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僕は君になりたい。 第7話「アイドルは負けない」


 #7


「あの、えーと。オレ、どうしたらいいと思う? 姉貴」

上げた腰を下ろせばいいのか、そのまま立ち去ったほうがいいのか。
「待ってって、言われてるんだから、行かないほうがいいと思うわよ」
まあ…今すぐ出ていけば、再びアイツに出くわしてしまうかもしれないしな。
僕はとりあえず、周りに軽く会釈してイスに座り直した。
そして、味の良さはよく分からなかったが、大きな白い皿にちょこんと盛られた高級なフランス料理のフルコースを、横で姉がきれいに食べる様子を真似ながら、上品に食べた。

うーん…やっぱり、誕生日にはサラミとチーズたっぷりの『ピザーナ』のデラックスピザが食べたいと思う僕は「平民」なんだろうなぁ。

両親や親戚からたくさんのプレゼントを贈られて、感激の涙を流していた津雲姉妹が、目をハンカチで拭いながらやってきて、先ほどのことを僕に謝った。

ヤツの名は、蔵下和斗というらしい。
僕と同じ、中学2年だそうだ。
同じ学年として、恥ずかしいったらない。
"三友銀行頭取"「の次男」だよ?
偉いのは親なのに、自分もエライと思い込んでしまっている勘違い野郎。

すると、瑛里亜が声を潜めて囁いた。

「…流伊さまは、ご存知ないと思いますが、あの蔵下和斗さま、実は月城琉唯さまの大大大ファンなのでございますよ」

僕は、口に含んだ紅茶を噴き出しそうになった。

…うそ⁈

「わたくしたちが、月城琉唯さまと同じ事務所に入ったことに目をつけて、急に接近してきたのでございます。それで、幸芳さまを始め、スドウ建設の須藤彩也子さまなどといった幼少からのわたくしたちのお友達を脅しているのでございます」
愛里亜も、僕に顔を近づけてきて言う。
「…それなのに、和斗さまったら、とんだ失態をなさってしまいましたわね。大好きな月城琉唯さまに気づきもせずに、あろうことか脅してしまうだなんて!」
「おいおい、言うなって…」
僕が唇に人差し指を当てて、シーッというポーズをすると、愛里亜はぺろりと舌を出す。
瑛里亜が感嘆する。
「でも、さすが流伊さまですわ! あのような陳腐な脅しに怯むこともなく、見事返り討ちになさるのですから。わたくしスカッといたしましたわ」
「ええ、わたくしもスカッといたしました」

双子は顔を見合わせて、微笑みを交わす。

僕がなぜ言い返せたのかって、
そんなの、ただムカついただけだ。
いばりやがって。


ーーが、親が銀行のトップか…。

ウチの親の貯金、確か三友銀行だったと思ったけど。

大丈夫…だよ、な?


姉は姉で、幸芳の父親である森中食品株式会社の代表取締役・森中篤志氏と懇意になり、名刺のほかに、ちゃっかりメルアドの交換までしたという。


 ☆


都内のイベントでのゲスト出演が決まったのは、急なことだった。

本来出演するはずだった、うちの事務所のガールズバンド『ピンクバタフライ』が、急性肺炎になったボーカルの毬谷ナギさんの入院により出られなくなってしまい、その代役として『STAR☆CANDLE』が抜擢されたのである。

「来週の土曜日、『スタジオ丸太』の改装オープン記念イベントがありますが、そこで『ピンクバタフライ』の代わりに、デビュー曲『Star Love』を演じてもらいます。いいですね?」
蝶貝真美子社長が、わざわざ僕ら4人を応接室に呼び集めてそう告げた。
「はい!」
返事をして、みんなに付いて出ていこうと、踵を返したとき「琉唯さん」と呼びかけられ、僕は足を止めた。
「あ…はい」
「調子はどう? 嫌がらせとかはない?」
「ええ、ないですよ」
「このまま、行けそう?」
「はい、ご心配なく。気にかけていただき、ありがとうございます」
僕は、ちょっとだけ笑ってみせる。
「…それなら、いいけど。私のゴリ押しで入ってもらったのに、嫌な思いばかりさせてちゃ申し訳ないから…」
「とんでもないですよ。大丈夫ですから」
「何かあったら、すぐ誠に言っていいんだからね! あまり我慢しちゃダメですよ」
「はい」
僕は一礼して、部屋を出た。
廊下ではメンバーたちが僕を待っていた。
「あれ? 待っててくれなくても良かったのに」
僕が言うと、美咲が言った。
「社長に言われてるのよ。廊下に出るときは、あんたを1人にさせないようにって。なるべく4人でいなさいって」
「なんで? 過保護だなぁ…」
「あんただって分かるでしょ? 私らが知らないと思ってるの? この間、ツバ吐かれてたじゃない、デビュー前の年増たちにさ」
「ああ…」
確かにそんなこともあった。
あれは靴下にひっかかったが、幸いシミにはならなかった。
「べつに、何ともないよ。あのくらい。妬まれるのなんか当たり前じゃん。それだけ人気あるってことだろ、星キャンが」
「星キャンていうより、あんたがね」
美咲たちがあんまり真剣なので、僕はなんだか可笑しくなってしまった。
「なに、そんなに心配してんだよ。みんながトバッチリ受けて困ってるっていうなら、社長に相談するけど?」
「…本心なの? 傷ついてないの?」
美咲が、慎重な眼差しで僕を見つめる。
あかりもいつもの笑顔はなく、大きな丸い目をじっと見開いていた。綾香も黙ったまま、軽口ひとつなく事態を見守る。
「あーあ、そんな覚悟もなく、オレがここに来たとでも思ってるの? 仲間がオレをなめてんじゃねぇよ」
僕は吐き出すように言って、1人ですたすたと先を歩き出した。

…傷ついてないかって?

傷つくだろ、普通。

だけど、それを言ってどうなる?
僕があの女どもの下品な行動に負けたことになるじゃないか。

僕は、負けない。

最初は嫌で嫌でたまらなかった。
確かにストレスだったよ。

だけど僕は、アイドル琉唯の武器である "スマイル" の研磨に専念することにした。

戦うんだ。
男らしく、僕は戦う。
戦うからには、負けたくない。

あいつらに、格の違いを見せてやるんだ!


 ☆


次の日、歌のレッスンを終えた僕は待ってもらっていた双子姉妹に1枚のチケットを託した。
スタジオ丸太のステージ会場の入場券で、A指定席のものだ。S席は既に完売していたので仕方ない。
「本当によろしいのでございますか…?」
姉妹は、同じ顔を心配げに並べて、僕に確認する。
「いいんだよ。どのくらいのファンなのか見てみたいと思ってね」
僕は苦笑する。
指定席の招待券を渡す相手は、言わずと知れた、あの蔵下和斗だ。
「まあ、流伊さまがそうおっしゃるなら、お渡しいたしますけれども。お気をつけてくださいませ」
「お気をつけてくださいませ」
「ああ、手間をとらせてゴメン。あ、そうだ。あの貸してもらったサーキュレーター、とても良いよ。気持ちいい風が来て。色々とありがとう」
僕はにっこり笑って、双子に軽く頭を下げた。
「と、とんでもございませんわ。流伊さまのお役に立てるのでしたら、それだけで光栄でございますわ」
「光栄至極、でございますわ」
また顔を真っ赤にしている。照れてるだけでこんなに赤くなるのか?
なんだか本当に心配になってくる。
「…大丈夫? すごく顔が赤いけど。熱があるんじゃないの?」
僕は思わず、愛里亜のおでこにちょっと触れてみた。
「うん…やっぱり少し熱いな、もう早く帰ったほうがい…わっ?」
愛里亜の目が据わっている。
片方の鼻の穴から鼻血が一筋出ていた。
完全に、のぼせている。
「愛里亜!」
瑛里亜が叫ぶ。
「…らいにょうふよ、エリャァ。わらふしはらいにょうふれおらいまふわぁあ…♡」
なんかニヤけている。顔がますます赤い。
やばい。
「医務室行こう。なんか、変だ」
「流伊さま。大丈夫でございますわ。ただ今、ツクモホームセキュリティ部の看護師とドクターを呼びましたので」
…へえ、素早い。
さすがだな、令嬢姉妹の姉・瑛里亜。
僕が感心していると、瑛里亜は前髪を手でかき上げて、ツイッとおでこを僕に寄せる。
「わたくしの熱も確認してくださいませ」
言いながら、瑛里亜の顔は真っ赤っかだ。
「いや、もう…悪かったって! 勝手に触っちゃって」
「愛里亜だけ、ズルいのでございます! 姉妹平等にお願いいたします! 流伊さま!」

僕は心臓がドキドキして、看護師とドクターが早く来るよう願うばかりだった。



スタジオ丸太。


ステージ会場横の通路沿いの楽屋にいると、
「るいぴょーん! 月城琉唯ぴょーん♡」
奇妙な呼び声が外から聞こえ、僕はハッとする。
時計は午後1時。
開演まで、あと3時間…僕らの出演予定時間は5時30分だから、まだ出番まで4時間半もある。
早すぎるだろ!
僕だってまだ、ちゃんとメイクしてないし、一応イメージカラーの黄色シャツと白い短パンを着ているけれど、リハーサルの後、衣装に着替えるのは開演してからだ。
そして、この掛け声はなんだ⁈
「エル、ユー、アイ、ピーワイオーエヌ。エル、ユー、アイ、ピーワイオーエヌ。るーいーぴょーん、すーまーいーる、ジャーンプ!」
しかも1人ではなく、応援団みたいに揃っている。今度はオタ芸グループか?
一緒にいた美咲、あかり、綾香が皆、笑いを堪えて下を向いている。
「琉唯ぴょん、大人気!」
綾香の言った一言で、さほど広くない楽屋内に爆笑の渦が広がった。
「…笑ってろよ」
「ごめん、ごめん」
謝りつつも、3人はまだ笑っていた。


まもなく、僕らの出番だった。
蔵下和斗は、来ているだろうか?
着替えを済ませて舞台の袖から、そっと覗いてみる。
「う〜わ〜っ」
例の席に、黄色いハッピ姿の彼が来ていた。
自作と思われる琉唯の顔写真入りうちわ、レモンイエローのサイリウム、琉唯の猫耳衣装姿をプリントしたTシャツに、「LUI♡LOVE」と書かれたハチマキという出で立ちだ。
「ホンモノだ…」
僕はゾッとした。
だが、さすがに今日はお供は連れておらず、少なくとも会場内には、1人で来ているようだった。


そして、甲高い女性司会者の声。



「では、本日のゲスト、STAR☆CANDLEの皆さんでーす!」



一瞬の暗転。


目を閉じて、開く。


…さあ、行くよ。


月城琉唯!



…ええ、行くわ♡

みんなの、元へ!



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