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【主観と客観】

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① 自分がやってきた事を主観と客観

② 方法と考え方 シングルタスクとマルチタスク

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① 自分がやってきた事を主観と客観の視点で言葉に表すと

「選手側の主観での動きをこちらの客観的な視点(知識など)を情報共有する事で動きの改善を行う」

という事だと思いました。

・5W1Hの情報共有/視るマルチタスク

お手本である先生や選手の真似をして実際に練習を行うのは
良くある光景であり、もちろん私も行います。

そして10人いればそのままできる人もいれば
「なんかちょっと違う」
と思う場合もあるかと思います。

これは5W1H「誰が・なにを・どうやって・いつ」の見ている視点や
「なぜそうなのか・それをしているか」の受け止め方の違いと、
身体を動かすという感覚のそれぞれ違いで

【実際の練習成果】

に違いが生じると思われるので、ここで重要なのは
「情報共有ができているか」になると思います。

それに至るためには

本人の受け止め方や認識を一致させることですが、
そもそも身体の機能が備わっていないかも知れません。

つまり「やろうと思っていてもできない」です。

それを判断するためには「視る」事が重要であります。

トレーニングなどは動作獲得と情報共有するための第一歩であり、
それをどのように使うかの主観と客観(身体の知識)を合致させ、
機能を高めることで

動きの改善=練習を上手にさせること

に繋げています。

・練習について

【やらせる・枠にはめる】というよりは

何が足りていないのだろう?
ちゃんと説明できているのか?抽象的なこと言っていないか?
といつも考えていた結果となります。

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なぜ→なぜそうなっているか(上手くできていないか)

誰が→選手の 相手の

どこで(が)→どこの関節を・が 等

どのように→向きなど

いつ→動かす順番

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がはっきりしていれば

=どうなったか→結果 について
なにをすべきか=練習方法・トレーニング

を説明・組立てに導けると思っています。

なぜ(考え)から入り結果(方法)までの
「過程をつくること」を大切にしています。

「これを練習する」というより「そうしようと思ったらそうなった」

見慣れたこともするし、
時には変わったこともするかもしれませんが

パフォーマンスでは無く、こうなって欲しいと思ってそれをやっています。

「なぜ」は本質的な部分に繋がる事であると思うので、
わかった時が楽しい時間でもあります。

もちろん「考える」に至るまでに
【良くない結果がある】からであり、
その事実を受け止めなければなりませんので
気の良いことではないです。

・気づいた事 「視る」マルチタスクがある

トレーニング・練習をみる中で自分がノックをあげている最中も
「選手の身体の何関節が・どこの向き・どの順番」を視ています。
できるだけ見逃さずその場で指摘するので
「同じような練習をしているけどなんか変わる」

と言われる事もあります。

端的に言えば「あっ!」と思うタイミングは多いと思います。

試合を「視る」もまた同じで相手を見るのか・こちら側を見るのか
など、5W1Hをはっきりしています。
という事でビデオを見て作戦を立てるのも好きです。

・まとめ

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5W1H 本質的に正しい事を伝えられているか 一貫性のある話をするため

身体の「視点」において主観と客観を合致させる

方法は考えから生まれる と思っている

機能的に「できない」を今後に残さない
(基準は高校生の指導経験)

「視る」は意識をして視界に入れる
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー以上の事から「なんか違うな」を明確に改善するのが
得意であることのご紹介でした。

練習を上手くできるようになる。

というのは成功への道筋のひとつではありますが

全員が上手くいくかは別の話です。

元々、「上手いと強いは別物」とは思っていました。

一応、結果にシビアな世界に身を置いていたので勝負の厳しさは心得ているなかで

勝ったら選手の努力
負けたら指導者側

と常に思っていました。

「1」を「1」出す

と個人の最大値は求めて指導しているなかで
この3か月であったもう一つの進歩は

【考えられる選手にできるようになるために】です。

足りないピースはわかっているけど
それをどうしようか?
という所から一歩足を出せたかなと思います。

② 方法と考え シングルタスクとマルチタスク

まずはどのような人が強い・勝てるか?について私個人の考えでは

「自分を使う人」です。

勝負に対して、結果の下(もと)に
「自分」の身を置いて自分自身で勝負ができる人
だと現状思います。

仮に負けても自分の状況がどうであれ、
負けを受け止め次に向けて行動できる人であり、
人間的な強さを感じます。

良くない場合で、言い訳してしまうのは
第二の自分を作ってしまい、
まるで他人事のように感じる事があります。
褒めるところ・注意するところを間違えると
そうなってしまうかも知れません。

そして対人競技になりますので、

自分の能力のぶつける・競い合いだけではなく
相手と駆け引きもできる事が重要
かと思いますが、
そのために「考えられる選手」になるべき

と思います。

ではなにが必要かは
客観の視点だと今回思いました。

自分にとっての「相手」とは客観であるということは間違えないと思います。

そこに目を向けられれば相手に対して
自分が何をすべきか?
を考える事に繋がり

「自分の主観と客観的な視点が合致しているか」を求める過程が生まれると思います。

「情報共有」も主観と客観が一致した状態
だと思うので
客観視ができる事で選手と
「試合の捉え方・考え方」
を情報共有できることが
本質的なことであれば、
より個人差を減らした

【できないをできるように】

ができるのではと思います。

ここまでの話で、主観と客観の一致が

・元々できる人

・できない人

がいて

色々なきっかけでできるようになる人もいますし、できない人もいます。
※トレーニングなど身体の知識が付く事で自分を客観視できるようになる事もあるかと思います。

「できる人が生き残る」かも知れませんが
【人をふるいにかける】では無く、
足してあげられる指導を目指しています。

【考えられる選手に】

ということで今回のテーマで

方法と考え方

とありますが成りたい形は
方法を使う考えを持てるよう】にです。

では、何をするかは

〖書いて「自分を客観する視点を持つ」〗
です。

白紙に

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・テーマ・目標 など記入

・原理・原則・ルールを書く

・今の現状→ わかっていること/思うこと/長所/短所/なんでも良い

・見返してテーマに対して合致しているか/かぶっているものはないか 

・選択・やるべき事を書く などなど書いて「なぜ」に目を向ける事
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自分の思っている事を書く→ 主観

それを見返す→ 客観視

と、まず自分を客観視する第一歩として始めました。

というのもこれはいつも私自身で書くノートの作り方です。

「なにをしたらいいかわからない」から「なにが正しいかを考える」
ために書き始めました。

私自身がこれを始めたきっかけはトレーナーを始めて
顧問の先生・監督からトレーニング内容など「好きにしていいよ」
同じく、先生から選手達にも
「言われたこと信じてやれ」
と伝えられたことでした。

重たい言葉でしたが原動力となり、
とても勉強になりました。
自分の立ち位置・役割・選手にとって
何をすべきか困りもしましたが、

目の前に正解がいる・一所懸命・戦略に勝るものなし

と思って活動をしていました。

自分の思うことで足りない部分は
自分にとって不利
であり、主観が強い人はそのデメリットを受け入れがたい事が多いですが

自分を客観視して必要性を感じ、
それを受け入れる事ができれば
自分に対して献身的になれるきっかけになるかなと思います。

今回はこれを「天秤にかける」で表し、その「天秤のかけ方の違い」で説明しました。

【まっさらな紙に思ったことを書く】

というのは自由でありますが
自由の中に自分で方向性を付ければ
自由ではなくなり
自由を自由のままにしても
良い事は無いのかな?と私は思います。

言い換えると

「こうしたい」より「こうすべき」

と自分で選択すれば自分を律した行動に
つながるかと思っています。

紙に書くことは

正解のないものに正解を創る 「こうすべき」の基準をつくるもの
と思っています。

さて!

長々書いていますが端的に言うと、

これは頭の中で考えるより全部出して
整理するだけです。

頭の中の長文では無く、
箇条書きして、上手く組み合わせたり、
削除したり整理しているだけです。

下書き
清書

あまり「自分がやってきたから」といって子供たちに「強要したい」というスタイルでは無く、練習で会わない時は遊ぶでも勉強でもしっかりして欲しいなと思っていましたが生産性の上がらない練習をするくらいなら重要だと思いました。

ここまでの話ですが、

シングルタスクとマルチタスク

という見方でいると
今回の話がわかりやすくなりました。

・シングルタスクとマルチタスクとは

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○シングルタスク
→ 固定の要素 方法 
●マルチタスク
→ 状況に応じた対応 2個以上を同時に行える能力
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○シングルタスクは完璧主義 
→完成度は高いが一つの事に没頭する
●マルチタスク
→2個以上同時にやれるが一つの作業がおろそかになりやすい
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この中でキーワードは【状況に応じた】
という事で
自分をその状況で
客観視をしている事と考えられます。

シングルタスクとマルチタスクのどちらにも
メリット・デメリットがあり、
どちらも必要なスキルです。

しかし、今回のゴールは
【相手をみる・客観視を持つ事】
であるため

【シングルタスクを「状況判断をして」素早い出し入れができるように】

なって欲しいという思っています。
と言うのは成長の過程の場であればいいな
と思うからです。
※後述 失敗を失敗のままにしない

マルチタスクの付け方はシングルタスク中に
自分で考える「自由」があれば良いと思うので

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ノックなどで形をつくる

紙に書く

パターン練習をする

試合など「自由」の部分で情報共有する
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とすれば良いのかなと思っています。

なので同じ練習を続けて考える余力ができると
「つまらない事を自分で面白く」すると
それがマルチタスクにつながるのではと思います。
ということで飽きてからが本番となれば良いかなと思います。

・失敗を失敗のままにしない

相手と駆け引きができるように→客観視ができるようになる為
言い換えると、自分でリスク管理ができる人 ともなるかと思います。

今、自分の状況と相手の状況を天秤にかけ正しい事を選択する。

自分がやりたい(主観)
ではなく
自分がこうすべき(客観的に考えて)

と考えられれば、そこで上手くいかなくても「失敗から学ぶ」となり、
それが積み重なれば経験値となり、
今後にも使える状況判断のための素材になると思います。

「失敗から学ぶ」が細分化できれば
ケースバイケースではなく、
「本質的にこれ」となるかと思います。

そこになぜ?が生まれると思います。

話は戻り私の練習の特徴で

・視るマルチタスクがある

という事ですが、元々スポーツ障害予防に力を入れていたトレーナー業を行っていました。

肩・肘・膝・腰などなどのスポーツ障害予防はなぜ起きるか?と考えた時に
「理想的な動きをしていれば起きづらい」
に至りました。

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・筋肉をつけても使わなかったら意味がない

・行ける日にその日だけしかできない事を
※自分がいけない日でもトレーニングをしていますし
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と考えるとゴールが
【機能的なこと・身体】となりました。

競技力・パフォーマンスアップと怪我の予防を並行する。
を目標にそれが競技に反映されて
好影響が生まれるものか

をいつも考えて「絵にかいた餅」であるべきでは無いと思っていました。

それは高校生活の貴重な時間を預けてもらっているからです。
怪我の内訳も

過労・酷使での怪我はフォローして

それ以外は自分のせい

と一つ一つクリアをして
自分のシンプルタスクができあがり、
その間も大会の帯同や練習で
試合を見て・自分でもやって、
競技についても色々な知識や
経験値も積むことができ、
マルチタスクが付いたと思っています。

余談ですがピラティスもやったりしていましたが、そこで初めて
「枠にはめてもしょうがない」と思いました。
間違い・無駄ではなかったが
本質の部分では無かったと思いました。

・最後に

ここまでで話してきたのは私個人が
選手に対して
ダメだからダメでは無く、「なぜ」を大事にしていました。
あくまで選手に対して「受動的」ではあります。

受動的にはメリット・デメリットはありますが、
こちらが「結果に右往左往」されないためには
基準を持ち、本質的に正しいことを選択する事が重要になると思います。

お互いが一歩引いていけば大抵のことは平和に過ぎますし、
主観・主張だけ押し通しても先には進めないと思います。

ただそこは「甘え・甘やかし」ではなく
本質的に解決しようとしてきた姿勢ではあります。

来た人全員が良くなれる場であれるようにしていきたいです。

今まで「技術をつける」というのは確立していましたが、新たな挑戦をしていきます。

ちなみに持論ですが元々強い人・天才型の人
はほとんど主観が強いのだと思います。
それでいて目の付け所や選択の仕方に無駄がないのかな?と思います。

今回はあくまで後続的に能力をつけるために
自分で行った方法となります。

やればできる!

なぜなら私がシンプルタスクマンだからです!

とりあえずいつも自分が発見をするたびに
「もっと早く気づかんかい」と思い、
気付いた分だけ罪悪感も生まれます。

いつも何かしらの犠牲の上に自分は成り立っていると思っているので、
指導しているからと言って横柄な姿勢になろうとは思えません。

練習の下に私も選手もいると思っていて
私が練習をさせるのでは無く
選手の頑張りが自分を動かしてる
と言う感じですかね?
だから自分が主役になりたい訳ではないし、
実績の強弱も気にしないのだと思います。

今回の話のスタート(きっかけ)になったのが
・ゴールデンウィークにあった大会を見てきた経験から
・同時期に仕事での従業員の「人財育成」
について でもありました。

仕事でお悩みの方にも是非!

また
【極端に誰にも相談しないで客観視が強くなった人】
の話なので、やはり上手なのはバランスよく
出来る人だと思うので
誰かの参考になったり、発展させてくれれば嬉しく思います。

っていうか話長い!!

主観と客観 完

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