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【ネタバレ感想・批評】『灰と幻想のグリムガル』




※注意事項※

本記事は、筆者が当該アニメを視聴した際に抱いた感想を綴ったものです。批評としての体裁を保つべく、可能な限り客観的・論理的な記述を心掛けてはいますが、あくまで個人の主張に過ぎず、その他の意見を否定する意図はございません。内容に触れない批評は説得力がないため、全編ネタバレありです。未見の方はご注意ください。なお、筆者はアニメを鑑賞する上でストーリー・シナリオを最も重視しており、作画・音楽・声優等には余程のことがない限り言及しません。ご了承ください。

記事に対する感想・疑問・指摘等あれば、お気軽にコメントしていただけると幸いです。


作品概要

タイトル:『灰と幻想のグリムガル』
放送開始:2016年冬
話数:全12話
原作:十文字青の同名ライトノベル
監督:中村亮介
脚本:中村亮介
アニメーション制作:A-1 Pictures

※参考



基本設定

剣と魔法のファンタジー世界・グリムガル。グリムガルの辺境には人間と敵対する種族やモンスターが多数おり、それらを制圧する辺境軍が配備されている。辺境軍には正規軍と義勇兵があるが、正規軍は防衛線の維持が精一杯で、モンスターの討伐は主に義勇兵が担っている模様。義勇兵はRPGのように様々な役職(戦士、魔法使い、神官etc)があり、複数の役職でパーティを組むのが主流。

また、この世界で仕事をするためには入会金を払ってギルドに入る必要があるらしい。ギルドと言っても同職ギルドではなく、新入り義勇兵の訓練所というほうが近く、新入りはそれぞれ希望の役職を選んで各ギルドの門を叩く。商工業者など、非戦闘員向けのギルドもあるのかは不明。

本作は別世界(現代日本?)から転生してきた少年少女が、パーティを組んで一人前の義勇兵になるまでの物語。彼らは記憶喪失で前世のことは何も思い出せないが、時折、響きだけで意味を知らない単語(ゲーム、携帯etc)が口をついて出る。明言はされていものの、義勇兵には彼ら以前に転生してきた人間が多数いるものと思われる。


各種問題点

・モノローグ
いくらラノベ原作とはいえモノローグが多すぎる。モノローグというのは心情を補足する手段であって、目視でわかる情報まで一々復唱しても幼稚なだけだ。状況説明も全部絵で表現しろとは言わないから、せめて独白だけでなく会話も使ってくれないか。

・考証
例えば本作では、前衛を担う人間を「タンク」と呼ぶ。これは歴然たる考証ミスである。多分原作者やアニメスタッフはそんなこと露ほども気付いていないだろうが、前衛を「タンク」と呼ぶのはRPG特有の風習であり、実際にファンタジー世界で生活している登場人物らが使うのは明らかにおかしい。「ヒーラー」は100歩譲っていいとしても、「タンク」は語源的に考えて絶対にありえない。
他にもフィストバンプしたり、木彫りの飛行機を作ったり、日本語の諺を口にしたりと、前世の記憶が残っているとしか思えないシーンが多々ある。

・技名
スキルを使うたびに中高レベルの英単語を叫ぶのが死ぬほどダサい。そもそもスキルなんてものがあること自体ダサい。

・演出
しょっちゅう挿入歌(フルコーラス)で尺稼ぎするのがうざい。


余談

本作に限った話ではないようだが、どう見てもウェアウルフなモンスターをコボルトと呼ぶせいで無駄に混乱する。正しい元ネタを調べずに、アニメやゲームで仕入れたイメージをそのまま流用するからこうなるのだろう。


各話解説

1話。
主人公含む10名あまりの少年少女は、見知らぬ砦のような施設で目覚める。外見年齢は高校生程度。記憶のない彼らは近くの町へ出向き、義勇兵団の事務所所長を名乗る人物から、「ようこそグリムガルへ。ここはオルタナの町よ」と歓迎を受ける。

さて読者の方々に質問だが、今現在我々が暮らすこの世界は、はたしてなんという名前だろうか?
答えは「世界」である。名前などない。名前とは対象を識別するための記号であって、有史以来一つしかない「世界」にわざわざ呼称を設ける必要などどこにもない。逆に言えば、世界に「グリムガル」という固有名詞が存在する以上、彼の地の住人は他の異世界の存在を認識しているということになる。が、もちろん三流ファンタジーたる本作でそんな深い裏があるはずもなく、単に作者がノリで決めただけの無意味な名称なので安心してほしい。

所長は異界の服装に全く動じず(というより気付かず?)、記憶のない彼らに義勇兵団に所属するよう迫る。ちなみに、義勇兵団に入ると手当が支給されるらしい。義勇兵とは。彼らの一人が義勇兵について、「具体的に何をすればいい」と聞くと、「何事も自分で考えるのが義勇兵の流儀だ」と教えてくれない。お前支部長じゃないのかよ。部下の教育ぐらいまともにしろよ。と思ったらさっき自分が言ったことをもう忘れたのか、「モンスターを倒したら身ぐるみ剥いで売るのが基本」と、一瞬で言を翻す。どうしてラノベ作家というのはこんな小1レベルの国語もできない連中ばかりなのか。そうこうしてるうちに流れで入団したことにされる主人公達。目の肥えた視聴者ならもう既に視聴を打ち切るだろう。

その後彼らは各ギルドで訓練を受け、何名かはパーティを組んで独立。余った主人公達も遅れてパーティを組む。記憶がないはずなのに、隠れ巨乳がどうとか、「太ってないのに太ってると自虐する女は嫌われる」とか、現代日本のつまんねー学生みたいな会話が当たり前のように繰り広げられていて最悪。

2話。
森でゴブリン退治。最弱のモンスターであるゴブリンを6人がかりで襲撃し、辛くも勝利。藻掻き苦しむゴブリンに何度も刃を突き立ててる描写で、人間の業を強調する。一応、この過酷さ・凄惨さが本作の売りらしいのだが、正直説教臭いとしか思わない。

3話。
戦闘にも徐々に慣れ、ゴブリンの生息域に足を踏み入れる。

4話。
リーダーが死ぬ。南無。

5話。
ヒーラーの穴埋めとして、新人の神官を登用。しかしこの新人、態度が悪いばかりか、戦闘への参加を拒否し、回復すらしてくれない。リーダーを失った直後なこともあり、パーティは自然と仲間割れを起こす。メンバーのうち狩人は、新人の人柄ではなく新人を入れたこと自体が不満らしいのだが、ならば偉大なリーダーに敬意を表して神官の枠は空席にすべきとでも言うのだろうか。大体、合わない人間がいるのは仕方ないにしても、そもそも新人は何を思ってこのパーティに入ったのかが説明されないので、トラブルの存在自体に納得がいかない。新人側は気に食わない貧乏パーティに参加する意味がないし、パーティ側は役目を果たさないメンバーを雇う意味がない。さっさと別れれば済む話なのに、どいつもこいつもうだうだと悩んでばかり。『MyGO』で見たのと全く同じ流れで、アニメ業界の作劇レベルの低さを痛感する。

6話。
徐々に態度を軟化させる新人。頑迷な姿勢に何か事情があると考えた主人公達は、新人の過去を知る元パーティメンバーに話を聞きに行く。曰く、彼女は元々明るく有能な神官だったが、強敵との遭遇時に自身の魔力切れで仲間を死なせ、以来笑顔を失い現在のような人物になったという。回復をしないのも魔力切れのトラウマゆえらしい。加減というものを知らんのか。

7話。
話を聞いた帰り。パーティのKY担当が、「辛い過去があったから優しくしてあげなきゃいけませんねーってか? 冗談じゃねえぞ」「俺達は辛い思いしてねーのか?」「俺達のこと仲間扱いしねー奴のこと、なんで仲間だって認めなきゃいけねーんだよ」と急に正論を吐き始める。正論すぎて言うことがない。大体、やる気がないのは本人の自由だとしても、何かしらで日銭を稼がないことには野垂れ死ぬだけだろう。この作品のテーマはそういう部分ではないのか? ちゃんとしろ。

翌日。主人公は新人に、自分達も仲間を亡くしており、だからこそ今の仲間を大事にしたいと説く。お題目は結構だが、KYの指摘した「役目を果たさない人間を仲間とは呼べない」という根本の問題に気付いていない。

8話。
ゴブリンの居城に乗り込み、リーダーの仇を討つ。新人ともだいぶ打ち解ける。

9話。
休日。

10話。
狩場を増やすべく、炭鉱に挑戦。炭鉱は元々人間が開発したもので、現在はコボルト(ウェアウルフ)の住処らしい。

11話。
炭鉱でアンデッド化した新人の元パーティメンバーと遭遇。アンデッドを成仏させる的な魔法をいつの間にか習得していたらしく、大した葛藤もなく彼らを浄化させる。

12話。
巨大コボルトに襲われて窮地に陥る主人公だが、敵の動きが見える謎のチート能力を開花させ返り討ちにする。コボルトは有名な賞金首だったようで、パーティは多額の報酬を得てハッピーエンド。


キャラクター

薄い。モノローグで延々思考を垂れ流す主人公とは対照的に、それ以外のメンバーは内面を掘り下げられることがほとんどない。なぜ義勇兵になるのか・なぜこのメンバーでパーティを組むのかぐらいの基本的な行動原理は示してもらわないと、物語自体が成立しないだろう。
キャラ付けもリーダーキャラ、KYキャラ、朴訥キャラ、気弱キャラとテンプレ揃いで、さらにいかなる場面でもそれぞれの属性に合致する言動しか取らないため、人間的な深みがまるで感じられない。特に戦士・狩人・魔法使いの3人は、性格上どう考えても戦闘員向きでないにも関わらず、当たり前のように殺戮を生業に選んでおり、いかに作者が人間というものを軽く見ているかよくわかる。それこそRPGに出てくるNPC並みの薄さ。

というか義勇兵どうこう以前に、記憶がないとわかったら普通、自分が何者かを必死で探ろうとするはずだ。ギルドの年増女相手にSMごっこに興じてる場合ではない。


モンスター

根本的に、モンスターと戦う理由が不明。
これが『ドラクエ1』なら、モンスターを倒す理由は「勇者として経験を積み、いつの日か竜王を倒すため」と明確に回答できるのだが、本作のモンスター退治は単に金稼ぎの手段でしかない。記憶すら不鮮明なド素人が手を出す職業としてあまりに不自然なのはもちろん、何より「なぜモンスターを倒すと金になるのか?」がはっきり定義できていない。一応モンスターは各々装飾品を身に着けており、それを換金することで儲けを出すというシーンが何度かありはするのだが、その装飾品というのが見るからに人工物なのだ。それらが元々人間界で流通していた品なのであれば、わざわざモンスターから奪い返すより、製造元で直接買い直すほうがよほど早くて安全だろう。現実で喩えると、蜂蜜を売りたい人間が養蜂家にならずに野生の蜂の巣を襲い始めるようなものだ。そんな生活が商業として成立するはずがない。

大体、モンスターが人間界で売れる品物を都合よく持ってること自体おかしい。例えば2話のゴブリンは、「銀貨」と「黒狼の牙(?)」を首から下げていたが、人間界の貨幣をゴブリンが持ち歩く意味が分からないし、狼の牙が金になるのなら、狙うべきはゴブリンではなく狼だろう。その程度のことも気付けないから三流ファンタジーと言われるのだ。大方、「モンスターは倒すとアイテムをドロップするのが常識」みたいなアホな認識で書いてるに違いない。
あと、この指摘は反則かもしれないが、散々弱肉強食や極貧生活を謳っておきながら、モンスターの食肉について触れないのは不可解を通り越している。

そもそも、この世界におけるモンスターは敵視すべき存在なのか? 『進撃の巨人』の巨人は別に倒してもアイテムをドロップなどしないが、やらないと自分が食われるという明確な駆除理由があった。翻って本作は、モンスターの側から攻めてくるようなシーンが一切ない。作中で描かれるモンスターとの戦闘は、全て人間側が発端である。
またモンスターとはいえゴブリンは知能が高く、剣や弓矢で武装し、集団戦法を解すばかりか、「神官(ヒーラー)を狙うのが定石」といった対人間用の戦術セオリーまで会得している。コボルトに至っては階級社会を築き、農耕や畜産を組織的に行うなど、もはや文明人と呼んで差し支えない。別に知能があるから殺すのは可哀想という話ではなく、彼らは彼らなりに平和に暮らしている以上、その平穏を一方的に乱せば殺されても自業自得ということだ。特にコボルトは人間より遥かに屈強で、社会性まで備えた難敵である。わざわざ襲うほどのメリットがある相手なのかはよく考えてみるべきだろう。

もっと言えば、正規軍だけでも防衛線の維持には足りているわけで、この「義勇兵」というシステム自体、どういう必要性から生まれたのか理解できない。大体防衛線の維持とはいうものの、前述の通り街にモンスターが襲撃してくるような描写は一切なく、何と戦ってるのか不明。

と、このように本作の設定は全てにおいて底が浅く、どこまで突き詰めても「異世界からやってきた少年少女を無理矢理戦場へ投じるための舞台装置」にしか見えない。そういうペラペラの土台しか持たない連中が、「命のやりとり」とか叫んでも滑稽なだけだ。本気でリアル志向のファンタジーをやりたいなら、借り物の設定に甘んじるのではなく、世界そのものを一から構築する必要があるだろう。


まとめ

ひたすら話の作り込みが甘いのに加えて、そもそものテーマ選定自体に無理がある。「生きるために殺す」「世界は残酷」というのがあまりに自明で動かし難い事実なため、物語へ昇華させる余地に乏しく、12話かけて同じことを延々繰り返すだけの極めて退屈な映像になってしまっている。小学生が見れば衝撃を受ける作風かもしれないが、いい年した大人なら「何を今更」としか思えないだろう。というか、同じことを繰り返すだけならまだマシで、終盤になって力を付けてくると、命を奪うことへの葛藤みたいなのは完全に消え失せ、単なるゲームのデモムービーの様相を呈してくる。とはいえ毎回殺すたびにうじうじ悩まれてもうざいだけなので、要するに最初から詰んでいる。


結論

口先だけ一丁前で実体は何一つ伴わない、意識高い系の見本のようなアニメ。



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