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僕は君になりたい。 第3話「僕は、アイドル」

  #3

「あれ、流伊くん。今日は一人なの?」
山谷さんが声をかけてきてくれた。
僕は「ええ…まあ」と小声で頷き、何となく目を逸らした。
「流伊くん、薫ちゃん推しなんだって? 渋いね。オジサンはやっぱ紫織ちゃんだね。清楚な感じがたまらなくてさ」
山谷さんは、またチラリと僕を見て、うんうんと何故か一人で納得している。
「いやー、好きな子に会うのって、緊張しちゃうよね? あ、呼んできてあげようか? 薫ちゃん」
「えっ、いやいいです。本番前で、みんな忙しいでしょうから!」
僕は慌てて、山谷さんを止める。
「遠慮しなくていいからさ。そうだ、流伊くん、楽屋来てよ。そのほうがいいよね」
僕が断るのも効かず、山谷さんは僕の腕を強引に楽屋に引っ張っていく。
「いいですって、山谷さん!」
しかし、父と同じアメフト同好会に所属していただけあり、体格の良い山谷さんの怪力に細っこいゴボウみたいな僕の腕は容赦なく引っ張られてしまう。
「あじさいガールズのみんなー! 君たちの大ファンが応援に来てくれたよー!」
なにを、大声で触れ回ってくれてるんだよ。
だが、僕は瞬時に理解した。
山谷さんは、彼女たちを鼓舞するつもりで、僕をここに連れてきたのだ。
外からは陰気にさえ感じた室内が、山谷さんの声を聞いて、希望を取り戻したように、はしゃいだ雰囲気になった。
前回のライブの評判は、上々とは言えなかったらしいと、父から聞いていた。
たぶん、今日も緊張感で皆いっぱいいっぱいだったのだろうと感じた。
「さあ、流伊くん。みんなに一言、声援を贈ってあげてよ」
オジサンが瞳をキラキラと輝かせている。
「えと…皆さん、先日のライブ、とても良かったです。今日も頑張ってください。楽しみにしてます」
しかし、僕がしどろもどろに言った途端。
なぜか、皆の顔から笑顔が消えた。
なんかマズイこと言ったか?
「おーいいねー。最高の応援だねー。なあ、みんな?」
山谷さんがフォローしてくれる。
山谷さんも、なんで皆の顔が凝り固まったのか分からない様子だった。
「…あなた、榊原流伊でしょ?」
言ったのはリーダーのユカッチこと丸井優花だった。
なんで、知ってるの?
僕のフルネーム。
山谷さんが、教えたのか?
「何のつもり? 冷やかしに来たの?」
「え…」
なんのことだ?
よく分からないんだけど。
「やめなよ、優花。まだ入ってないんだよ、この子は!」
優花の言葉を非難したのは、サブリーダーの春日陽美、ハルハル。
「そうよ。せっかく応援に来てくれたのに、そんな言い方はないと思う」
山谷さんが推しの雨宮紫織が、陽美に同調して口を挟む。
セクシーが売りの梅村玲菜は「ファンまた減るよ〜。元々少ないのに」と一応リーダーの暴言を批判していたが、それほど興味はなさそうだった。
なんだ、この騒動は。
僕が原因か?
僕はチラリと、カオルンの顔を見た。
困ったような目で、僕を見ている。
「…あの、失礼しました!」
僕は、楽屋を飛び出した。

そんな目で見ないでよ。

カオルン!

山谷さんの呼び止める声が聞こえたが、僕は止まらなかった。

カツカツ、カツカツカツカツ…。

不意に、誰かが追ってくる足音が聞こえた。
山谷さんではない。
パンプスで走る、速い響き。
女であることは間違いない。
でも、いったい誰が?
「待って!」
この声。
「カオルン…」
僕は、立ち止まる。
「ごめんね」
カオルンが、僕に言った。
胸を押さえ、はあはあと白い息を吐きながら、僕に頭を下げて謝った。
カオルンに話しかけられた、それだけで舞い上がってしまいそうだったが、苦しそうな彼女に、僕は言った。
「大丈夫…ですか?」
「私は大丈夫よ」
「救急車で、運ばれたって聞いて…」
「ああ。たまに貧血を起こすの。ちゃんと病院には通ってるから大丈夫よ」
「貧血…」
「心配してくれて、ありがとう」
ニッコリと笑う。
美しい笑顔だ。
アイドルの笑顔だってことは、分かっているけど、それでも嬉しかった。
「榊原くん」
苗字で呼ばれるのは、学校で出席を取られるとき以外、殆どなかったので新鮮に響く。
「はい」
僕はクラスの『斎藤賢一』の次に呼ばれたときみたいな返事をした。
「事務所には、入らないの?」
「え…」
「入るべきだと、思うわ」
カオルンは、きっぱりとした口調で言った。
「どうして…」
「入る前からウワサになって、既に先輩に妬まれてるなんて、あなた、もう私たちを超えてるわ。もう立派なアイドルよ。きっと成功する。私が保証する」
それだけ言って、カオルンはトコトコと急いで楽屋へと戻っていった。
「成功する…」
いくら君の言うことでも、とても信じられない。
この僕が、アイドルなんて。
君を、超えているなんて。

僕は、ライブを見ずに帰宅した。

何もしたくなくて、ベッドに寝転がる。
天井を見る。
大きく息を吐き出して、僕は目蓋を閉じた。
暗闇だ。

ああ、もうどうなってもいい。


「流伊さん、やっと決心してくれましたか。ああ!やっと! この日をどんなに夢見たことか! あなたの芸名はもう決まっていますよ。『月神ルナ』です!」

社長の歓喜の叫び声が、社内に響き渡った。

なんか、アニメの主人公みたいな名前だなと思った。
後で談判して、少し変えてもらおう。
あまりにも、神々しくて、名前負けしそうだ。


僕は苦笑して、涙を浮かべて喜ぶ彼女の顔を見つめた。よく見ると、目鼻立ちの整った綺麗な顔だった。後ろに結い上げている髪を下ろせば、もっと優しい印象になるだろうに、と要らぬお世話を心の中で呟く。

「流伊さん、ありがとう。本当にありがとう。なんでも言ってね。マネージャーもすぐ付けるわ。レッスンは来週から早速始めてもらうけど、私はあなたにこの身を捧げるつもりです。気に入らないことはどんどん言って下さい。なにせ、うちは女性ばかりの事務所だから、男の子には辛いこともあるはずだから…」

蝶貝真美子は、ハンカチで目を拭い、指で鼻をこする。
そんなに感動されても、困る。
そんなに期待してもらっても、応えることができるか分からない。

「あの…条件が、あります」

「なに?」

「1年間だけ、やらせて下さい。それ以上は、無理です」

「えっ?  1年間、だけ…?」

「ダメなら、お受けしません。申し訳ないですけど。僕は、やっぱり…男なんで」


 ☆


デビューの日が、決まった。
季節は春から、夏に移ろっていた。
6月30日、日曜日。

デビューの舞台は、僕の地元S市の公民館。
『あじさいガールズ』の本拠地だ。
僕が敢えて社長に頼んで、その場所を整えてもらった。
山谷さんが、僕らを待っていた。
「こんにちは〜。STAR☆CANDLEの皆さん。今日はデビュー公演なんだってねー。おめでとう! 頑張ってね♪」
「ありがとうございます、監督さん。張り切ってがんばりますので、よろしくお願いしまーす♡」
「うおっ、キミが月城琉唯ちゃん? ウワサどおりカッワイイねー。オジサン、即ファンになっちゃう!」
山谷さんのキュンポーズ、なかなか笑える。
僕は片目を瞑って、オジサンの肩にちょっとだけ触れる。
「ホントですかー? ウレシイなー」
「本当だよ。琉唯ちゃん、ポスター出たら、絶対買うからね」
「わあ、ありがとうございます」
僕は片頬で、クスリと微笑み、ステージへと向かう。
ガッチリした身体を左右に揺すりながら、メロディに乗っている山谷さん。

気づかれていない。

普段の僕を知っている彼が、僕をアイドルグループ『STAR☆CANDLE』の『月城琉唯』だと信じ切っている。

ありがとう、山谷さん。

これで、少し自信が持てたよ。

僕は前を向く。

見てろよ。

『あじさいガールズ』のカオルン。

僕はこの日の為に、知ってる中で一番厳しいダンス振付師をつけて欲しいと、社長に頼んだ。
"僕個人"にだ。
他のメンバーは、ダンスの素養が少しはあるが、僕には殆ど無かった。
父方の祖母に日本舞踊を習っていた時期もあったけれど、今どきのダンスはさっぱりだ。
だから、足を引っ張らずに済むようにしたかったのだ。

指導はそこそこ厳しかった。
でも、なんか祖母のほうが厳しかった気がする。今より子どもだったから、そう思ったのだろうか?
だが、そのお陰で、何とか乗り切れた。

歌も、個別レッスンをさせてもらった。
先生が帰っても、僕は一人で練習した。
声の質が、低くなってきている。
それをカバーする、キレイな声を出せるように訓練した。
喉を痛めないように、気をつけながら、頑張った。

時間がないのだ、僕には。
今、頑張るしかないのだ。

そして、マネージャーは若い男性にしてもらった。女だらけの環境の中で、自分を見失いたくなかったからでもあるけれど、やはり身近に同性の話し相手が欲しかった。

初めてのステージが終わった。

どうだった?

誠さん。
彼のフルネームは蝶貝誠。
社長の御曹司らしいが、まだ24歳になったばかりだという。
僕のマネージャーだ。

「ま、良かったんじゃないの。初ステージにしてはさ」
少し照れながら、誠さんは言った。
「じゃ、後で『ダイケンオー』のシール入りウェハース、まとめ買いしてくれる?」
僕がねだると、彼はやれやれという顔を作って苦笑する。
「ガキな願い事だな。いいよ、20個入りの2箱な」
「やだ! 5箱だよ」
「お前なー。俺、まだ給料安いんだぞー!」
僕の言葉に、半ば本気で怒っている。
「大丈夫だよ。すぐ上がるって、御曹司だろ。それに、琉唯が頑張るからさ!」
「…ったく、しゃあないなぁ。分かったよ。後で買ってきてやるよ。わがままアイドルめ」
僕は手叩きして喜んだ。その頭を、がすっと掴むように、誠さんはぐしゃぐしゃと荒っぽく撫でた。付け毛が取れそうだ。
嬉しかった。
褒めてもらえて。
「で、お前の感想は?」
「え…」
じっと、見つめられる。
「あ…オレ」言葉が出ない。
僕は、涙をこぼしていた。
なんて言えばいいんだ、この気持ち。
「頑張ったな」
誠さんが、優しく微笑む。
「…はい」
僕は、頷いた。

幕は、開いた。
まだ生まれたてだけれど。

僕は、アイドルだ。


















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