたは…?」
「私はスワンのスクールよ」
「スワン、ですか」
知ってるように言ってみるが、何だか分からない。
「あ、えと…ワタシは、モーメントです」
適当に言う。
どうだっていいんだ、こんな会話。
あの名刺の中にあったスワンと絡め、予想して答えただけだ。確かモーメント何とかってあったはずだ。間違ってたって構わない。笑って誤魔化せばいい。
「え、モーメントって、あなた、モーメントの推薦で来たの?」
周囲がざわつく。
なんかまずいこと言ったのか、僕は。
注目浴びたくないのに。
だけど、もうあとに退けなかった。
「…それが。どうか?」
「モーメントマネジメントからの刺客ってわけね。どおりでなんか違うと思ったのよね。なるほどね」
なに言ってるんだろう、この女。
全然意味が分からない。
なんか違うって、そりゃ僕が男だからだと思うんですけど。

「第3班の方たち、お願いします」

ちょうど、次の班の呼び出しがかかり、その女までが呼ばれた。
僕の番号は19だった。午前の部の最後の第4班だった。
なんか、助かった…ような気がしたのも束の間だった。

「あなた、すごいね。あの芸能スクールでも難関って言われてるモーメントから来たんだ。モーメントマネジメントの事務所入所を蹴って、わざわざなんで蝶々プロダクションを受けに来たの?  もったいない」
「え、えと…」
気がつくと、残っていた第4班と戻ってきていた第1班の女子たちに囲まれていた。
素直に、モーメントマネジメント入ればいいのに、そのほうがお互いの為でしょう?
強いライバルに、いつも苦汁を飲まされてきただろう者たちの視線が痛い。
「でも、いいよ。さっきの18番、島崎亜澄。あいつ、いつもカマかけてきてさ。スワンも大手だから自慢タラタラで。どこのオーディションでも嫌われてるんだよね。スワンに入れない事情があるのか知らないけど、ここみたいな小さい事務所ばかり受けてさ…。
だから、ちょっとスッキリしたよ」
「はあ…」
モーメントなんて嘘なんです、とは今更言えなかった。
だが。
よく考えたら、スカウトされてるんだから、入れた可能性はあったわけで、あながち嘘でもないか。彼女たちの反応からして、この業界で1番2番の大手なのかもしれない。
姉貴が僕の持っている名刺のことを、ごちゃごちゃ言ってたような気がするけど…。

…僕って、もしかして、すごいの?

「だけど、負けるつもりはないからね。榊原さん」
ぶら下げた名札には、番号と名前が書いてある。
「…はい。ワタシも負けません」
片言の外国人みたいに、僕は小声で答えた。
すると、その勝気そうな女子が、僕に向かって手を出してきた。
握手を求めているようだ。
「私は四ノ宮美咲。よろしくね、高1よ」
「あ…榊原流伊です。中2です。よろしく」
仕方なく握手する。
本当は男がバレる可能性もあるから、したくなかったんだけど、しないのも不自然だ。
「あなたって、意外と握力あるのね」
そりゃあるよ。女子よりは。
「はあ、これでも、剣道の経験があるので」
と答えた。実際、剣道は二段の免許を持っている。
「そう、やるわね」
四ノ宮美咲はそれだけ言うと、自分の席に戻った。ほかの受験者たちも戻っていく。
挑戦的に見えただろうか?
…まあ、どうでもいいけど。
それより、カオルンに会えるかもしれないという藁にも縋る思いでここに来た僕の願いは叶うのだろうか?
今のところ、その兆しすらない。

「第4班の方たち、お待たせしました。
 面接室にお願いします」

呼び出しが、かかる。

僕は、さっと立ち上がって、誘導係について行った。こんなの早く終わらせて、何か手がかりを探さなくては。

この僕の熱い思い…。

…カオルンに、届いてくれ!


第2次審査が、終わった。

終わってしまった…。

結局、カオルンには会えなかった。

近くにいた受験者の何人かに、それとなくカオルンについて、何か知らないかを訊いてみたのだが、みんな首を横に振って「あじさいガールズのカオルン?」と、カオルン自体を知らない聞き返し方をされた。
無名の芸能事務所の中でも、更に無名ってことのようだ。
しかし、受けようとしている事務所の先輩アイドルの名前も知らないって、どうなんだよ。
僕は怒りを覚えた。


帰宅すると、僕は部屋に駆け込んで、鏡の前に立ってみた。
姉に借りた服のサイズはちょうど良かった。
白いブラウスに淡い水色のカーディガンを羽織り、ベージュの長めのキュロットに、白いレースの靴下と白いスニーカーというスタイルで臨んだ。
髪型は肩先までのボブのかつらを被り、前髪はナチュラルな七三分け。姉に薄めのメイクをしてもらった。
「オレ、ナルシーなのかな…カワイイんだけど。あいつらより」
一緒にグループ面接を受けた5名の女子たちの顔を思い浮かべる。
もちろん、班ごとに何名が受かるというものではなく、全員を総体的に見ての印象や性格で選ぶのだとは思うけれど、少なくともあの5人よりも、僕はカワイイ。
「帰ってたの、流伊。どうよ、受かりそうな感じ?」
姉だった。少しニヤけている。
隣室から僕の気配を感じて、様子を見にきたのだ。
父は出張で九州へ、母は元モデル仲間と食事会に出かけていた。
「…どうだかね。受かってほしくないんだけどね」
「意外とバレないって、思ってない?」
「ああ、思ってる」
「それは、あんたがまだ男っぽくないからよ。でもね、せいぜいあと1年くらいよ」
「そんなの分かってるよ。だから万が一受かっても断るって」
「それならいいけど。芸能人になるんでも、ほか当たるべきだからね。男なんだからさ」
僕は、もう何も言わなかった。
化粧を落とし、服を着替えて、男に戻る。
鏡を見る。
いつもの自分がそこにいる。
垣間見たあの世界に立ち戻ることはもうないだろう。
どすんと、ベッドの端に腰掛けてから、大の字に仰向けに寝そべり、目を瞑って、深呼吸を一つした。

そのとき、家の電話が鳴った。
姉が出る。
「ちょっと、流伊…」
姉の血相が変わっていた。
「蝶々プロダクションの、蝶貝さんだって」
僕は、無意識に立ち上がっていた。
蝶貝…。
蝶貝真美子。
蝶々プロダクションの、創業者で…社長だった。

え〜と、どういうことだ?
もう、アイドル候補者の自分、どっかに行っちゃったんですけど。

…いないって、言えよ、バカ姉貴。

「はい、代わりました。流伊ですが」
仕方なく、僕は応じた。

ーあ、流伊さん? 代表の蝶貝です、今日は来てくれて有難う。早速なんですけれども、
あなたに、特別なお知らせがあります。

なんか、嫌な予感がする。
「いえ…こちらこそ。何でしょうか?」

ー第2次審査の通過と、第3次審査のお知らせです。

「え、それって、1週間後に手紙で来るんじゃ…」

僕は、思わず口走っていた。

ー通常はそうですが、特別なお知らせだと言いましたよね? 3日後の夕方、ご自宅に伺っても宜しいですか? 個別面接を親御様も交えてさせていただきたいと思いまして。

「こ、困りますよ、そんな…どど、どういうことですか、それ。3次審査は歌唱審査もあるんですよね? うちでやるんですか…」

ー流伊さん。

「はい…」

ー直入に言います。

僕は、ただもう生唾を飲み込むことしか出来なかった。

ーわが蝶々プロダクションに、入っていただけませんか?

「うぇ?」

ー今日は、ご両親がお留守とお姉様から伺いましたので、明日以降で結構です。ぜひ前向きにご検討いただければと思います。では。

電話は、一方的に切れた。

社長直々に、スカウトされたってことか?

マ、マジですか…?

僕は頭を抱えた。

ありえない。
ありえないだろ、こんなの!

父と母に何と伝えたらいいんだ?

女装してアイドルのオーディション受けたら受かっちゃいました、ペロ。
…じゃ、ねぇだろ!

僕は、家の少し汚れた天井を仰いで、ただただ途方に暮れるのだった。

























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