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さよならの咀嚼

さよならを咀嚼している。 してみている。 でも、実は得ているものもあったりして、今も得ていて。 それを受け止めきれない幼さを残したまま、離れていくことについて考えている。 愛されなかったとか、いなくなってから彼女の肌感を思い出すとか、場所とカルチャーが繋がったまま同時に崩れていくとか。でも、ある程度泣いた後、立ち上がって歩くこともわかった。 考えてるけど、身体が動かないのは私のいつものこと。こんなんじゃだめかもとか毎回思っているんだけど、これを積み重ねることは良いのだろう

    • うみのかぜ

      大切なひとのグラデーションが、時に少しずつ変わることがある。 今はそんな時。 それは悪いことじゃなくて、その時必要な人が自然と近づいてくるんだと思う。 というか、今そばにいるひとを大切にしたいと思った。いつかは離れてしまうから。 ただ、そばにいてもいなくても、そのひととの縁とか繋がりが切れているとは思わない。 誰かと一緒にいてすごく幸せな時、反対にこれが会えるの最後だったりして。声聞けるの最後だったりして。なんて考えてしまう。 幸せな時に、同時にすごく不幸な事を考える。

      • すきなひと

        すきなひとがいた。 すごくすごく、大切な人だった。 いまもずっと、大切な人。 甘い言葉とか、身体の関係とか、そういうのじゃなかった。 男女ではなく、人と人として。 愛していたし、愛されていたと思う。 でも、そういう確かな形が無いとだめだった。 一瞬で。なくなっちゃった。 すごく傷ついた。 嫌だった。 弄ばれて、苦しかった。 沢山泣いたし、今も。 許せないと思う。 ずっと。 大切だと思う。 ずっとずっと。 いつかまた会えたら。 いつかまた話せたら。 ありがとうっ

        • competition

          6月のはなし はじめてcompetitionに出てみた。 誰かと作品を競うのは高校生ぶりで、正直優劣をつけられるのは怖かった。けれど、高校を卒業してから、自分の創るものに対してマイナスな意見を貰える機会が無いのが歯痒かった。 完成した作品を見てくれた人にどうだった?と聞くと肯定的な意見をくれることが多い。もちろん嬉しいしありがたいけれど、でもそれは知り合いだから、という要素が大きく入っていると思う。(私自身も中々友達の作品に良くなかったよ、とは言えない!) 特に去年は

        さよならの咀嚼

          こんばんは。

          深夜2時12分です。 noteをやってみたいなーとふと一昨日くらいに思ったので、始めてみます。 Instagramに上げるほどでは無いけれど、気になってくれた方にコソッと話せる場所が欲しいなぁと思ったのと、意外と語りたい時にぶわっと文字にしたくなるので。 それと、偏見かもしれないですけど、noteってなんかあんまりテンションが高すぎなくて良い感じがするというか、真顔な印象がするというか。それがなんかいいなぁと思いました。感情的過ぎない?というか。 今日も12時過ぎから

          こんばんは。