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不登校の子の母へ。担任の私への言葉①



娘が不登校になった小5の7月から3月。
たったの9ヶ月といえども、生活が安定するまでには
時間もかかり、母親として心の中の変化もさまざまでした。

今回は、その期間の担任とのやりとりの中で、
私の感情が揺らいだ担任の言葉について紹介します。

担任の先生との関係

娘の担任は、ベテランの男の先生で学年主任でした。
年齢は私よりやや上という感じで、気さくで話しやすいという印象を受けていました。
結論から言うと関係性は、悪くなかったです。

欠席時には、無理矢理感を出すことは全くなく、
「いつでも待っていますので」
という言葉をいつもかけてくれていました。
休むたびに連絡というよりも、
特別な持ち物があるときに連絡をくれたり、
1日休んだ時に、家でどのような生活をしていたのか軽く聞くという感じでした。
この連絡のタイミングの感覚が、責められる感覚もなく、ストレスフリーでした。
日常的なやりとりについては、特に問題はなかったのですが、

しかし、どうしても気になってしまった
私(母親)に対する声かけや何気ない言葉がありました。


不登校の子を持つ親は、
常に悩み、やっとの想いで何かしらの選択をし、その選択に対してもどこかでこれでよかったのかと思いながら、
何とか前に進もうとしているという気持ちを持っている
ということをお伝えしつつ、

こんな時には、どのように聞こえ、どのように声かけをしたら良いのかをお伝えできたらと思います。

担任の言葉①
〜娘が平日に家を飛び出し、祖母の家に行った事件〜

小5の7月。
娘も私も、心身ともに荒れていました。
私との会話が成立しない事は多々あり、喧嘩のようになってしまっていました。
私の感情が怒りモードになっていたのは、間違いないと思います。

自分自身もどのように娘と向き合うべきなのか。
こんな精神的に不安定な状態ではだめだ。
このような関係をどうしたら改善できるのか。

と常に思いつつ、日々が過ぎていったのです。

娘もむしゃくしゃしていたのでしょう。
家にいても私に強い口調で言われたり、無理やり何かをやらせようとする。
家にいたくない。
このような状況の中、
彼女の心の支えは、私の母親、彼女の祖母でした。
唯一、何もかもを受け止めてくれている存在だったのだと思います。
祖母の家は、自宅から車で20分。電車で30分ほどの距離にあります。

ある日。
むしゃくしゃしていた娘は、
平日の午前中「ばーちゃんの家にいく!」と言い、
自分で時刻表を調べて(後で分かった事)、勝手に家を出て電車に乗って行ってしまったのです。
私は、まさか本当に行くと思っていなかった(電車にそれほど乗ったことがない)ということもあり、ほっておいたのでした。
しかし、待てど帰って来ません。
駅に向かって歩いて探しても見つかりません。

まさか!?

祖母の家に向かって、電車に乗ったと確信しました。
私は、急いで、母親に電話をしました。
母親は、友達と出かけており母親の家に帰るまで40分くらいかかる場所にいました。
しかし、緊急事態とすぐに友達との時間を切り上げて、
家に向かってくれました。

そして、私は、降りるであろう祖母の家の最寄駅に向かいました。
20分後に駅に到着。
しかし、電車を待っても娘は降りて来ません。
無事に乗れたのかどうかさえも心配になりました。
祖母の家の最寄駅から、祖母の家までは徒歩で30分かかります。
娘が、祖母の家から駅を歩いて行き来したことはありません。

もしかして、歩いている!?

私は、歩いているであろう道をゆっくり車で走り始めました。

そして…

ようやく祖母の家に向かって歩く娘の姿を見つけたのでした。
薄い靴底のサンダル姿で、大きな鞄を持って歩いていました。
そこから、彼女には見つからないように後を追いかけながら祖母の家まで見届けたのでした。
初めてのおつかい 不登校小5バージョン状態。

私は、その姿を見て、安心感とどこか逞しさを感じていました。

娘が自分の意思で、自分の行動を決め、慣れない電車を使ってでも祖母の家に行こうとし、実行している姿にエネルギーを感じ、
そんなことができるんだと。

私が、すぐに追いかければ、娘を止めることはできたのかもしれません。
もし、娘が1人でふらふらしていたら、お巡りさんに声をかけられるかもしれない。
それは、頭によぎっていたことでした。

しかし、
娘が、学校に行けずにどうしたらいいのか自分自身分からない中、娘の決断した事を無理やり引き留めるということはできませんでした。
何となく本当に行くかもしれないとよぎりながらも、
すぐに追いかける事もしませんでした。
また、お巡りさんに連れられて戻ってきたとしても、
理由を説明する心の準備はできていました。

担任の言葉①
「補導されますよ」


そんな出来事を担任に電話で話した時です。
私は、平日に小学生を1人でふらふらさせるなんてことは親としてしてはならないことということは、十分に分かっていたことでした。
そんなことは、十に承知です。

私は、彼女のその行動に何か光を感じました。
先生には、どこかで前向きに捉えていただきたかったのです。

しかし、担任の先生は、その話の直後、
「その話を聞いて、私がまず1番に思ったことは、補導されるということです。」

でした。

「は?」

いやいやそんなこと分かっています。
論点はそこではないはずなのに、私はガックリでした。

その言葉を聞いてから、
これ以上何を話してもダメだと判断し、
親としてそのようなことをさせてしまった事を認め、
今後気をつけますと話をして電話を切りました。
親に教育された感がいっぱいになり、
その後も私の心の中は、もやもやしていました。

学校として児童の安全を1番に考えていただいていることは本当にありがたいです。
それが、仕事かもしれません。

しかし、この時の私にはその言葉を素直に受け止めることができませんでした。
どんな状況でどのように出て行ってのか詳細も分からないのに
よくそんなことが言えるなと。

「無事に帰ってくることができてよかったですね。」
と言われても、何かしっくりこなかったです。

こんな時は、どんな声かけがいいか

これらの事を、主人に話をしました。
主人は、第3者として冷静に判断し、

「先生は、事実を言っただけ。そこに感情はない。」

確かに。なるほど感がいっぱいでした。
冷静な精神状態の人にはそのように聞こえるのでしょう。
私も、精神的に安定している時に聞いたのであれば、感情的にならずに受け止めることができたのかもしれません。

しかし、
精神的に不安定な親子に対して、
事実をわざわざ言葉に出されても、なかなか受け止められないのです。
あまりにも現実的で、傷つきます。
分かっている事だから。

娘の行動力を認めてほしかっただけなのでした。

担任も悪気がないことは分かっています。
悪気がないけれど、保護者は傷ついています。

ここが問題で、
「担任と保護者間で溝が生じる原因の1つ」でもある気がしました。

どんな行動であっても、
子どもの行動を受け止めていただきたいのです。

その行動が良いか悪いかは親だって分かっています。
そのような言葉は、
少し子どもが落ち着いて前を歩き出してからでも良くないかと思うのです。

大切なことは、子どもが光を見つけて歩み出すこと

「お母さんも大変でしたね。突然飛び出して行ってしまって、それは驚きましたね。」
「娘さんの行動力は、これからの人生で役に立ちますよ。そのことは応援しましょう。」
「何もなく無事に帰って来てくれて、よかったです。」

こんな言葉だったら、素直に受け止めることができたと思うのです。

受け止める→共感する
余計なことは言わずに、受け止め、大変なんだと共感する。

一言、「母も子も頑張ったね」でいいのです。

自分が経験して、初めて分かったことでもあり、
私自身、非常に勉強になったことでした。

②へ続く‥

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