名前の話

小さいころ、自分の名前が好きではなかった。
私は、苗字も名も、日本人を代表するような、ザ日本人、これこそ日本人、という名前であり、リズミカルに音楽のように流れる、外国語の名前に憧れた。

幼少期、私は海外に数年間住んでいたことがあり、現地の学校に通っていた。その時に嫌だったのが、名前を呼ばれるときだった。

日本語の名前をローマ字にしているから、音にするとイントネーションが不自然なのである。「タナーカ」「サトーウ」のように、日本語名にリズムがつくと、強烈な違和感があり、白人社会の中にいるアジア人の自分は、マイナーな存在なのだな、と子どもながらに毎回感じていた。劣等感の塊だった。

日本語の名前でも、せめて音数が二つくらいなら、ローマ字読みをしても自然に聞こえる。三つや四つだと、そうはいかない。
そして、必ずと言っていいほど、初めて名前を呼ばれるときは、読み方を間違われるのである。それが恥ずかしくて、本当に嫌だったことを、鮮明に覚えている。
さらに、訂正するときも、果たして日本語のイントネーションで言うべきなのか、「タナーカ」「サトーウ」のように、イントネーションをつけた方がよいのか、いつも迷った。
自分は日本人だから、日本語の正しいイントネーションで説明したいけれど、先生や友達は聞き取れないだろうな、と幼心ながら気を遣うのである。

両親には申し訳ないが、実は今でも名前を呼ばれると気恥ずかしくて、それこそスルーしたくなる。自分と名前が乖離しているような気がするのである。すでに人生半分以上過ぎてしまったが、困ったものである。

果たして、今グローバルにご活躍なさっている日本語名の方々は、ご自分のお名前を呼ばれるとき、どんな気持ちで聞いているのだろうか。自己紹介をするときは、どのようにお名前を音にしているのだろうか。

きっと、私のように肝の小さい人間は、国際人に向いていないのだろうなあ、と思いながらも、広い世界で生きてみたいという憧れは年々募るばかりである。