僕は君になりたい。 第9話「大人たちは僕が心配らしい」
#9
もうすぐ、夏休みも終わる。
夏休みの課題は、一通り終わらせた。
思ったとおり、時間が取れず、いつもは8月前半で終わるところを、今年は今日までかかってしまった。
イスにのけ反るようにして、ぐーんと伸びをする。
「流伊。明日、仕事だろ? もう寝なさい」
珍しく父が、僕の部屋をノックした。
確かに、もう夜中の12時を回っていた。
明日は朝4時に起きて、新曲のPVのためのロケに行く。何でも富士五湖のほうで、富士山をバックに撮影すると聞いた。今どき、そういうのって全部CGだと思っていたので、少し驚いている。
「あ、うん。もう寝るよ」
「若いからって油断するなよ。寝不足は疲れの元なんだからな…母さんは、もうグーグー寝てるぞ」
「いびきで、眠れないの?」
「…まあな」
父は、ちょっと頭をかいた。
「お前、大丈夫なのか?」
「なにが?」
「仕事だよ。忙しくなってきただろう?」
「…はは」
大丈夫だよ、と言うつもりだったのに、なぜか言えなかった。
「お前、メンバーより仕上がりが遅れてるからって、よく自分から居残りとかしてるんだってな。焦る気持ちも分かるが、アイドルだって、身体が資本だろ? 気をつけてやらないとダメだぞ」
「うん、そうだね…心配かけて、ごめん…じゃぁ…もう、寝ますかね」
僕は半笑いしながらイスから腰を上げ、ベッドへと向かおうとした。
その瞬間、
目の前がグラッと揺れて、バランスが崩れた。
…ん、なんだ? あれ?
すかさず、父が僕の体を支えてくれた。
「…言わんこっちゃない。お前は小さい頃から、すぐ、自分の限界以上のことをやろうとして……もうちょっと、力を抜け」
父はそのまま僕をベッドに誘導して横にさせると、布団を掛けてくれた。
「父さん、ありがとう。でも、オレ、時間限られてんからさ、やれるところまでは、やりたいんだ…」
「分かったよ。もう、寝なさい。おやすみ、流伊」
その声を聞き終わるか終わらないかの間に、僕は目を閉じ、深い深い眠りの闇に落ちていた。
☆
目が覚めると、車の中にいた。
「起きたか?」
声の主は、誠さんだった。
僕の専属マネージャーになってくれている。
蝶貝社長の長男、ということは次期社長候補になるのだろうか。
最近、メガネをコンタクトに変え、ちょっとだけカッコよくなった。今日はスーツではなく白いポロシャツ姿だ。
「あ…オレ、寝坊…」
「寝坊じゃねーよ。ちゃんと自分で着替えて車に乗ったんだ。覚えてないのか?」
僕は答えられなかった。全然覚えていなかった。手を額に当てて思い出そうとしたが出てこない。
「…で、車に乗り込んですぐ、俺が今日の予定を話そうと思ったら、もう寝息を立てて気持ち良さそうに眠ってんだぜ? もう起こせないだろう?」
「すみません…」
「べつにいいけどよ。まだ現地着くまでに少しかかるしな。あと、向こう寒いから、降りるとき上着一枚羽織っとけ。風邪ひいたら困るからな」
「はい」
僕は外の景色を見た。
もう、山と畑と田んぼの世界だ。
時間を見ると、もう7時近かった。
誠さんは、予定を一通り話し終えると、信号待ちのところで、助手席に置いたクーラーボックスを開け、僕に紙パックのオレンジジュースをくれた。
「飲め」
強い命令口調で、僕に言う。
僕は今、糖分を控えていたから戸惑う。そのことは誠さんにも言ってあった。
「そんくらい飲んでも変わんねーよ。このあと動きまくるんだから。頭がスッキリするから飲め!」
仕方なく、僕はストローを紙パックに差して飲んだ。甘酸っぱい果実の濃厚な味が舌と喉、肺から胃へと沁みた。
…美味しかった。
「ストイックもほどほどにしろよ…ところで女子たちとは、上手くやれてんのか? ハブられたりしてねえか?」
「ああ、それは大丈夫だよ。みんなフレンドリーだし、よく話しかけてくれるよ」
「ふーん。それならいいけど、仲間割れって面倒なんだよ」
誠さんは、しみじみと呟く。過去にそんなことが、あったのだろうか。
「…お前の好きな『あじさいガールズ』だけどな、メンバーが6月に1人抜けたんだ。サブリーダーの春日陽美。そいつは家庭の事情で辞めたんだけど、そのあとメンバー内で揉め事があって、なんかガタガタらしい。いわゆる"調整役"だった陽美が抜けて、強気なリーダー優花とほかのメンバーが対立してるみたいでな。次のサブになった紫織が頑張ってはいるようだけど…」
「カオルンは、大丈夫なの?」
「一応、まだやってるよ。主に対立してんのは、優花と玲菜らしいしな…」
「そうなんだ…」
僕は少しだけ、ホッとした。
まさか、そんなことになっているなんて、全く知らなかった。
「辞めないでほしい…みんな。ハルハルさんは仕方ないけど、オレが今ここにいるきっかけになった人たちだから」
「まあ、俺もそう願ってるけどな」
誠さんはアクセルを踏む。
「さ、お前は自分のことに集中だぞ。今日は富士山もいい感じだ。やっぱ、お前もってるよなー」
「はは…」
窓の外に、稜線が下の方まではっきりと見える日本一の山が見えた。8月から9月は雪が殆どなく、多少見栄えは良くないが、頂上には雲一つかかっておらず、素晴らしい美景を見せてくれている。
美咲、あかり、綾香はロケ班と一緒にマイクロバスに乗ってくるという。
ロケは、9時から山中湖畔でやるらしい。
僕は自前の化粧道具で薄化粧を始める。付け毛もバッグから取り出した。
今日もまた、月城琉唯の1日が始まる。
☆
「もう、誠くん。STAR☆CANDLEのメイク係として言わせてもらうけど、琉唯ちゃんにダイエットさせないで!」
怒っているのは、僕らのメイク兼スタイリストを担当している滝雪乃さんだ。
スタイリストとしては、YUKINOの名前で通っているらしい。
年は27歳で、背の高さは誠さんと大差ないから、170cmはあるだろう。彼女もモデルを目指していた時期があったようで、僕の母の名前を知っていた。
「うそー! 瀬名蘭子さんの息子さんなのーッ! やっぱ似てるわー!」
と、初めて会ったときなど、大興奮だった。
そして、今日のロケ班の1人としてマイクロバスで到着した雪乃さんは、既に到着して待っていた誠さんと僕に会うなり抗議してきたのだ。
「服が緩くなっちゃうと、脱げやすくなってマズいでしょ! それにただでさえ痩せてるのよ! 体力の問題もあるし、何より成長期なんだから健康に支障が出ちゃうとも限らないでしょーが!」
「なんだよ、いきなり。俺はべつにダイエットなんか勧めてねーってば…」
「そうだとしても! それを止めるのが、マネージャーの務めでしょ! ただスケジュール管理だけしてればいいわけじゃないって言ってるのよ」
あまりの剣幕に気圧されて、誠さんも言い返せないでいる。
僕は何だか誠さんに、申し訳なくなった。
「あの、雪乃さん。誠さんを責めないでください。オレが勝手にやってるんです。ごめんなさい。もうやめますから」
「まぁあ…! ほんと健気な子、優しいわね。琉唯ちゃんは」
僕の頭をなでなですると、雪乃さんはキッと彼を睨む。
「いい? タレントを守るのもマネージャーの仕事なの。この子がいい子だからって、サボってないでしっかりやってね! 社長に言いつけちゃうからね」
「はい、分かりました。滝先輩」
誠さんは観念して、仕方なさそうに頭を下げた。
まだ不満そうな雪乃さんだったが、腕時計を確認すると、僕を手招きし、マイクロバスの中に促した。化粧直しと着替えをして、本番の準備を整えるのだろう。
「琉唯ちゃん。誠くんはあれでもまだ、まともな人間だと思うけどね、世の中にはね、天才を憎んで、壊そうとする連中もいるから…気をつけて。私もそういう場面を何度も見たわ」
彼女は、僕になお言い聞かせる。
「芸能人ってのはね、本当に、自分を大切にケアしなくちゃダメなのよ。それが周りを安心させることにもなるんだからね」
「はあ、わかりました」
僕は頷いたが、
「…大丈夫かなぁ? 心配だなぁ…」
雪乃さんは、まだ不安そうだった。
既に衣装に着替え、メイクも済んでいたほかの3人は、車中に入ってきた僕に気づいて「おはよー」と声をかけてきた。僕も片手を挙げて挨拶する。
「じゃ、美咲、あかり、綾香は外で待機しててくれる? 風冷たいからまだ上は着ててね」
雪乃さんの指示を受け、3人は外に出る支度をして僕と入れ替わりにバスを降りる。
「琉唯ぴょん、また後でね〜」
綾香がケラケラと笑いながら、前の2人に続いて降りていく。
「元気だな…」
僕は独り言のつもりだったのだが、雪乃さんが言った。
「あの子も、あれで苦労してるのよ。子供モデル出身だけど、自然消滅する子がほとんどの中で、どうしても生き残りたくて、タレント募集を受けまくったんだって。そうしてやっとここに拾ってもらったんだって言ってたわ」
「へぇ…」
全然知らなかった。
芸歴でいえば、同い年でも綾香は僕よりずっと先輩なのか。
自分のことで精一杯過ぎて、ほかのメンバーのことなど知ろうともしてなかった…。
雪乃さんに髪型をセットしてもらいながら、僕は鏡の中の自分に問いかける。
お前は、本当に彼女たちの、
『仲間』なのか?
短い付き合いだからと、彼女たちを、ないがしろにしていなかったか?
そして、自分だけが、大変な思いをしている気になっていたんじゃないのか?
…そんなわけないだろうが。
つけあがるなよ。
「雪乃さん、少し急いでもらえませんか?」
「ん?」
「…あまり待たせたくないんで、仲間を」
雪乃さんは、鏡の中でにっこりと微笑み、「OK」と答えた。長い黒髪を後ろできっちりと結え、キリッとした立ち姿が美しい。
「さ、できたわよ。いってらっしゃい」
背中を押されて立ち上がる。
「はい!」
「…ほら、もう、上着忘れてるよ!」
何も持たずに出ようとした僕に、慌てて声をかける。
「すいません」
「もう…頑張ってね!」
呆れながらも、応援してくれる。
僕は苦笑しながら上着を持ち、仲間たちの元へと急いだ。
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