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僕は君になりたい。 第13話「ルイのうた 僕の埋められない想い」


 #13


帰宅して体温計で熱を測ると38.5度あった。
「岸本さんに行きなさい」
母が僕に言った。
岸本さんとは、近所の岸本内科医院のことだ。もう90歳くらいになるんじゃないかと思うおじいちゃん先生が60歳くらいの娘と思われるおばさん看護師と2人でやっている。

「いいよ、大したことないよ」
「そんな熱あって、インフルエンザだったら困るでしょ。早く治さないと」
「違うって!」
「じゃ、お母さんと行くわよ!」

母は絶対に僕を病院に行かせようとしている。その譲らない様子に、僕は観念した。

中学2年にもなって母親に付き添われるのは、さすがに恥ずかしい。



「おや、久しぶりだね。流伊ちゃん、背が伸びたねぇ」
幼稚園に上がる前から通っている先生だ。この1年か2年くらいは病気にならなかったので来ていなかった。
「熱が出ちゃったの? おやおや、顔が赤いねー、扁桃腺も腫れてる」
そう言いながら、岸本先生は皺くちゃな乾いた手で僕の首に触れる。口を開けて診せると「赤くなってるねぇ」とのんびりした口調で呟いた。
「一応、お腹も診よう…あ、何かスポーツ始めたのかな? 腹筋が割れてるね。うん。心音には異常なしだねぇ」
「あの…インフルエンザとかではないですよね?」

検査結果は陰性で、「うん、風邪だね」と先生は言った。

僕はとりあえずほっとする。



「お帰り。あんた熱出したんだって? 夜更かししてるからよ」
帰宅すると、姉が大学から帰ってきていた。
「仕方ないだろ。試験期間なんだから」
「そうじゃなくてもしてるでしょ」
「…小学生かよ」
僕は自分の部屋に入って、ベッドに寝転んだ。頭が痛い。
「流伊、仕事がキツいなら言ったほうがいいわよ。マネージャーさんに」
「まだいたのかよ、姉貴」
「心配してるのよ。これでも」
「大丈夫だっての。ちょっと熱出したからって、大げさなんだよ。薬飲めば治るよ」
「もう…」
姉は溜息を吐くと、僕の部屋から出て行った。

それよりも。

僕は、高柳のことを考えていた。
あいつと仲違いなんて、初めてだ。
高柳が僕のテストのミスを勝ち誇ったように指摘してきたのもそうだが、そんな凡ミスをした自分にも腹が立った。

それに発熱のせいだろうが、いつもの余裕もなかった。

でも…。

僕の態度はまずかった。

ストレス。
確かになかったとはいえない。

個別レッスンを僕だけしなくていいと言われて不安になっていた。
側から見れば、良いことなのかもしれないけれど、僕には自信がなかったから焦った。


「…ああ、もう。何なんだよ、高柳駿。いじけすぎなんだよ…琉唯にゃんだって、もっと強くなんなきゃって、言うぞ」


『そんなに頼りないか、オレ…』


暗い目をしていた。
僕が傷つけたことは間違いなかった。

「はあぁ…」

大きく息を吐き出して、僕は布団をかぶった。また後で少し勉強しなければならない。明日は理科と英語だ。

次のレッスンは試験期間ということで、土日になっていた。特に仕事も入っていない。
それまでには治さなければ…。
今日は水曜日だから、3日後か。

僕はとろんとした目で、なんとなく自分の手のひらを見ていたが、自然と落ちてきたまぶたの中の暗闇にやがて意識を奪われた。



 ☆



ぱちっと目を開けると、カーテンを閉め損ねた窓から朝の日差しが部屋の隅々にまでなだれ込んでいた。
バッと起き上がると、壁のアナログ時計は朝6時55分を指している。
「う、わっ!」
夕飯は無理やり起こされてお粥みたいなやつを食べたような気がするが、その後のことは覚えていない。
きっとパジャマに着替えるなり、寝てしまったのだろう。
「うーわー、参ったな…」
言ったところでどうしようもないが、昨日は1つも勉強してない。
試験前日にこんなこと、今までなかった。
いくら風邪で熱出したからって教科書を開いてもいないのだ。

…何してんだよ、オレ。

しかし、今からちゃんとやる時間などない。
僕はまだ少し重い身体のまま、朝食のために階段を降りていった。
「…よく眠れた? 熱はどうなの」
母に訊かれるが、僕は仏頂面のまま黙ってトーストにマーガリンを塗る。
「大分下がったわね。良かったわ、テスト休まずに済んで」
母は勝手に僕のおでこに触れて喜ぶ。
「良くなんかない。全然勉強できなかった」
「受けられればいいわ。お母さん、あんたの成績が落ちたからって泣いたりしないから大丈夫よ」
「オレが、落ち込むんだよ!」
「いいじゃない。来年秋から頑張れば。あんたなら大丈夫よ。ねえ? 廉太郎くん」
母は父に同意を求めた。
「まあ、大丈夫だろ。流伊、お前なら、絶対巻き返せる!」
「知らねーよ」
僕はトーストだけ食べると、お茶を一口飲んで立ち上がる。
「玉子焼き食べなさい、持たないわよ!」
「食べたくない」

僕はさっさと部屋に戻り、学校に行く支度をする。パラパラと教科書とノートをめくって悪あがきだと知りながら、一応試験範囲の分は見直した。

「無理しちゃダメよ、あんたを愛するファンの人たちが悲しむことになるんだからね」

「…死ぬの? オレ」

玄関で靴を履いている僕の背後から、母が重たい言葉とマフラーを首に巻き付けてきたが、僕は振り返ることなく、ドアを開けて外に出る。

風が冷たかった。
自分の顔がほてっているのが分かる。
今日一日を乗り切れば、なんとかなるだろう。
とりあえず、すべては、このテストが終わってからだ…。



 ☆



土曜日。

僕らは、西山先生に呼ばれた。
アルバム曲の内容が発表されるとのことだった。曲目の順番はまだ決定ではないらしいが、まずデビュー曲の『Star Love』と2nd曲『キラキラ・レイク・サイド』の他に、未発表の8曲が入るという。
その中に、それぞれのソロ各1曲の4曲とアルバム用の4曲が入る。

そして、お待ちかね、ソロ曲の仮タイトルは次のように決まった。


星名美咲
    『星空のバラード〜星の花咲く〜』

天野川あかり
     『スイート・ミルキーウェイ』

神永綾香
  『Goddess』

月城琉唯
  『満月』


それぞれの芸名にあやかって付けられたタイトルだという。

「美咲はしっとり系のバラード、あかりはガールズポップな楽しい曲、綾香はヘビメタなロックテイストです。琉唯は詞はおおよそできてるらしいですが、曲調が決まってないとのことで、あと1週間ほど待つようにとのお話でした」


なんでだよ⁈

なんで僕のだけ決まらないんだよ⁈

だから個別レッスンも見送られてたのか⁈

勘弁してくれよ…。


「琉唯」
不意に西山先生に呼ばれ、僕は顔を上げる。
細い目を更に細めて、先生は僕に言う。
「焦らないで。絶対間に合うから」
「はい…」
僕の気持ちを察してくれたのだろう。肩をぽんぽんと叩かれた。
「それで、このあと花岡先生があなたに会いに来るって話だから、少し残ってね」
「あ、はい」
「あと、試験期間中に熱出したんだって? 根を詰めすぎるのも大概になさいよ」
「すみません」

レッスンが始まるが、僕はまだ少しのどが痛かったので、少し抑えてやるしかなかった。
体調も良くはない。

あの日のテストは、とりあえずは埋めた。
けれども、自信は全くなかった。

そして、友人との溝はというと…まだ全く埋まっていなかった。



 ☆



「悪いね、琉唯くん。時間取らせちゃって」

チェック柄のシャツを今日も着ていた。
白髪混じりの頭をかきながら、花岡先生は僕に笑顔で謝る。


「いえ…べつに」


僕は機嫌が悪い。

謝ってほしいのはそこではない。
僕のソロ曲がはっきりしないこと、個別レッスン不要の理由を教えてくれないことだ。

「へえ、君、わりと声低いんだね。こんなこと言ったら怒られそうだけど、男の子みたいだ」

「…は?」

「ごめん、ごめん。こんな可愛い子ちゃんに失礼だったね」

「…なに、言ってんですか、知らないんですか?」

「???」

先生は明らかに戸惑っていた。目をキョロキョロさせて、こめかみをかりかりとかく。



「…オレ、男、ですけど」



「はは。まさか…冗談だよね?」



社長から、本当に何も聞いてないのか?


にこやかに笑いながら、先生が僕に近づいてきたので、僕は先生の手を取り、ふんわりとしたトレーナーの上から胸に触れさせた。

「平べったいでしょ。何なら、全部脱ぎましょうか?」

「琉唯くん…」

「オレ、本名もルイですから。榊原流伊、ですけど。それも知りませんでしたか?」



先生は少しの間、沈黙していた。



「…そう、だったのか。そうか…大変だったろう、ここまで来るのは…見事だ」

「…女顔ですから。でも、声はごまかせない。だから、あと約10ヶ月変わらなければいいですけどね」
「10ヶ月?」
「来年の8月までの契約なんです。さすがに大人になってくると思うので」
「なるほど」
「だから、急いでほしいんです。オレ、自信が持てるまで、たくさん練習しないと不安なんで…」

「どんな歌が歌いたい?」

「え…?」

「それを聞きに来たんだよ、今日は。イメージが膨らみ過ぎちゃって決められなくて、君自身に決めてもらおうと思ってね」

「オレが決めていいんですか?」

「そうだよ。まずはアップテンポの情熱的なサンバ系、静かに語りかけるような切ない曲、愛情を込めて唄うララバイ、聞かせる感じの力強いソウル系とか…」

「じゃ…聞かせる感じのソウル系がいいです、どうですか?」

「いいと思うよ」

先生はくすくす微笑んでいる。

「あの、なにか…サンバ推しでしたか?」
「そうじゃない。君らしい選択だと思う、想いを込めて歌いあげたいんだろ?」
「…あ、生意気ってことですね」
「違う」


じゃあ、どういう…。


「君はほかのメンバーとは全く覚悟が違う…君にとって、このアイドルという仕事は、人生における短期決戦なんだろう? やるからには、この仕事を誇りを持って全うしたい、深く濃く厚く時を埋めたいんだろ? 君はその想いを自分だけの歌に込めたいんだなと、そう思ったんだよ。違うかな?」


そんなご大層なものじゃないと思う。


でも、僕の目は濡れていた。



なんだか心が震えて、



抑えられなくて…。



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