見出し画像

育児、介護の話


最近、とある知人から聞いた話である。三人目のこどもが生まれたとき、彼は育休ではなく、有給休暇を取ったらしい。なぜなら、育休だと、ボーナスの査定に響くから。

目が点とはこのこと。裏のカラクリを垣間見た気がした。

いやいや、私は労務には全く詳しくないし、法律もちんぷんかんぷん。法を適用するためには、どこかで線引きしないといけないし、万人に平等っていう訳にはいかないし、有給なら100%支払われるからお得、とか、さまざまな諸事情があのだ、と色んな思考が頭を過り大混乱。

でも何だか、出産と育児が軽視されているような、悲しい気持ちになったのも事実。もともと、家庭内で誰かが担ってきた家事や育児、介護は、プロフェッショナルではない、と言われているような気がして、肩身の狭い気持ちになる。それらには付加価値は付かないのね、と。

生活支援、保育や介護の現場は、努力が報われないことのほうが多い。この仕事が好き、という理由だけではなかなか長続きしない。相手と感情がぶつかり合い、疲弊する。労働時間も不規則で、慢性的に人員不足。ありがとう、という言葉だけを糧にしたら、長くは続けられない。それに加えて、薄給。成果が得られにくい。離職率が高いのもますます頷ける。

家事、出産、育児、介護を担う人たちは、子どもという未來や、人の生き方・終い方という歴史を紡いでいる。

勤務実態が減るならボーナスも減るよ、という雇用主の考えも理解できなくはない。でも、マイナス査定になってしまうとは、残念で仕方がない。むしろ、プラス査定してほしいくらい、と声を大にして言いたい。そして、そのような人たちを支える周りの人たち(雇用主や同じ会社で働く人たち)にも、プラスの報酬が分配されると良い。

他の誰かがやって当たり前のことなんて、この世にはない。撒かれた場所で根を下ろし、それぞれが役割を果たして咲いているのだ。

また一人悶々としながら、フライパンの野菜を炒める腕に力が入るのだった。